●ひとつめの庭 キッチンガーデン <夏は暑い> 今年の北海道は暑かった。例年なら日中はどんなに暑くても日が落ちれば過ごしやすくなるはずなのに今年は、暗くなっても昼間と変わらず暑かった。夏の2ヶ月間、部屋を閉め切って幼猫の飼育に勤しんでいたのでよけいに地獄のような日々だった。赤ちゃん猫は猛暑などものともせず、夏を越して一人前の仔猫に成長した。やって来たときは450gしかなかったチビが5ヶ月近くで3.5kgにまで成長して、今は先住民である2匹の猫チリ、ペッパー、2頭の犬ラン、リリーと一緒に犬猫共有スペースで過ごしている。 ジンジャー、雄。へその緒がついた状態で産み落とされていた2匹の猫を保護した栗栖さんが大切に育ててくれた。栗栖さんは余市で果樹園を営む心優しい一家。毎朝、生きているかどうか確認するのが日課だったとか。掌にのるような仔猫をいきなり先住民たちの中に放り込むのも憚られて、しばらくは隔離して私の部屋で飼うことになった。毎朝4時から起こされても、冷房器具一切なしの地獄のような部屋でも何ものにも代えがたい至福の夏、至福の日々だった。 今では目の前を通りかかる先輩の猫や犬に容赦なく襲いかかり、10倍もあるスタンプのリリーを追いかけ回すやんちゃ坊主に成長した。分別ある先住者たちは以前の平和が戻ることを切望しつつもジンジャーをやさしく受け入れて、5人の共同生活をそれなりに楽しんでいる様子。リーダー格のチリさんはこの騒動が鎮まるのもあと半年の辛抱とみんなに言い聞かせているらしい。 図らずも菜園はこの暑さの恩恵に浴することとなった。トマトを初めとして夏野菜も空芯菜やツルムラサキなどの南国葉物も大豊作。特にゴーヤーは栽培史上、一番のできだった。菜園に出向いてゴーヤーの成長ぶりを確認するのが毎朝の楽しみになった。ゴーヤーフリークの私としては嬉しい限り。 <ゴーヤー> すっかりメジャー野菜として全国に定着したゴーヤーは言わずとしれた沖縄が本場、強い苦みが特徴でゴーヤーチャンプルーや揚げ物などに利用されている。ウリではあるが、奈良漬けなどに使われるしみじみした従来の白瓜などとは違い、主張の強い個性的な瓜だからなかなか全国区には昇格できずに沖縄地方区野菜として栽培されてきた。 そんなゴーヤーも緑のカーテン、沖縄ブームなどの恩恵?に浴してか、最近では赤井川村の直売所でも見かけるようになった。 沖縄で本場のゴーヤーの美味しさの虜になったからには見逃すワケにはいかなくて、北海道でも栽培を続けてきた。 栽培元年、寒さには弱いだろうから温室で栽培することにした。 幅6M長さ18Mの温室は入り口から向かって左側はフジカド君の領地、右側はウドの領地で中央部は共有スペースになっている。レフトウイングにはバラが植わっている。それも「ニコロ・パガニーニ」「イエロー・クィーン・エリザベス」「ドクター・エッケナー」というような名だたるメンバーが勢揃い、高貴な雰囲気を漂わせている。彼らは春から晩秋まで色とりどりの花を次々と咲かせる。温室はバラの香りで包まれる。 かたやライトウィングは一刻も早く、そしてできるだけ長く収穫したいという欲の塊のような野菜畑である。アスパラガスを初めトマト、茄子、オクラ、ツルムラサキ、サラダ用野菜、パクチーなど出番の多い野菜を栽培している。ここにゴーヤーも加えようと計画したのである。 するとレフトウィングから中止命令が飛んできた。「ゴーヤーだけは止めてほしい」まあ分からなくはない。「バラの向かいにゴーヤーなんてすごくシュールな組合せじゃない?」とライトウィングは思うのだが、レフトからすれば本当は協力米寿トマトや中茄子クロベーだって許せないのにゴーヤーと聞いて堪忍袋の緒が切れたのだろう。ライトは温室栽培を諦めて、温室よりずっと過酷な条件の菜園で栽培することにしたのである。 以来どうせ北海道だもんという甘えがあるのでさしたる工夫もせず漫然と栽培を続け、毎年僅かな収穫に満足してきたのである。 石垣島箱庭果樹園の後見人まさこオバアの長女の花谷友子さんは一家でゴーヤー農園を営んでいる。日本一のゴーヤーを生産して全国に出荷している。その友子さんの軽トラの荷台に積まれた出荷用ゴーヤーを初めて見たときの衝撃は忘れがたい。 サイズの揃ったまっすぐなゴーヤーが箱の中に行儀よく並んでいる。表面のイボイボも装飾を意識したかのような美しさ。何よりもその艶やかさに圧倒された。島の太陽を全身で吸収したのだろう。深い緑、そして吸い込んだティーダ(太陽)を思いっきり吐き出したような輝き。これが本場のゴーヤーか。 わが菜園のゴーヤーに足りないのは肥料でも愛情でもなくティーダなのである。 輝きは遠く及ばないものの今年の菜園のゴーヤーはほとんど鈴なり状態だった。こんなこと初めて、これまでは葉っぱの陰で申し訳なさそうにぶら下がっているゴーヤーを探し出しては貴重品扱いをしてきたのである。それが・・・・ 人間には僅かと思える気温の上昇が、植物に対してこれほど大きな影響を与えるとは。 今年の春はホトトギスの鳴き声が聞こえなかった。オオルリも滅多に姿をみせず、林道のキビタキも激減した。まさに「沈黙の春」蝶しかり、甲虫しかり。夏になると煉瓦の家を覆ったツタめがけて吸蜜にやってくるマルハナバチの羽音もいつになく静かだった。マルハナバチの羽音は夏の風物詩、豊穣の証だった。 とりあえずゴーヤーの豊作は嬉しいけど、数年先はどうなってしまうのだろうか予想もつかない。 ゴーヤーは半割にして種をとりだして薄切りにする。チャンプルー用に5ミリ幅。3本分くらいのスライスゴーヤーを袋詰めして冷凍する。完全に凍る前に取り出して塊を崩しておくとバラバラの状態になるので扱いやすい。毎日食べるわけではないからこれだけあれば2~3年分は十分賄えるだろう。 <雲南百薬> 数年前に石垣島で急速に栽培が広まったのがこの雲南百薬、オカワカメという名称で苗が販売されている。艶やかなハート型の葉は加熱するとぬめりが出る。同属のツルムラサキほど癖はなく、炒めても美味しい。苗を植えると伸びた茎が支柱にしっかり巻き付いて空を目指して勝手に伸びていく。ツルムラサキより耐寒性があるのでこのところ菜園の常連になっている。 しかし苗の入手が難しくて毎年、高い送料を払って本州から取り寄せてきた。毎年苗の値段が上がるのに反比例して苗は貧弱になるばかり、金額の問題ではなく百薬ごときにこんな苦労するとは、と何だか割り切れない思いを抱いていたのである。 春先、いつものように雲南百薬の苗をネットで探していると、ヤフーオークションで百薬のムカゴが販売されていることに気づいた。種でも苗でもなくてムカゴ、これはジャガイモの種芋のようなものではないか?早速落札した。確か6個で300円。 届いた親指の先大の百薬のムカゴをポットに植えつけてみた。10日目くらいで一番大きなムカゴから芽のようなものが出てきた。これは芽だろう。しばらくすると6個のムカゴはすべて発芽して立派な苗に育った。ヤフオクのムカゴから本当に百薬の苗ができたのである。菜園に定植すると普通に成長した。 このヤフオクむかごの話しを石垣の友人にすると「雲南百薬はムカゴが落ちて勝手に芽を出すからね、迷惑してるんだよね」と言われた。百薬の種が販売されないのはそういうことだったんですね。 夏の終わり頃、百薬を観察すると枝のあちこちにムカゴが付着しているのを発見!まだ小さいけど確かにムカゴ、北国だからムカゴが形成される前に枯れてしまうのかと思ったけどとんでもないムカゴの存在に気づかなかっただけだったのだ。 秋も深まって葉が殆ど枯れてしまったころに百薬のむかごを収穫した。100個以上ある。これを籾殻に埋めておけば来春は苦労せず100株の百薬が手に入る。まだまだ新発見というのはあるのですね。不注意だっただけだけど。 <サラダ野菜> これまでサラダについてはあまり重要視してこなかった。サラダに使用する生葉は加熱した葉に比べてかさばるのでたくさん食べられないというのが理由だけどそれほど深い意味はない。それがここ2~3年、遅ればせながらグリーンサラダの美味しさに目覚めたのである。 グリーンサラダの美味しさは葉っぱの多様性に尽きるのではないかと思う。スーパーで販売されている結球レタスをちぎってドレッシングをかけた一般的なグリーンサラダは積極的に食べようとは思わない。 レタスにはポピュラーな結球レタスの他に様々な種類のレタスがある。結球しないサニーレタスや葉に切れ込みが入った柔らかなオークリーフ、シーザーズサラダでおなじみの重量感のあるロメインとそれぞれに葉の食味や食感、歯ごたえは異なる。 チコリという葉もある。今年は結球する赤紫のラディキオを栽培したが、レタスとチコリはどう違うかといえば苦みがあるかないかというところかな?植物分類上はともかく苦みのあるのがチコリ、苦みがないのがレタスとおおざっぱに分類している。 以前からサラダミックスという種子が販売されていて種を播くとレタスやらチコリやら水菜、ルッコラなど数種類の葉っぱが生えてくる。このサラダミックスの種子は家庭菜園用としてはすごく便利なのですっかり定着した感がある。 今年はサラダ用野菜としてサラダミックス、ルッコラ、パクチー、細葉空芯菜、ラディッキオの種を播いた。 以前は菜園から緑が消えるのを恐れて収穫をなるべく先延ばしにするという方針で臨んできたのだが、近年はどんどん種を蒔き、躊躇せずにどんどん収穫して食べる。収穫後の空地には温室で作った苗をどんどん定植するというように土地の有効活用を心がけるようになった。小学校の社会科の時間に習った二毛作を実践しているのである。教科書の二毛作という言葉が今頃になって実践として立ち上がってきたのである。ブロッコリーなんて苗を作り続けたのでシロチョウたちは大喜びしたにちがいない。 今年一番感動したのがフェンネル。これまではフェンネルといえばキアゲハの食草として栽培してきたのだが、今年スティックフェンネルの種子をみつけて育苗して菜園に定植した。見かけはフェンネルだが、ずっと小振りで根元はセロリのような様相を呈している。堅そうなので超薄切りにしてサラダに混ぜてみた。口いっぱいに広がるミントに似た香りとセロリに甘みを加えたような食味、香りも味もとにかく繊細の一言につきる。 煮込みやグラタンも推奨されていたが、生のフェンネルには遠く及ばないと思った。これは拾いもの、フェンネルはグリーンサラダのひきたて役としてパクチー、チャービル、ルッコラたちに混じって新人ながらサラダボウルには欠かせない野菜として定着したのである。 数種類のレタスとチコリ、香り高いルッコラ、フェンネルとチャービルこの組合せは今のところ最高のグリーンサラダ。冷蔵庫で冷やして食卓へ。シンプルならどんなドレッシングでもOK。バルサミコ酢とレモン汁だけでも十分美味しい。カリッ、サクッ、ホワン、この多様な歯触りがたまらない。 <一年草の庭> 私はキッチンガーデンを野菜と花とハーブが混在する「一年草」の庭と考えてきた。春先に播いた種はほどなく発芽して、茎を伸ばし、葉をつけ、花を咲かせて実をつける。収穫が終わると作物は冬を越すことなく株は枯れてしまう。これが一年草。 ミントやレモンバームのような宿根草は冬になると地上部は枯れるものの根は地中で冬を越し、春になるとまた新しい芽を出して新たな営みを始める。菜園の縁にあるミントなんて大した手入れもしないのに30年近く涼しげな香りを提供してくれている。 1年で枯れてしまう一年草にももちろん種子はできる。その種子は地面に落ちる。幸運な種子は雪のふとんに包まれて冬を越すことができる。やがて雪解けを迎える。生き延びた種子は地温が上がるとソロソロと芽を出す。復活の時がやってくる。春先の菜園ではトマトやナスタチューム、ジニアなどの芽を見つけることがある。石垣島のむかごではないが条件さえ整えば放っておいても一年草だって復活するのである。どんな植物だって植物は子孫を残し、その生命を未来に繋ごうとするのである。 ブロッコリーやカリフラワーは開花する前の蕾部分を収穫して食べてしまうから種子はできない。花が咲く前に収穫するレタスやキャベツなどの葉物、カブやダイコンなどの根菜類も種子はできない。ならばブロッコリーやキャベツ、サラダ野菜の一部は菜園に残して盛大に花を咲かせてみようではないか。秋の菜園には収穫しきれなかったトマトや万願寺唐辛子が地面にたくさん落ちている。今は黄色いブロッコリーの花が咲き誇り、花にはミツバチやキチョウが吸蜜に訪れる。もうじきキャベツも開花するだろう。パクチーやルッコラは無理かな?F1の種子だって発芽しないことはないから、来春、地面に落ちた種子から発芽するかもしれない。 一年草と宿根草の違いは一年で枯れるか、それとも何年も生き延びるかというところにあるのではなく、冬の超し方の違いにあるのだろう。宿根草も一年草も子孫を育み、未来に繋げるという使命を負っている。一年草は地面に種子を落として地中で待機しながら地温が上がるのをひたすら待つ。宿根草は地下に潜った根が寒さに耐えて一年草と同じく発芽の機会を伺う。それだけの違いなのだろう。一年草は1年で生を全して枯れてしまう植物と思ってきたけどそうではなく、卵で越冬するシジミ蝶のようなものなのかもしれない。宿根草は蛹で越冬するアゲハ蝶、常緑樹は成蝶で越冬するタテハ蝶、ちょっと無理があるかな? <今年の買い物> 去年購入した小型耕耘機「こまめパンチ」は今年も活躍してくれた。大型耕耘機で耕してもらった後、肥料を播いてこまめで攪拌と耕耘作業を繰り返す。種蒔きや定植の前にはパープル培土機をセットして畝を作る。こうして足の踏み場もない混乱状態がずいぶんと改善されたのである。 草刈り機という道具がある。一般に刈払い機と呼ばれている。道路際などでヘルメット姿のおじさんが暑い最中、1日中振り回しているのがそう刈払い機、一度これを使うと庭仕事には欠かせない道具となる。鎌なんかで刈っていられない。 長いこと刈払い機のお世話になってきた。雑草はもちろん、伸びすぎたハーブ、枯れた宿根草などを刈る。地面にかがんで雑草を抜くという地道な作業とは違って刈払い機を振り回しての雑草退治は使う労力の割には達成感が大きいので好きな作業のひとつでもあった。 春半ば、そろそろ雑草が伸びてきたので、倉庫にしまってあった刈払い機を取り出してエンジンをかけようとしたけどウンともスンともいわない。この道何十年のプロがやってもかからない。分解掃除をしてもダメ、購入したホームセンターに連絡すると修理するより購入した方がずっと安いの一点バリ。仕方がないので購入することにした。 これまで使っていたのは混合ガソリンをポンプアップしてエンジンに送り込んだあとスターターのヒモを引っ張ってエンジンをかけるタイプの道具だった。 このヒモを引っ張る作業?は大の苦手。一回でエンジンがかかった試しがない。 しかし耕耘機も刈り払い機もヒモ引き方式。引っ張り方に問題があるのは重々承知しているが、ヒモさえなければ耕耘機も刈り払い機も気持ちよく使えるのにと思い続けてきた。 新しく購入したマキタ電動刈払い機は充電したバッテリーをセットしてスイッチボタンを押すとエンジンがかかる仕組みになっている。長年の宿敵だった憎っくきヒモがないのである。 なにしろスイッチひとつで軽やかなエンジン音があたりに響き渡るのである。これは優れものだった。バッテリーが切れたらという心配など無用、1日中刈ってるワケでもないから一度の充電で、2~3時間の作業には十分。ともかくヒモなし刈払い機のおかげで草刈りがとても楽になった。とはいえ相変わらず雑草だらけの庭ではあるが。 <ケとハレの食卓> 夏はまっ暗くなるまで菜園で作業をしてキッチンでかんたんな夕食を作る。五分前に菜園で収穫した野菜を使った料理が並ぶ。 基本1 野菜スープ いろんな野菜を切って鍋に放り込んでぐつぐつ煮込んだ野菜スープ。出汁はとらず、うま味は野菜から滲み出たエキスとキノコ、トマトと味噌にお任せ。トマトは野菜の中ではアミノ酸やグルタミン酸の含有量が多いそうだ。と信じてトマトは必ず加えることにしている。友人のパクさんが韓国では大根は出汁の素と教えてくれた。大好きな鱈のスープ「プゴクッ」にも大根は欠かせない。だから大根も必須アイテム。トマトの酸味に対抗して甘みの強い玉ねぎ、次から次へと結球し続けるキャベツ、アクセントの生姜とニンニク。これがスープの常連。加えてツルムラサキやモロヘイヤ、ハンダマや雲南百薬といったねばねば系南国野菜やオクラも時間差で加える。そうそう生の花豆も忘れずに。次から次へと野菜を足していくと鍋はいっぱいになるけど蓋をして弱火で蒸し煮状態にすると量は半減する。仕上げにナンプラーを少々、パクチーを散らすと多国籍野菜スープの出来上がり。 基本2 グリーンサラダ 多種多様な葉っぱ類にトマトと玉ねぎ、パプリカなどの収穫物を加えてシンプルな作り置きドレッシングで和えたサラダ。チャービルやパクチー、各種ハーブも加える。最後にバルサミコ酢をひとふり。隠し味にクミンやガラムマサラを加えることもある。 基本3 煮浸し 昆布とカツ節で出汁をとって薄味に仕立てる。このだし汁に焼き茄子、グリルした万願寺唐辛子、茹でたブロッコリーやアスパラ、オクラ、キノコ類を浸す。保存容器にいれて時々、火を入れながら1週間位で食べきる常備菜のようなもの。途中で野菜を足す。 これが私のケの食卓、たまに肉や魚の料理やゴーヤーチャンプルーも加わるけど基本はこの3皿。毎日、同じメニューでも少しも飽きずにいつも美味しく食べている。時にはスープの最後の一滴を飲み干して「ああ美味しい!」と思わず漏らすこともある。 変化に乏しいこの質素な食卓が貧しいかどうか。日常、ケの夕食はこんなもんで十分だろう。 家族がみんな集まる1年に数回の全員集合日や親しい友人たちを迎えてのランチ、そういうハレの日の食卓にはそれなりのご馳走を作る。Xmasなら詰め物をした大ぶりの七面鳥を焼く。夏は風に吹かれて5種類の肉を焼くBBQ大会。 ケとハレの食卓。いつもはほとんど同じ料理が並ぶ質素な食卓を囲み、祭りや行事では思いっきりご馳走を作って振る舞う。ひと昔前の農家の食事はきっとこういうものだったのだろう。 ●ふたつめの庭 シェードガーデン 春先、今年こそはギボウシことホスタ退治に乗り出そうと決意した。芽を出したらすぐに掘りあげないといつものようにギボウシの横暴を許すことになる。ひとくちにギボウシといっても色んな種類のギボウシがある。退治する前に一応、種類を確認してみようとネット検索をしてみた。 最もはびこっている黄緑色の大きな葉のヤツ(サム&サブスタンス!)、青みがかった緑の葉にクリーム色の縁取りのあるヤツ(寒河江)濃い緑に白い縁取りの細めのヤツ、これが一番好感がもてるのだが、残念なことに繁殖力が弱いので劣勢。他にもシナシナっとした温和しめのヤツなど。それぞれに違いが認められるホスタは6種類くらい。花も白や薄紫、濃い紫といろいろ。 ついでにひと鉢の価格も調べてみた。何と大株のギボウシではひと鉢1万円を超すものも多い。今、掘りあげて始末しようとしているギボウシも特大級、それが百株として、うんひと財産ではないか?と欲を出して、結局、通り道を占拠している株やお気に入りの草花に覆い被さっている株など目にあまるヤツだけを退治した。 結果は去年と変わらず、今年もギボウシの海に芍薬や紫陽花が漂うこととなった。来年こそはと誓ったけど無理だろうな。 来年は地面を緑で覆うためだけに植えたハーブ類を撤去します。イエローセージやレモンバームは覚悟しなさい。 ●みっつめの庭 サンガーデン 今年で2年目を迎えるこの庭は花の庭。太陽が大好きな花を選んで植えている。この庭を考えていた頃、ちょうど「モネの庭」建造計画(ユンボで池を掘るだけだけど)が持ち上がったので、モネの庭の設計図などを眺めて計画を立てた。 目をひいたのがGaillardiaとAubrietaという花、モネの庭では両者の占める面積が比較的大きかった。英国の通販サイトを検索すると種子が販売されていたので迷わず購入して温室で大切に育てた。さてこの苗はどんな花を咲かせるのだろう。 調べてみるとGaillardiaは天人菊、Aubrietaは紫なずなであることが判明した。天人菊は濃い黄色の花弁の真ん中あたりに赤い輪のある菊(逆に赤い花弁に黄色の輪というのもある)でモネのパステル調イメージはみごとに裏切られた。かたや紫なずなは紫色の芝桜のような花でこれも斜面一面を覆えば見応えはあるだろうが、ボーダーの縁取りにはふさわしいとは思えない。でもあとの祭り、元気いっぱい無邪気に育っている苗は植えるしかない。 思えばモネの時代には園芸は王侯貴族やブルジュアジーの専有物で大衆を相手にした園芸店なるものは存在しなかったのだろう。現代ではサカタやタキイは大衆が好む花苗の開発に凌ぎを削っているので毎年毎年新しい品種が売り出される。生活に余裕ができた一般大衆が園芸を趣味とするようになって初めて園芸は産業となり、新種の草花の開発が飛躍的に進んだのだと思う。 それまでは庭園といえば、太い樹木が点在する広大な敷地、花といえばバラ、何代にも亘って管理されてきた芝生、手入れは専門の庭師に委ねられていた。モネの時代は多分、園芸が大衆化し産業化され始めた頃で入手できる草花の種類も限られていたのだろう。天人菊も紫なずなも当時は最先端をいく注目品種だったのかもしれない。その後、園芸業界では新しい草花がどんどん開発された結果、彼女たちは過去のものになってしまったのだろう。 2年目を迎えたサンガーデンでは「イングリッシュガーデン系」のデルフィニュームや芍薬、ジギタリスなどがほぼ冬越しに成功して初夏の庭を華麗な花で彩った。 「モネの庭系」の紫なずなは地面を這うように成長して、けなげにも水色から紫色の可憐な花をたくさん咲かせ、天人菊は夏から秋にかけて、ボーダーをどぎつい黄色と赤に染めて圧倒的な存在感を示した。 「立ち寄った園芸店でつい買ってしまった系」の草花、実はこの系統が一番多いのだが、濃ピンクの河原撫子や白や淡いピンクのダイアンサス、白と赤のアスチルベに紫色のストケシア、ヒメウツギにバイカウツギ。どれも脈略なく植えられているけど夏の光をさんさんと浴びておだやかに花を咲かせた。 九月に入って春から育苗をしてきた紫色のミヤマオダマキ、空色のカンパニュラ、真紅のベルガモットと3種類の苗を空き地に植えた。鉄砲百合の球根も9個。育てたい草花はめじろおしなのに庭は早くも飽和状態。来年は天真爛漫な天人菊に少し遠慮してもらおうかと考えている。 ●よっつめの庭 ウォーターガーデン フジ5湖中、4番目の池は鴨池とも呼ばれている。勝手に呼んでるだけだけど。鴨がくるといいねといいながら掘った鴨池に翌春、ほんとにカモのカップルがやって来たのである。そのうちカモに加えてオシドリもやってくるようになった。カモとオシドリが入り乱れて、小さな池は彼らで満員になってしまうこともあった。 その様子をサンルームから双眼鏡でそっとのぞくのが春先の楽しみになった。オシドリ、こんなにも美しいものが目の前に存在することに感動する。何度みてもそのたびに感動する。ほんとは産卵して子育てをしてくれるといいのだが今のところその兆候はない。 鴨池のほとりに植えたギンカエデもだいぶ成長して、幼木ながらも紅葉した華麗な姿を水面に映している。風が吹いて水面が揺れる。水面に映ったギンカエデも揺れる。初冬の太陽はギンカエデに穏やかな照明を当てる。これぞウォーターガーデンの醍醐味、今はデコイが落ち葉の浮かぶ鴨池にひとり静かに浮かんでいる。 ●いつつめの庭 箱庭果樹園 あれよあれよという間にトロピカルフルーツは成長して果樹園らしくなってきた。場所は石垣島、於茂登岳の裾野に位置する登野城、まさこオバアにお世話になって始めた果樹園だ。今年で3年目になる。 パッションフルーツ、グアバ、パイン、バナナ、アセロラ、ピタンガ、ピパーチも収穫できるようになった。コーヒーも色づいてきたし、アボカドやシャカトウも来年は期待がもてる。まさかこんなに早く果樹園らしくなるとは思わなかった。恐るべし南国の力。 3年前の冬に果樹園の入り口に島バナナの苗を3株植えた。膝丈ほどの苗はグングン成長してその年には思いがけず大きな房が8段も連なったバナナを手にすることができた。以後、バナナゾウムシの攻撃にも耐えて実はなり続けている。 今では高さ5メートルを超す巨木になってしまった。オバアいわく「来る人、来る人、入り口の一等地になんでバナナ植えたの?」と聞くそうだ。「北海道の人だからバナナが珍しいんでしょ」と答えることにしてるけどけど「あのバナナは他に移した方がいい」というアドバイス。オバアはこの箱庭を自分のもののように色々心配してくれる。ボンヤリしている私を放っておけないのだろう。 指摘の通り、入り口にそびえ立つバナナに視界が遮られて園全体が見渡しにくいし、巨大化したバナナは収穫もままならないから思い切って切り倒しすことにした。巨木といっても草だから切り倒すのは難しくない。すぐさま根元から伸びてきた新しい株を掘って周辺の三等地に植え替えた。ここで十分、風よけにもなるし、また大量の実を提供してくれるに違いない。 バナナ跡の一等地にはマンゴーの苗を植えることにした。冬、雨がたくさん降るようになったら植えよう。とずいぶん強気、マンゴーは雨よけの覆いや実の袋掛けも必要だから栽培には手がかかるらしい。先日植えたマンゴーば無事育っているからまあ何とかなるだろう。オバアが何とかしてくれるだろう。 最近では石垣島から台湾を経由して北海道に戻ることが多い。那覇からだと一時間のフライトだし時差もちょうど一時間なので朝出発すると昼食は台北で食べることができる。今年の冬もそのコースで台湾に行った。南の高雄から基山を経て山の方に入ると茂林という地区がある。ここは原住民ルカイ族の集落がある多納温泉の入り口。紫マダラの越冬地として有名なところだ。寒くなると台湾北部から紫マダラがここに集まってくるらしい。メキシコのカバマダラほどではないにしてもおびただしい頭数の紫マダラを見ることができる。
今年はいつになくたくさんのマダラ蝶に出会った。竹林に群がる紫マダラはメキシコの派手なカバマダラとは違って墨絵を思わせる枯れた佇まい、散りかけのセンダングサの花にもたくさんの蝶が群がっている。 茂林には高雄からバスを乗り継いでいく。車窓には台湾の田園風景が広がっている。少し前までは日本の原風景のようだととりとめのない感想を抱きつつぼんやり眺めていたのだが、南国果樹を栽培するようになってからは目に映る風景が一変した。 マンゴーの木の仕立て方やドラゴンフルーツの支柱の作り方、バナナを植える間隔などが気になって仕方がない。庭先のグァバの木、あれはひょっとして釈迦頭か。と窓枠にかじりつくようにして風景を眺める。実に興味深い。 山の上まで続くマンゴー園では木は人の背丈ほどの高さに仕立てられ、枝も思いっきり剪定されている。袋掛けや収穫がしやすいからだろうか?ドラゴンフルーツの支柱は鉄パイプを組み合わせた矩形のものが多い。これは石垣と同じだからきっと石垣島の人がそのまま導入したのだろう。バナナも背が低い。南国の果物というと巨木をイメージするけど目にした限りではどれも木は低く剪定されている。 成長が早いバナナなど一年草の野菜のような感覚で栽培されているのだろうか。 蝶もいいけど車窓からの果樹園観察も楽しい。楽しみがまたひとつ加わった。 五つの庭 Five Gardens 一つ目はキッチンガーデン 闘う庭 二つ目はシェードガーデン 抗わない庭 三つ目はサンガーデン 祝福の庭 四つ目はウォーターガーデン 映す庭 五つ目はトロピカルガーデン 豊穣の庭 その1 キッチンガーデン 闘う庭 キッチンガーデンは食卓に直結した庭=菜園である。ここでは日々の糧を生産している。そこが花を愛でるローズガーデンとは違うところだ。春先に地面に埋め込んだ1個のジャガイモは10個のジャガイモを生産してくれるけど、できれば15個、20個のジャガイモを手にしたいと思う。一粒の豆を100倍にも200倍にも増やしたいと思う。ひとたび菜園に立つと、人はみな貪欲になる。ふだんから貪欲な人もふだんは無欲そうな人でも菜園に立てば等しく貪欲になることだろう。 蝶の愛好家も菜園で舞うキアゲハの姿を目にすると複雑な気分になる。キアゲハの幼虫はフェンネルの苗をむしゃむしゃ食べて丸坊主にしてしまうからである。シロチョウしかり。彼女がキャベツに生みつけた卵から孵った青虫は大切な葉を食い散らし、糞をたくさん落として葉を汚し、葉を見事なレース模様にしてしまう。 キッチンガーデンは欲の庭である。大切な収穫物=財産を守るために迫り来る敵、雑草や虫たちと徹底的に闘わなくてはいけない。絶えず見張っていなくてはいけない。だからキッチンガーデンは闘う庭なのである。 ●耕耘機を買った! 長い間、5.5馬力のクボタの耕耘機を使って菜園を耕してきたが、最近では重たいクボタを扱うのが難しくなってきた。菜園は8メートル四方の6個の区画に仕切られている。重たい耕耘機でも直線を走る分には問題ない。100メートルだって大丈夫。しかし1辺の長さがわずか8メートルの区画の中では、ひんぱんに耕耘機を持ち上げて方向転換しなくてはならないのである。かつては難なくターンを繰り返していたのだが、2~3年前から耕耘機の重さを支えるのが難しくなってきた。カシスの生け垣に突っ込んだり、煉瓦の仕切りを破壊したりする前にクボタは体力のある若者に任せることにした。若い衆の手にかかれば、菜園はわずか2~3時間ですっかり菜園らしくなる。 基本的には耕してもらった土に作物を植え付ければいいわけだ。この上なく楽ではあるがなんか寂しい。わがままなもので少し苦労もしないと菜園をやっているという気分になれない。堆肥を混ぜ込んで土をもう少しこまかく砕きたい、耕耘機がよけて通る多年草のハーブの周りも丁寧に耕したいと欲はつきない。5.5馬力は無理としてももっと小型の耕耘機ならまだ何とか動かせるのではないか? と未練がましく耕耘機に固執して、家庭菜園向け超小型耕耘機を買うことにした。 ネットで調べるとホンダの「こまめシリーズ」が健在であることが分かった。30年以上前に私が初めて手に入れた耕耘機もホンダのこまめパンチだった。あの頃から少しずつ改良を加えながらホンダはずっとこまめシリーズを作り続けていたのである。ホンダは他のメーカーの追随を許さない家庭菜園用小型耕耘機の老舗なのである。今回はこまめシリーズの中でも超軽量の機種を選んだ。2.2馬力とクボタの半分の力もないけど、これなら私にも楽に扱えるだろう。 初めてこまめを買った時のことは今でも鮮明に記憶している。当時の経済状態からすれば高価な買い物だったし、趣味の菜園のためにこんなものを買っていいのだろうかという後ろめたさもあった。実物を見て、話しをよく聞いて、じっくり検討しようと思い、国道沿いにあるホンダの代理店に出向いた。ところがウィンドーに飾ってあったピカピカのこまめを見るなり、「これください」と指さしてしまったのである。じっくりのはずが即決、あの長い間の逡巡は一体何だったのだろうか。こうして長らく続いたクワとスキの鉄器時代から一挙に文明の時代へと突入したのである。 二代目こまめは、デザインも機能も一代目とほとんど変わらなかった。単純な道具だから変わりようがないのだろう。菜園はクボタで耕してあるからこまめはスイスイ動く。ターンも楽ちん、堆肥しか入っていなかったので石灰と鶏糞をばらまいて、気分よく菜園を走り回った。 こまめにはもうひとつの魅力があった。それは培土機が取りつけられるようになっているのである。培土というのは野菜の根元がグラグラしないように株の根元に土寄せしたり、地下で肥大したジャガイモが顔を出さないように土を盛る作業のこと。ふつうはスコップやクワでやるのだが、専用の培土機をつけたこまめを走らせるとかんたんに培土ができるのである。培土機を利用すれば畝を立てることもできる。去年、気まぐれに畝を立てて空芯菜を栽培したら、これまでにない好成績をあげた。ニンニクと塩で味付けした空芯菜の炒め物は毎日食べても食べ飽きない美味しさだった。この成果に気をよくしてバイアムも畝を作って植えたら、グングン成長して大量の菜っ葉を供給してくれた。蕪しかり、ルッコラしかり。 畝がそんなにも食糧増産に貢献してくれるのなら、菜園中に畝を立てればいいじゃないかと思うでしょう。そうはいかない。スコップやクワを使って土を盛り上げて畝を作るのは、とても気の重い作業なのである。ゆえに長きに亘って畝作りは放棄して、ざっと耕しただけの平らな地面で野菜を栽培するという楽な道を選んでいたのである。 しかし去年の成功を経験するといくら重労働とはいえ畝作りの誘惑は断ちがたい。うれしいことにわがこまめは「畝たても簡単!」と堂々とうたっているのである。ホントかな? 半信半疑ではあったが、培土器を取りつけたこまめはを走らせてみた。するとうたい文句通り、土を盛ってくれた。不慣れだし、ターン問題もあるからスイスイというわけにはいかないが、たった2日間の作業で30本近い畝を作ることができた。これだけの労力でこれだけちゃんとした畝ができるなら文句ない。やるじゃないこまめ、買ってよかった。 ただ文句がないわけではない。真っ赤な本体に対して培土機は鮮やかな紫色のプラスチィック製なのである。その名もパープル培土機という。一体だれがこんな色の組み合わせを考えたのだろうか?ブラックかグリーンにして欲しかった。そうすればこまめの売上も少しは伸びるだろうに。 パープル培土機が作ってくれた120cm幅のLサイズ畝と90cm幅のMサイズ畝はすべて作物で埋め尽くされている。当たり前だけど畝は作物はここ、この畝に植えなさいよと指示してくれる。畝と畝の間は通路だからここに植えてはいけませんよ、と教えてくれる。そこが畝のいいところだ。これが平らな地面だとつい苗を植えすぎてしまう。植えつけ時の苗はとても小さい。ブロッコリーなら高さ15センチ幅も同じく15センチほどなので苗が占有する面積はきわめて少ない。種袋には60cm間隔で植えなさいよ、と書いてあるけど45cmでも大丈夫だろうと先のことは考えずに植えてしまう。苗はたくさんあるし。ブロッコリーは着々と成長を続け、3ヶ月後には文字通り足の踏み場もない状態になってしまうのである。緑の気配すらない春まだ浅い菜園に60センチ間隔で苗を植えるなんて、よほど自制心が強くないとできる技ではない。 2ヶ月後、気がつけばツルムラサキのジャングルを抜けてブロッコリーやキャベツをまたいでようやく目的のインゲン豆に到達するという事態に陥ってしまうのである。通路が確保されていないから追肥や土寄せというたいせつな手入れもついつい滞りがちになる。収量が上がらないのも当たり前の話。 そこへ行くと畝には抑止力というものがある。大量の苗が余ったとしてもいくら何でも畝と畝の間にある通路には植えようとは思わない。加えて畝にはマットレスというたいせつな役割もある。ただの地面よりフカフカのマットレスの方が苗には居心地がいいに決まっている。特に今夏のように雨の多い時は、畝は雨を適度に排水して水分量を一定に保ってくれるだろう。野菜にとってはマットレス、私にとっては抑止力となる畝、こまめのおかげですぐれものの畝をわずかな労力で作ることができたのである。見栄えはともかく鮮やかな紫色のパープル培土機は大いに力を発揮してくれたのである。 ●追肥と摘芯 ホームセンターの苗売り場で野菜の栽培法のリーフレットを見つけた。苗の販売促進用に配布しているらしい。ちょうど温室で育てたゴーヤーやツルムラサキの苗を菜園に定植しようと思っていた矢先だったので、リーフレットをもらって帰った。ゴーヤーは例年、我も我もと野放図にツルを伸ばすものだから、葉っぱが幾重にも重なって一体どこに実がついているものか分からなくなってしまう。涼風が立つ頃に黄色に過熟したゴーヤーを大量に見つけて悔しい思いをしたりする。ツルムラサキもちょっと目を離すと勝手に地面を這いまわり、雨に打たれて泥だらけになっていたりする。こうなる前に何らかなの手当が必要なことはわかっているのだが、苗の定植に追われて細かな手入れは後回しになり、気がつけば手遅れということの繰り返し。ほんとに何年やっても呆れるくらい学ばないのである。 リーフレットを読むとゴーヤーもツルムラサキも大豆さえも摘芯が不可欠らしい。摘芯には成長点を摘んで枝を四方に張らせるという効果がある。背丈より横幅重視、枝をたくさん出したガッシリ苗にして収穫量を増やすそうというのが摘芯の目的。今年は耕耘機こまめクンが作業路を確保してくれたので教科書通りに摘芯をやってみることにした。ゴーヤーは本葉5枚の時に頂点を摘む。ユーチューブを見ても栽培に関する本を読んでも本葉5枚の原則が貫かれている。もちろんホームセンターのリーフレットも5枚の原則を教えてくれる。ツルムラサキも空芯菜もバイアムも45センチに達したら摘芯するというのが原則らしい。5枚と45センチ。去年は1メートルちかくに達した空芯菜もバイアムも45センチの原則を守っていたら、もっと収量が増えたに違いない。これまでは野菜たちにゴメンゴメンと謝りながら追肥はほとんどやらなかったけど、作業路が確保された今年の菜園では教科書通りに追肥もできる。弱った作物には魔法のHB101だって与えることもできる。 ようやく世間並みの扱いを受けるようになった今年の野菜は何と幸せなのだろう。昼間は太陽の光を浴びてまどろみ、夕方から降り始めた雨に歓喜して眠りにつく、健やかに育ったそういう作物たちが美しい菜園を作るのである。ハーブや花で飾り立てるのではなくて、健康な野菜が整然と並んだ姿こそ菜園の究極の美しさというものなのかもしれない。 「美は有用性にあり」シェーカー教団を興したアン・リーもそう言っているではないか。まっすぐな畝に見事に育った野菜が整然と並んだシェーカー教徒の菜園はまさしく彼女の言葉を体現しているのかもしれない。シェーカー教徒は野菜やハーブの種子の販売を手広く展開した高度な農業集団でもあったのだ。 究極の美にはほど遠いけどこまめは健やかな野菜作りの心強い味方、今年のお買い物ベストワン間違いなし。 ●トマトを植える 菜園の一画には我が家の墓地がある。ここには藤門政子さんと歴代の5頭の犬たち、仁木家の猫が眠っている。私もいずれここに埋められることになるのだろう。墓地を囲む煉瓦の塀に沿って色々な木が植えられている。ブナやハウチワカエデ、ツリバナやライラック、私は大好きなヤマボウシの下を希望しているが、順番なので場所は選べない。 菜園で野菜を収穫している最中に息絶えて、地続きの墓地に埋葬される、今のところこれが私にとっては理想的な最後。頭に浮かぶのは映画ゴッドファーザーで描かれたドン・コルレオーネの死。菜園で孫と追いかけっこをしている最中に倒れて、息絶えるのである。苦しんだ様子もない。菜園のまっ赤に熟れたトマトが印象的だった。ゴッドファーザーといえども食には貪欲なイタリア人、たまにはパスタソース用のトマトを採りに菜園に赴いたことだろう。 トマトの美味しい一皿を頭に描いて、菜園で完熟トマトに囲まれて死ねたらいいなーと思う。その夢を実現させるためには、私は死ぬまで菜園でトマトを栽培し続ける必要がある。ナスやゴーヤーではなくてトマト。大根でもジャガイモでもなくてトマト。それも栽培が容易なミニトマトや中玉トマトではなくて立派な大玉トマトでなくてはいけない。だから私は「強力米寿」という種類の大玉トマトも毎年必ず植えている。真っ赤に熟れた強力米寿を手に菜園で死ねたら幸せだなーとつくづく思うのである。 ●ヒルガオについて 菜園では日々、様々な敵と闘かっているわけだが、目下、最大の敵は何と言ってもヒルガオである。10年前にはヒルガオなんていなかった。10年前の敵といえば、ウリハムシで植えたばかりのバジルの柔らかな葉を遠慮なく食い荒らすので、毎朝、攻防戦を繰り広げていたものだ。いつの間にかウリハムシは姿を消した。どこへ行ったのだろう。今年なんてまだ1匹も姿を目にしていない。こうなるとかつての敵とはいえ心配になってくる。ウリハムシと入れ替わりに登場したのがヒルガオだった。静かに静かに地下活動を進め、気がつけば菜園を我が物顔に這い回っていたのである。どんな雑草でも敵であることに変わりはないが、ヒルガオは雑草の中でも飛び抜けて悪質な雑草なのである。 例えばヨモギ。ヨモギは日当たりのいい場所を選んで根を下ろす。日当たりのいい一等地に根を下ろせば引っこ抜かれるのは自明なのにその愚行を繰り返すのである。そして抜かれると「テヘッ、やっぱりダメだったか」とかんたんに撤退するのである。彼らとて生き残りの戦略があるはずだけどこういう素直なおじさんのような雑草とは共存もできる。ヨモギを見ていると残念でならない。沖縄ではフーチバと呼ばれ、薬味代わりに沖縄そばに入れたり、そば自体に練り込んだりして重宝されている。天ぷらも美味しいし、草餅には欠かせない。ヨモギは青菜として栽培されてもおかしくないのにあと一歩届かず、いまだに雑草にとどまっている。人のよさが災いしているのかもしれない。 一方、ヒルガオはつる性の植物で朝顔やサツマイモと祖先を同じくしている。サツマイモはジャガイモと並んでイモ界のドンとして君臨してきたし、朝顔は夏の風物詩とし人々に愛されてきた。同じ祖先をもつヒルガオは栽培種に改良されることもなく、雑草としての生を余儀なくされたのである。冷遇されたからだろうか、悪知恵を身につけてすっかり捻くれてしまったのである。 ヒルガオは地中に縦横に根を這わせて、地表に茎を出してツルを伸ばす。茎を抜いた位ではびくともせず、厄介なことに強固な地下組織に手をつけなければ退治できない。ヒルガオは手近な植物を見つけるツルを巻き付けて光に向かってグングン成長をする。支柱にされた植物はたまったものではない。雑草だろうが、アスパラガスだろうが、相手構わず支柱代わりに利用するのである。 こうした厚顔無恥な性質もさることながら、瞠目すべきはその旺盛な繁殖力にある。一説によると1cmの根から何と5万5千本もの茎を伸ばす能力があるそうだ。どうやって数えたのだろう。つまり1cmでも侵入を許せばもう手が付けられないということだ。全滅させるのはほぼ不可能ということだ。先の見えないヒルガオ退治に勤しみながら、この根をあの方の富ヶ谷の私邸に1メートルほど放り込みたいと強く思う。勝ち目のないヒルガオとの闘いの日々は続くのである。 ●アリのごとし 種を播いて苗を育て、野菜を育てて収穫する。とれたての野菜を料理して食卓へ。わぁ美味しい!菜園の仕事はこれでは終わらない。あとひとはたらき、収穫した野菜を保存するというたいせつな仕事が残っている。毎年30株のトマトを栽培するのも、時期をずらしてブロッコリーを長期間栽培するのも冬に備えるためなのである。スーパーに行けば、季節を問わずどんな野菜でも手に入るけど、菜園で苦労を重ねている以上1年を通して自分で育てた野菜でやりくりしたいと思うのである。 1個のミニトマトも、半分ちぎれたようなオクラでさえ無駄にするものかと自分でもあきれるくらい保存に励むのである。その熱意は栽培にひけをとらない。イヤそれ以上かもしれない。 長期間の電力消費を前提とした冷凍という保存方法になじめなくて収穫した野菜や果物は瓶詰めや塩漬け、酢漬けなど古典的な方法で保存してきたけどもはや限界。例えばトマト。トマトはソースにして保存すると使い勝手がいい。皮を湯むきして、潰して、漉して、一晩ザルで水分を切って、煮詰めて、瓶に詰めて殺菌する。こうすれば、煮詰める時と瓶を殺菌するときに火をつかうだけで、瓶詰めのトマトソースは常温で保存できる。電力を消費し続ける冷凍保存に比べるとずっと賢いやり方なのである。しかしこの膨大な手間!正しく賢く保存したいのは山々だが、いざ実行するとなると作業の繁雑さが巨大な壁として立ちはだかるのである。明日こそまとめてソースに煮て瓶詰めしよう、明日こそ明日こそとダラダラと先延ばししている内に、熟したトマトが大量に地面に落ちて、菜園の肥やしと化してしまうのである。古典的な保存法に固執して、毎年、毎年、菜園の肥料を大量に栽培するくらいなら、エネルギー消費問題には目をつむって冷凍という保存方法を取り入れることにしたのである。数年前に大型ストッカーを購入した。 ひとたびその方向に舵を切れば怖いものなし。トマトはヘタをとって袋に詰めて冷凍ストッカーに放り込む。ツルムラサキだって大きい葉のまま何枚かまとめて袋詰めしてストッカーに放り込む。ブロッコリーならサッと熱湯にくぐらせて冷ましてから放り込む。これならトマトを100個収穫しようが、ブロッコリーをまとめて10個収穫しようが怖いものなし。一瞬にして保存は完了する。冷凍ストッカーのおかげで、トマトやブロッコリー、ゴーヤーやツルムラサキ、エンドウ豆やオクラはほぼ一年中食卓にのせることができるようになった。 冷凍保存のコツは、小分けして保存することだ。ゴーヤーなら輪切りにして1本分、ミニトマトなら10個、ツルムラサキの葉なら10枚が適量。10本分の輪切りゴーヤーをひとまとめにして冷凍したとしよう。ひとかたまりのがちがちに凍ったゴーヤーには手が出しにくいから、冷凍ゴーヤ-はいつの間にかストッカーの底の方に押しやられて、ストッカーの肥やしと化してしまうのである。菜園の肥やしを免れたゴーヤーもこれでは報われない。1本ずつ輪切りにして袋詰めしておけば、サッと取り出して1回分のゴーヤーチャンプルーを難なく作ることができる。 ツルムラサキは冷凍のまま袋を揉んで葉っぱを細かく砕いてから、野菜スープに入れるといかにも栄養価の高そうなとろみのあるスープができる。ツルムラサキは野菜スープ専用、炒めものやお浸しにしようなどとは欲張ばらないことにしている。小分けと欲張らない、これが快適で無駄の少ない冷凍保存生活を送る秘訣だと思う。 冬に食べる野菜スープには冷凍ツルムラサキの他にも冷凍トマトや冷凍インゲン豆、冷凍オクラなども放り込むから鍋の中は菜園の同窓会のような趣がある。「やあやあ、去年の夏は最悪だったなー」、「うんうん熱中症で倒れるかと思った」というような会話が鍋の中から聞こえてきそうな気がする。同窓会スープはしみじみとおいしい。冷凍ストッカーは私には冬のファーマーズマーケットなのである。 ●菜園花について 菜園は私には1年草の花々を栽培する花壇でもある。以前はデルフィニュームやエキノプスなど英国式ガーデンの重鎮のような多年草を栽培していたが、とりすましたこれらの花々は菜園には決定的に似合わないことに気づいて以来、菜園にふさわしい花々を探し続けてきた。キーワードはラスティック、田舎じみてはいるが明るくて元気な一年草がいい。 今年は煉瓦の縁石に沿って一重咲きのジェム系マリーゴールド、ナスタチューム、カレンジュラ、菜園の壁用として各種向日葵を植えてみた。ナスタチュームは薄緑色の丸い葉っぱもラッパ型の軽快な花も大変よろしい。しかしながら生育が旺盛なのでいつも縁石を超えて通路にはみ出してホースや一輪車の通行を妨害する。その自然な感じがまたいいのだけどいささか度が過ぎるのである。冬にイギリスの種苗会社T&Mのカタログで立性ナスタチュームというのを見つけた。通路にはみ出すのは這性ナスタ、立性というからには通常のナスタよりは少しは温和しいのだろうと期待して種を注文した。控えめに這うという位が理想なのである。種を播いて育てた20株ほどの苗を6月の末に定植した。苗もいささか小振りで奔放な這生ナスタチュームに比べると慎重で堅実な生育ぶり、この様子からすると期待通り節度をもった這い方をしてくれるのだろう。 英国ナスタは上品な赤い花を咲かせた。しかし茎は上にまっすぐ伸びるばかりで一向に這おうとはしないのである。強力なバジル軍団に背後からグイグイ押されても前のめりになることなく背筋をピンとのばして立ったままなのである。だから立性と言ったじゃないといわれればそれまでだけど、ここまで頑なだとは思わなかった。少しだけなら道にはみ出してもいいんだよ。さすが園芸の本場イギリスというべきか、でも来春はやっぱり奔放ないつものナスタにしよう。 ここ数年、菜園の壁として向日葵を採用している。背が高くてラスティック感溢れる向日葵は菜園のアクセントに最適なのである。去年の暮れ「ゴッホの耳」と「ゴッホの眼」というタイトルの本を同時進行で読んで以来、ゴッホに興味を持つようになった。耳の方はゴッホが切り落とした耳についての粘り強い検証とそれに基づいたドキュメンタリータッチのお話、眼の方は美術評論家によるゴッホ絵画の鑑賞の手引き、両方とも面白かった。誰もが当たり前と思っているごく平凡な幸せを何ひとつ手にすることなく若くして死んだすごく非凡なゴッホ。死の真相は謎だけどアルル時代の向日葵の絵は好きだ。 ゴッホ展が開かれていた京都の展覧会場で「ゴッホのひまわり」と命名された向日葵の種を購入した。今年の向日葵は2~3メートルの高性の赤花と黄色、矮性のテディーベアにゴッホのひまわりを加えた3本立てのラインナップ。苗は60株位、去年よりかなり控えめに育てた。というのも去年、宿根向日葵というのを植えたのだが、冬越しなんて絶対無理と高をくくっていたところ、2メートルを超す雪の下で冬を越し、まだ雪が残る菜園の一画でグングン成長を始めたのである。向日葵にはちがいないけどそこらにたくさん生えている雑草のオオハンゴウソウと紙一重、とはいえそのがんばりに免じて菜園の仲間に入れてあげることにした。そのせいで1年草のいつもの向日葵を植える場所が減ってしまったのである。 ゴッホは背の高いコーンの、赤色と黄色はゴーヤー+胡瓜のネットの、余りの苗はジャガイモの背後にそれぞれ植えた。矮性の可愛らしいテディーベアはライム色のジニアと組ませて菜園のあちこちに配置した。雑草と酷似した宿根向日葵は天候不良などものともせえず黄色い花を次々に咲かせているが、1年草の向日葵たちももうじきにぎやかに菜園を彩るはず。 その2 シェードガーデン 抗わない庭 カツラの生け垣に囲まれたメインの庭には芝生が広がっている。その周りを今や大木となったヤマモミジやサトウカエデ、カツラやシナが囲んでいる。樹木と芝生の間には鉄道の枕木を敷いた回遊路があり、その両側には灌木や草花が植わっている。 30年近く前、この赤井川村の農場を終の棲家にしようと決めた。そして念願の庭作りにとりかかったのである。憧れていた宿根草のデルフィニュームやシャクヤク、大好きなアイリスやジギタリスを植えて、ヒソップで分厚いヘッジを作った。完璧とは言えないまでも様々な色、様々な姿の花が咲き乱れる花の庭が誕生したのである。 時を経て、幼木は若木になり、そして大きく枝を広げる成木に成長した。いつしかこの庭はすっかり日陰の庭になってしまった。華麗な花を咲かせる宿根草は次々と姿を消して、日陰に強いホスタ(ギボウシ)、クリスマスローズ、ルリ玉アザミ、ホトトギス、ホタルブクロたちが生き残った。何と地味なのだろう。ガクアジサイなどのアジサイ類、、各種ウツギ類、ハマナスやブッシュローズを加えたところでとても華麗とは言いがたい。最近ではヨツバヒヨドリやマムシグサがあちこちから勝手に顔をだして、勢力を拡大している。最高の賛辞は「野生の庭」、普通にいえば手入れの悪い庭といったところ。去る者は追わず、来る者は拒まないというのがこの庭の方針なのである。 木の生長に伴って庭の主役は華やかな宿根草から日陰を好む地味な宿根草に交代したのである。その事実を受け入れるまで長い間、無駄な抵抗を続けてきた。次第に弱っていくデルフィニュームを新しい苗に更新したり、堆肥を投入したりしてかつての華やぎを甦らせようと努めたのである。木々が作る日陰で繁茂できる植物だけでいい、ここで気持ちよく過ごせる植物だけでいい、自然の摂理には抗わないようにしようと心に決めるのにはずいぶん時間がかかった。 シェードガーデンは時間が作る庭である。1年や2年ではとてもできない庭である。この庭で作業をしていると、落ち着いた気持ちになれる。Calm&Peaceful。きっと庭が吸収した時間は私が生きた時間と重なるからなのだろう。日陰の庭、シェードガーデンは庭作りのひとつのゴールなのかもしれない。 その3 サンガーデン 祝福の庭 庭には五つの池が点在しているが、それらは制作者の名をとって「フジ5湖」とも一部では呼ばれている。池を巡る道があったらいいねということで、まずは古参のひとつ目の池と林の中の第二の池を結ぶ道作りに着手することにした。牧草地を切り拓いた道に沿って加工用の青リンゴ、プラムリーとグラニースミスの苗木を植えたのだが、そこら中のネズミたちがりんごの木を目指して集い、木の幹を囓るものだから2年で撤退。代わりにフェンス仕立てでぶどうを植えた。 道の片側にはぶどうのフェンス、フェンスに向かい合わせて幅1メートル長さ20メートルほどの細長い地面に花のボーダーを作ることになった。天真爛漫な菜園の一年草の花々も好きだ。シェードガーデンをその巨大な葉で幾重にも覆うホスタの海や春先から夏の終わりまで頭を垂れて頑なに地面を見つめる恥じらいのクリスマスローズも好きだ。しかし、花好きなら誰でも英国庭園の常連たち、格調が高くて華麗な花々にも憧れるはずだ。辺りは牧草地だから高木はもちろん灌木さえないのでボーダー予定地は1日中、光があふれている。憧れのサンガーデン、一度は諦めたサンガーデン作りが実現しようとしているのである。 これまで封印してきた光が好きな花々をたくさん植えよう。早速、余市のクサマ園芸店に出かけて青色と白のデルフィニューム、白と淡いピンクのシャクヤクを取り寄せてもらうことにした。後日、受け取りに行くと目の前にきれいなピンクの花を咲かせた河原撫子の鉢がズラリと並んでいる。スクッと立つその姿がいい。これを見過ごすワケにはいかない。20株購入してしまった。デルフィと河原撫子、シャクヤク、まだまだ植えられる。用事ででかけた倶知安のホームセンターではゲンペイカズラとヒメウツギ、常連になったクサマ園芸店でダイアンサスとまっ赤なオリエンタルポピー、抑圧から解放されたガーデン熱が一挙に解き放たれて次々と花苗を購入してしまった。 実は5番目の池を計画したときにモネの池にしよとういう大それた計画が持ち上がった。それでモネの庭の本を眺める日々が続き、モネが愛した花の種をイギリスから取り寄せて苗を育てていたのである。AubrietaとGuailardiaの苗は順調に育ったので、これもボーダーに植えた。ボーダーは英国庭園の花とモネの庭の花と衝動買いがミックスした収拾のつかないものになりつつある。まあ元年だから仕方がない。ともかくここは光が降り注ぐ祝福の庭なのである。 その4 ウォーターガーデン 映す庭 少しの間、家を空けて帰ってみると温室の向かいの畑が池になっていた。5番目の新池建設計画については以前から聞かされてはいたが、これほど早いとは思わなかった。慣れ親しんだアスパラ畑も巨大ルバーブ群も色んな種類のベリーも姿を消していた。夏、ちょっと疲れたような夕方の光の中でラズベリーやグースベリーを収穫するのは何よりの楽しみだったのに。ベリー摘みは夏の1日を締めくくる作業にはとてもふさわしかったのに。小学生のころにダムの底に沈む村(小河内ダム?)というようなドキュメンタリー映画を見た記憶があるが、裏の畑も村と同じ運命を辿ったのである。まあ移植できる分については菜園やベリー園に移植はしたが・・・。 瀬戸内海に浮かぶ直島の地中美術館にはモネの絵が5点展示されている。安藤忠雄氏の設計によるこの美術館は自然光が差し込むよう設計されていてモネの絵を展示するのにふさわしい施設だと思う。季節や天候、太陽の動き方によって絵の見え方は違うのだろう。冷たい雨の日のモネとうららかな春の日のモネでは絵の表情は違うはずだ。5点のモネの絵は庭における池の役割というものを教えてくれた。当たり前だけど池の水面は庭を映す。風で揺れた水面に映る庭も水といっしょに揺れる。池に差し込む光の動きによって水面に映る庭は輝いたり、曇ったりする。庭の池は単に水を湛えたため池ではない。刻々と変化する池の水面は庭を受け止めて、木々や花々を映すのである。池の庭はビオトープとして観察したり、水生植物を栽培する楽しみもさることながら、池が映し出す風景を楽しむというところにその醍醐味があるのではないか。日本の伝統的な池泉回遊式庭園も水面に映る風景を最大限意識して設計されているのだろう。 直島からフェリーで1時間ほどの高松市にある栗林公園は広大な池泉回遊式庭園だった。グーグールマップをたよりに讃岐うどん屋を探していたときに偶然通りかかったこの公園はのびのびしていて気持ちのいい庭園だった。公園の池の中央にでんと横たわる築山には色んな種類のカエデが植えられていて、池に映る新緑や紅葉はさぞ見事だろうと思わせる。依頼主と作庭家の意図が素直に伝わってくる。インバウンド観光客にひとり混じって手こぎの小舟に乗り、話し好きな船頭さんから詳細な説明を受けたのである。(説明を聞いているのは私ひとりだからマンツーマン)あーおもしろかった。 しかし池の庭はフジ五湖の一部だから今のところ私は観客の立場で紅葉の季節を楽しみにしている。家の裏面を覆うツタの紅葉は見事だし、池の周りにはナナカマドやハウチワカエデも植わっている。水面はどんな風景を映し出してくれるのだろうか? きっと1日中眺めていても飽きないだろう。カヌーで池を回遊できたらもっとすてきだろうな。 その5 トロピカルガーデン 豊穣の庭 バシッと太い茎にノコギリを入れると切り口から強烈なバナナの香りが立ち昇ってきた。伐り倒されたバナナが全身でバナナ、バナナと大声で叫んでいる。茎のあちこちから粘着質の透明な樹液が滲みだしているのを見つけたまさこオバアが、ゾウムシが潜り込んだに違いないと教えてくれた。島の人からはバナナゾウムシにとりつかれたら、一巻の終わりとよく聞かされてきた。同じ根から数本の茎が出ているので、ゾウムシが隣の茎に移動する前に切り倒さなくていけない。ウーファー(居候)と二人で樹液の噴出している茎に鋸をいれた。 不思議と惜しくはなかった。それよりバナナは木全体で香っているのだという発見に興奮した。こんな機会がなければバナナの木の香りについては知り得なかっただろう。それほど動揺しなかったのにはワケがある。このバナナの木からはすでにひと群れのバナナを収穫していたからだ。ひと房ではない。ひと群れ。ひと房には小振りな島バナナが20本以上なる。その房が8段位連なって群れを作っている。本数にすれば200本近くになるだろう。これだけたくさんのバナナを収穫できたのだから大満足、少し酸味がある樹上完熟バナナはすごく美味しかった。 去年の2月にフランス人のウーファー(居候)、マリ・クレールに手伝ってもらって植えたバナナの苗は腰丈くらいだった。春には背丈を超え、夏には3メートル以上に成長して花を咲かせた。秋には実がつき、その年のクリスマスにオバアからひと群れのバナナが届いたのである。植えてから1年も経っていないのに、すごい!としか言いようがない。バナナは草だから生長が早いのは当たり前と島のみんなが言うけど、それにしてもまさかの展開。りんごでもさくらんぼでも北国の果樹なら植えてから実を収穫するまでに数年はかかるだろう。 嬉しい誤算だった。この小さな箱庭が一応果樹園と呼べるようになるには5年くらいはかかるだろう。その頃には仕事を引退して冬の間は南の島で果樹の面倒をみて暮らそうと目論んだのだ。ところがバナナやパインは当然としても、植えつけて2年にもならないのにパッションブルーツもパパイヤもグアバもコーヒーもグングン生長して実をたくさんつけているのである。アボカドだって花が咲いているし、シャカトウも小さいながら3個も実をつけた。 石垣島の箱庭果樹園、名付け親は後見人でもあるまさこオバア、この春に行った時には雑草を刈って、シークワーサーやタンカン、レモンなどの柑橘類の苗木を植えた。パッションフルーツとパパイヤも収穫。ちょうど海下りの日だったのでオバアと一緒に名蔵湾でもずくをたくさんとった。夏には台風で倒れたハイビスカスやアボカド、グァバの木を地面から起こして、今後の台風対策として鉄パイプを組んでがっしりした支柱を立てた。パインとグアバ、大風に耐えたバナナも収穫した。次回はいいよいよマンゴーを2株植える予定。そろそろドラゴンフルーツの棚も組み立てなくては。近いうちにオバアに会いに行こう。 ●島バナナ 風速40メートルを超す暴風雨に耐え救われた完熟直前のバナナと未熟なまま力尽きたバナナ。樹上完熟バナナは少し酸味があって美味しい。バナナは皮をむいて1本ずつ冷凍もしている。バナナをつぶして生地に混ぜて焼いたバナナブレッドは朝食の定番。切り倒した茎から取り出した黒い虫が多分、憎っくきバナナゾウムシ。切り倒す以外に有効な防除手段はないのであきらめるしかない。 ●パパイヤ 何だかおかしな実の付き方をしているパパイヤ。一番大きい実を収穫して食べたけど大味であまり美味しくなかった。野菜パパイヤ疑惑が浮上している。パパイヤにはフルーツパパイヤとサラダやチャンプルーに使う野菜パパイヤがあるが、これは確かにフルーツの方の苗木だったハズ。小さい実の群れは半分くらいたたき落とした。 ●グアバ グアバもカラスが狙っているので早めに収穫。まだ早いかなと思ったけど意外と美味しかった。 実の小さなストロベリーグアバは石のように堅く、一向に熟す気配なし。一体何なんだこれは。 オバアは見込みがないから抜いた方がいいと盛んに勧める。せっかく実をつけたのだからと先延ばしにしているが、日当たりのいい一等地なのでマンゴーに植え替えようかと思案中 ●シャカトウ 一番栽培したかったのがこのシャカトウ。実はねっとりと濃厚な味、森のアイスクリームと呼ばれている。成長がすごく遅くてもうダメかと思っていたら突然成長を開始して、小さいながら実を3個もつけた。頭のごとく堅いけどもぎ取ってきた。 ●パッションフルーツ トケイソウ、つる性なのでつるがネットを這い回り収拾がつかなくなってしまった。仕方なく思い切ってバツバツ剪定した。今年は実がつかないかなと思ったら、きれいな花が咲いて実がたくさんなったので収穫。これまで食べたパッションの中で最高の味!収穫しきれなかった分は茶色く乾燥してしまった。 17年2月、植えつけが終わった箱庭。水やりしているのがまさこオバア、ホースを囓っているのはマリ・クレール。14ヶ月後の18年4月、ほぼ同じ場所だけど見違えるよう。黒マルチを外して通路には貼り芝をした。目がはなせない。
今年の敵 その1 春うらら、温室で簡易椅子に腰を下ろして種を播く。まだ日差しは弱いけど長い冬のはてにやって来た至福の時間だ。 野菜、ハーブ、花、冬の間に集めた種を育苗トレーや3号のビニールポットに埋めていく。頭の中は夏の菜園の様子でいっぱいだ。 インゲン豆とひまわりの植え場所を巡って真剣に思い悩む。両者とも菜園の壁として菜園の表情を決める重要な役割を負っている。インゲン豆は食卓の常連という訳ではないが、濃い緑のティピは菜園には欠かせない。ひまわりは実用性こそ皆無だが、夏を感じさせるばつぐんの装飾効果がある。実質一辺倒だった10年前だったら地面の浪費以外の何物でもないひまわりをこんなにたくさん栽培するなんて思いも寄らなかった。 今年はゴッホのひまわり、東北八重(おしんみたいでついセレクト、実際はトーホク種苗の八重咲きひまわりというきわめてシンプルなネーミングなのだが)矮性ミックス、サンフレームなど数種類の種を播いた。バラ及び白や紫の花を頂点とする英国式庭園花ヒエラルキーにおいては最下層に分類されるであろうひまわり、否、ピラミッドに組み込まれることもないだろうひまわり。 でも最近では残り少ない人生、そんなヒエラルキーに惑わされずに栽培したい花を好きなように栽培するのだと開き直っている。今年はカンナやダリア、ルドベキアやオレンジ単色のキンセンカも栽培することにした。矮性ひまわりの黄色い花とオクラの濃い緑のコントラストを思い描いてウットリしているのである。 50種類を超す種をまき終えて今日の作業は終了。野菜半分、ハーブと花が残り半分といった割合だろう。 翌日、朝一番に温室に向かう。外気温は10度以下、でも温室に一歩足を踏み入れるとぽかぽかと気持ちがいい。まだ発芽しているはずもないけど、昨日種を蒔いたポットの集団を見て回る。 ひまわりの所で足が止まった。ゴッホのひまわりの種を播いた3号ポットの土が掘り起こされて、青く着色された種皮があちこちに散らばっているではないか。あー、やっぱり。昨日、育苗トレーの隙間を横切った影を目の端にとらえたのである。一瞬ネズミかもしれないと思ったけど、気のせいということにして忘れることにしたのである。 やはりネズミだったのか。ゴッホほどではないけど他のひまわりも掘り起こされている。ただちにホームセンターに飛んでいって業務用ネズミ捕りを購入した。 冬の間、野鳥のえさ台の下をうろちょろするネズミが気になったので、これを仕掛けたところぽつぽつとエゾヤチネズミがかかっていた。野鳥がこぼしたひまわりの種を食べに来たのだろう。 ネズミだって猛禽類やキツネのえさとして自然界ではちゃんと役割を担っているわけだから殺生は慎みたいところだが、積もった雪にトンネルを掘って縦横に動き回り、ブルーベリーの樹皮を囓るので農場では大敵なのである。 被害状況を調べてから、被害を免れたひまわりのポットのそばにネズミ捕りを仕掛けた。 昼間、何度か様子を見に行ったけど夜活動するのだろうネズミ捕りは空だった。 翌朝、温室に直行した。奥の方に仕掛けたネズミ捕りを見に行く。うっ、思わず息をのんだ。折り重なるようにして数頭のネズミがはいっていたのである。最後の1頭と覚しきヤツはまだピクピク動いている。冬の間は1週間で1頭、多くて2頭程度の成果だったのに一晩にしてこんなに大勢のネズミがかかるとは。 予想外の事態にうろたえてしまった。推測するに箱から漂うおいしそうな匂いに惹かれた母ネズミが箱に入ったものだから、子ネズミたちが我も我もと母の後を追ったのだろう。 箱の底には粘着テープが貼ってあり、箱に入ったら最後、テープに足を取られて2度と箱から出られないような仕掛けになっている。数えてみると6匹のネズミがかかっていた。一家惨殺、あまりの惨状に手がつかず、頼んでは山の方に捨ててもらった。 種子の被害状況を見て回ると、ひまわりは半分程度、紅花はほとんど食い荒らされ、大豆にも若干の被害があった。他の種子は無事だった。 ひまわり、紅花、大豆といえばどれも種子から油を絞る植物である。ひまわり油、紅花油、大豆油、その種子はどれも油分を多く含んでいるのだろう。 ネズミも大したもんだ。たくさんある種子の中から栄養価の高い油源種子ばかりを正確に狙っている。敵ながらあっぱれ、母ネズミが子ネズミたちに食べるべき種子を教えている最中に起きた惨事だったのかもしれない。 ひまわりと紅花の種をまき直した。色々なひまわりの種が混じったミックスの中では特定の種子だけが食い荒らされていた。ネズミの油センサーの精度に改めて脱帽。ネズミ一家絶滅騒動の後、温室に平和が戻った。 今年の敵 その2 今年は一念発起して真剣に野菜を栽培することにした。 いつもは収穫よりも風景を重んじてきたので、収穫についてはそれほど気にかけていなかったのである。新鮮で安全な野菜が食べれればいいやとそれで満足していたのである。 しかし、冷凍ストッカーの導入を契機として、冷凍野菜の実力を認識するにいたった。トマトだって、青菜だって、ブロッコリーだってどんなにたくさん実っても大丈夫、廃棄することはない。せっせと収穫してせっせと冷凍すれば、次のシーズンまで豊かな食生活を送ることができる。 今年は去年冷凍したトマトを6月に使い切った。スープやソースなど加熱原料としてとても重宝した。 冬に焼きナスやオクラ、万願寺唐辛子を煮浸しにして食べた。菜園で収穫したナスはせっせと焼いて焼きナスに、万願寺はオーブンでサッと焼いて冷凍保存しておいたのである。ツルムラサキ、モロヘイヤ、ハンダマなどの青菜は凍ったままパキパキ折ってスープに加えると緑豊かな野菜スープができる。 青菜類もほとんど毎日使ったけど春先までもったのでとても重宝した。しなびたほうれん草や小松菜に手を出さずにすんだのである。 というわけで、最近、美しい風景と併せて増産という目標が菜園仕事に加わったのである。増産という観点からするとまだまだ学ぶべきことが多い。 温室で種蒔きして発芽した苗は、いつまでも温室に置いておくと、積算温度の関係だろうか、地面に定植しても株が成長しきらない内に花が咲いて実ってしまうのである。 著しく早熟になってしまう。その代表選手がスィートコーンで、背丈は低いのに花を咲かせて実を結び、夏を待たずして完熟してしまう。短い軸にバラバラついた実は味はいいけど量が少ないから物足りない。 毎年、美味しいからそれでもよしとしてきたのだが、今年は発芽後、昼間はポットを温室の外に出し、夜は取り込んで苗を育てた。そして30cmにも満たないなよなよした苗を菜園に定植した。 するとどうだ、8月には背丈は2メートルをはるかに超え、見惚れるばかりの立派な玉蜀黍が結実したのである。といっても普通ののスィートコーン並みということだけど。 教科書通りにヤングコーンは間引きして一株一実を心がけた。間引きしたヤングコーンはもちろん冷凍、ヤングコーンの絹のようなひげが美味しいというネット情報に従い、サッと茹でて食べてみたが、取り立てて美味とは言いがたかった。サンマははらわたが一番といった類いの思い込みだろう。 スィートコーンはひげが茶色くなったら収穫する。実はぎっしりついているのにひげは白っぽいままでなかなか茶色くならない。48株植えたのだが、一株の欠損もなくぷっくりと膨れた大ぶりな実が48本、収穫の日を待っている。明日こそ、明日こそと楽しみに待っていたそんなある日、皮がはがされて実が露出したコーンを発見した。実がつつかれた様子もある。 ヒヨドリに違いない、今年はヒヨドリが群れで農園に居付いてしまい、ブルーベリーやイチイの実をつつき回っていたのである。彼らに気づかれてしまったらおしまい、どうにも手の施しようがない。でも48株もあるんだから少しぐらい分け与えてやってもいいだろうと鷹揚に構えることにした。 数日留守にしたので菜園から足が遠のいていたのだが、久々に菜園に出向くと目の前には惨憺たる光景が広がっていた。楽しみにしていた玉蜀黍がほとんど倒されて、実がきれいに食べられているではないか。こうまでされるとヒヨドリの仕業とは言いがたい。害獣として話題になっているアライグマの仕業に違いない。 以前、冬期間休業していたホテルドロームを荒らし回ったテンを捕獲するための害獣捕獲用のかごが倉庫に眠っていたので、それを引っ張り出した。魚肉ソーセージを餌にしてなぎ倒された玉蜀黍の真ん中にかご置いた。 かごを置いてからまた出かけてしまったので、玉蜀黍の件はすっかり忘れていると、旅先に写真が送られてきた。捕まったタヌキがかごの中で可愛らしい顔をこちらに向けている画像だった。 犯人はこれだったのか? このタヌキが真犯人かどうかは特定できないもののこういう類いの害獣の仕業だったのである。 48本あったコーンは結局1本も口にすることなく幻のコーンに終わってしまった。でもタヌキを恨む気持ちなどサラサラない。手間をかけて愛情を注いでやれば、タヌキも認める立派なコーンが実るのだと確認できた。それだけで十分、今年栽培したのは「ゆめのコーン」だったけど、来年はもっと糖度の高い「ゴールドラッシュ」で再挑戦しよう。 いつもの直売所に行ってゴールドラッシュないと聞くとおじさんが畑に走ってもいで来てくれた。猛スピードで家に戻って、熱湯に放り込んで茹でたコーンの美味しかったこと。コーンの旨さは収穫してから口に入れるまでのスピードで決まる。品種や栽培法による違いもあるだろうが、それは味の好みの問題で決めては絶対にスピードなのである。 ネズミとタヌキ、来年はどんな新顔が現れるのか、ちょっと楽しみでもある。 青菜の威力 台湾やタイの食堂のメニューには必ず「青菜炒め」がある。空心菜、ハンダマ、ツルムラサキ、バイアム、青梗菜など素材となる青菜は様々だが、私の知る限りでは青菜炒めには一種類の青菜しか使われない。ハンダマだったらハンダマ、空心菜だったら空心菜のみ。肉などタンパク質系の素材はおろかや他の野菜を炒め合わせることもしない。 辛うじてニンニクが使われる程度なのである。日本で野菜炒めというと白菜、玉ねぎ、にんじんなど複数の野菜にキノコ、肉などを炒め合わせることが多い。色とりどりで美しい。 海外の食堂で青菜炒めを食べるにつけて、その魅力に惹かれるようになった。青菜と塩だけで十分美味しいのである。日本ではシンプルな青菜炒めがなぜ一般的ではないのか? ずっと不思議に思っていた。以下推測。 台湾やタイでは一年中青菜が生えているからちょっと摘んできて炒めれば手軽におかずが一品増える。沖縄でハンダマの種を探していたら、あれはそこらに生えているものだから種なんかないと言われた。なるほど熱帯、亜熱帯地方では青菜は限りなく雑草に近い作物なのかもしれない。 日本で青菜といえばほうれん草や小松菜。しかしそれらは雑草ではなく立派な野菜なのである。ほうれん草なんて気むずかしいから栽培も難しい。中華鍋いっぱいのほうれん草はずいぶんと高価なものになってしまうから気軽にもう一品というワケにはいかない。加えて「柔らかい」が食の重要なキーワードになっている日本では、野菜も柔らかく柔らかくという方向で改良されてきたのか、総じて葉が柔らい。青菜炒めはしゃきっとした食感が大切だから葉が肉厚でしっかりしている青菜の方が向いている。 雑草に近い青菜を年中、気軽に摘める熱帯、亜熱帯の地方とは違って、日本では青菜は冬の保存食、漬け物として利用されてきた。野沢菜漬けを筆頭に壬生菜漬け、カラシナ漬けなど日本各地には地方色豊かな青菜の塩漬けが存在する。青菜は炒めて食べる野菜というよりも漬け物として保存する野菜という方向で改良されてきたのかもしれない。だから色とりどりの野菜炒めはあっても、シンプルな青菜炒めにはあまりお目にかからないのだろう。 空心菜でもバイアムでも単独青菜炒めは美味しい。ニンニクを隠し味に塩を振りかけて炒めるだけで十分に美味しい。 しかし炒めものに適した青菜は入手が難しい。それで数年前から青菜を栽培している。最初はツルムラサキだけだったけどハンダマ、雲南百薬(おかわかめ)が加わり、モロヘイヤが加わり、空心菜、バイアム(おかのり)が加わって、今では菜園の一大勢力を形成するに至った。 雑草に近いから栽培はすこぶるかんたん、雲南百薬とハンダマは種が入手できないから苗を取り寄せるけど、他の青菜は種を播いて育苗して菜園に定植して育てている。気持ちいいくらいどんどん成長する。毎日摘み取っては青菜炒めをこしらえる。 摘んできた青菜はサッと洗って中華鍋にニンニクと一緒に放り込み、日本酒をたらりと垂らして塩を加えてフタをする。野菜の水分で葉が柔らかくなった(生ではなくなった)ら取り出して皿に盛る。この間2分。箸が進む。大量に摂取できるから体にもいいような気がする。 今日はバイアム、明日は空心菜というように素材を替えれば毎日食べても飽きない。万一、飽きてもサッと湯がいてナムル風にしたり、鰹節をかけて和風お浸しにすれば目先が代わって美味しく食べられる。 青菜バンザイの今日この頃なのである。 都会の洒落たエスニック料理店のメニューにのっている空心菜炒めなど軽く1000円は超す。腹が立つからもちろん注文などしない。そもそも空心菜はヒルガオ科の野菜、本家のヒルガオといえばガーデンの最大の敵、その生命力の強さたるや尋常ではなくちょっと油断しようもなら手近な作物に巻き付いて空を目指すのである。 貪欲なその血をひいているからだろうか、空心菜も頑強そのもの、ヒルガオに似た葉はグングン伸びる。摘んでやらないと葉は20cm近くにも生長し、これも食用分である葉柄と合わせると30cmを超す長さ、可食部分が非常に多く効率がいい。(最近台湾で食べた空心菜はまだ若くて半分くらいのサイズだったが) 何でこんなに有用かつ手間のかからない青菜が普及しないのか不思議でならない。 ツルムラサキ、ハンダマなど他の青菜も同じようなものだ。今年はツルムラサキのツルを収拾がつかなくなる前にせっせと摘み取って食べたから割合おとなしくしているし、雲南百薬も株数を控えてつるをこまめに切り取ったおかげで緑のカーテンぽく美しく生育している。 菜園と想像力 菜園に苗を定植するのは楽しいものだ。収穫と並ぶ一大イベントともいえる。あらかじめ計画をたてて植えつけ予定図などを手に菜園に向かうけど、結局は出たとこ勝負、ナス科の作物や豆科の作物を連作しないように心がけるくらいのものだ。5区画あるから順々に回していけばいいのだけど、時々、スナップえんどうとトマトを同じ区画で栽培したり、そら豆の後方にナスを植えてしまうからややこしいことになる。教科書に従えば、翌年はその区画には豆科植物もナス科野菜も植えられないことになってしまう。 それでもまあいいか主義で細かいことは気にせずに大切に育てた苗を植えつける。 しかし植えつけ前の菜園は、菜園とは名ばかりでそこはただ土の原である。作物を植えて初めて畑とか菜園とか呼べるわけで、何も植わっていない土の原はまことに冷涼としている。堆肥や石灰などを施してもやはりタダの地面である。 教科書には株間何cm列間何cmに植えなさいよ、と野菜ごとに目安が示されている。 しかしそれを守る勇気はない。畑とは呼べないただの土の原を前にしてどれだけの人がそのルールを守れるだろうか。だって茶色の冷たい土に小さな苗が心許なげに佇んでいるのである。守れるとすればそれはよほど無慈悲で意思の強い人だろう。 こんなに小さな苗をこんなにスカスカに植えて大丈夫だろうか? スカスカ部分が雑草の巣となって苗は雑草に負けてしまうのではないかという不安がよぎる。 で、不安から逃れようとしてスカスカ部分にバジルを植えてしまう。ルール破りである。なるほど地面を眺めればバジルが加わったことでスカスカは幾分解消し、バランスがいいように見える。ルールでは1メートル四方に1株だけど2株植えてもたいして問題はないように思える。今は。 夏の菜園を想像してみよう。植えつけられた苗は地面を2次元的に占有するだけでない。成長に伴い空間も占有するのである。作物はたいてい紡錘形に広がっていく。3次元的にみれば地面と合わせて空間ももはや売約済みなのである。1メートル四方に1株というルールには将来的に占有するであろう空間も含まれているのである。ということに足の踏み場もなくなった夏の菜園に佇んでようやく気づくことになる。 よし来年こそは苗の本数を半分に減らして、通路を確保するとともに使い勝手も見栄えもいい菜園にしよう。と去年も誓ったはずなのに。 今年気づいた新事実 何年経っても菜園には、毎年毎年新しい発見がある。 ●ナスタチュームの拾い苗は止めた方がいい。 春先に前年のこぼれ種から芽吹いたナスタチュームを鉢上げするのを無上の楽しみとしてきた。しかし今年、そうした拾い苗は葉ばかり茂って花があまりつかない、ついても時期がすごく遅い、ということにようやく気づいた。 以前から薄々感じてはいたのだが、今年はその事実が確定的となった。植物学の初歩なのかもしれないけどこれで春先の楽しみがひとつ消えてしまった。 ●苗はできるだけ自分で育て方がいい。 少なくともオクラ、ゴーヤー、ツルムラサキ、そら豆、スナップ豌豆、大豆、インゲン豆、スィートコーンについては温室で種を播いて育てた苗の方が市販の苗よりもずっと生育がいい。オクラなどは早く定植したい一心で、本州から苗を取り寄せてしまうのだが、碌なことにはならない。きっとこの土地で育ち、この土地の気候に徐々に順応した苗の方がこの土地にはいいのだろう。 そら豆1 ホームセンターで見かけた苗をつい購入してしまった。 そら豆2 去年沖縄で入手したトウマミの種が残っていたので温室で育苗した そら豆3 早生の春植えブロードビーンの種をイギリスの種苗会社から取り寄せて温室で育苗した。 そら豆は低温に合わないと花芽がつかないというので、発芽後は昼間はポットを温室の外に出して、夜は取り込むという手間をかけてやったところ、苗はスクスクと育った。 そして結果は1,2,3とも同じ、これまでになくたくさんのそら豆がほぼ同時期に収穫できた。沖縄のトウマミもイギリス生まれの早生ブロードビーンも生育のスピードも花もマメの付き方もその味も少しも変わらないという新発見。 ●収穫適期 収穫は楽しい。この日のために栽培してきたのだからそれは当然だけど、作物によっては楽しいと思えない収穫もある。その筆頭は芽キャベツだろう。長く伸びた軸からひとつずつ芽キャベツをはがすのは力がいるし、退屈この上なく少しもおもしろくない。これが至上の美味なら話は別だが、芽キャベツはハッキリ言うと不味い。小さくて可愛らしいキャベツというところに芽キャベツの唯一の存在価値はある。30歳を超えた息子たちが芽キャベツの収穫だけはイヤだったなーといまだに訴えるほどだ。無理もないと思う。ここ10年くらいは芽キャベツから遠ざかっている。 最近、菜園でキャベツを栽培するようになったが、芽キャベツの親分たるキャベツの収穫も楽しくない。地面すれすれに伸びた短い茎からキャベツの玉を切り取るにはすごく骨が折れる。カタログで見つけた収穫包丁なるものも購入したのだが、頑強な茎の前にあえなく退散。鎌やら剪定ハサミを動員して土まみれになったキャベツを何とか切り取ってきた。 しばらく北海道を離れるので菜園にある9個のキャベツを収穫することにした。中玉と小玉サイズだが花を咲かせてしまうよりはましと思い、収穫包丁でトライする。すると包丁は小気味よくスパッとキャベツの玉を切り落とした。刃を研いだ覚えもないし、包丁が心を入れ替えた形跡もない。はたと気づいた。 そうか、これまでは玉が割れる寸前の大玉を収穫していたから茎が堅くなり、この収穫包丁の刃では無理だったのか。 包丁が気持ちよく働ける時こそキャベツの収穫適期なのだ。 収穫期は包丁に相談、これからはそうしよう。 石垣島箱庭果樹園 7月 7月の半ばと8月の終わりに石垣島に行って来た。3年したらジャングルというあの言葉は決して大げさではなかった。パッションフルーツはからみ合ったツルが小ジャングルを形成していたし、2月には膝丈だったバナナが7月半ばには3メートルを超して巨大化し8月には花まで咲かせていたのである。 私の不在中、正子おばあが手下たちに指令を出して世話をしてくれた賜物である。 ●喜屋武さんがパッションフルーツの棚に漁網をかけてくれた。 海人の弟さんからもらったという漁網がドーム型の棚に被せてあった。漁網というからごつい網を想像していたのだがそうでもなくてひと安心。パッションのツルが縦横に這い回っているので網本体はあまり目立たない。 網があって本当に助かった。これがなかったら、収拾のつかない事態に陥っていただろう。せっせとパッションのツルを伐る。これが今回のメインの仕事になった。 暑い。それにしても暑い。色々用事を済ませてから箱庭に到着したのは10時頃。パッションの剪定を始めたけど30分もしないうちにあまりの暑さにギブアップ。暑さと湿気が体にまとわりつくのである。気がつけばあたりに農作業の機械音はなく、もちろん人影もない。 おばあに聞くと今の時期は、ワーキングタイムは朝はせいぜい9時まで、夕方は4時からだそうだ。熱中症を警戒してすごすご退散。田代さんとランチに行ったり、いつもの林道を走り回ったりして日が暮れるのを待つ。 暑さもピークを越えたようなので、箱庭に戻ってパッションのつるきりを再開。メインの茎を探し当てて3本仕立てにすることにした。入り組んだ枝やツルをバツバツ切り落とす。最初のうちはこわごわ少しずつ、次第に大胆になって切り落としたら大丈夫? と心配になるほどスカスカになった。 夕食はおばあと一緒にうみの花へ、パパイヤの煮付けが珍しかった。 ●喜屋武さんが漁網かけのついでにドラゴンフルーツの苗も植えておいてくれた。 翌日は6時頃、箱庭に到着。ようやく日が昇った。昨日メークマンで買った肥料を箱庭の周りに植えたローズマリーやハイビスカスなどの根元にばらまく。切り落としたパッションの枝でマルチをする。 ドラゴンフルーツはサボテンである。ローズマリーとは反対側、ランタナの後にドラゴンが20株近く植わっていた。喜屋武さんが1週間ほど前に植えてくれたそうだ。それは苗というより地面に刺さっているサボテンの切れ端といった方が正確かもしれない。 切れ端はだいぶ年数が経っているように見える。若干枯れているようにも見える。でも信じよう。あのショッキングピンクの特異な実がたわわに実る日を信じよう。 ドラゴンの周辺の草をとり、生い茂るセンダングサを刈って、肥料を播く。ローズマリーと同じようにパッションの枝でマルチをして優しい言葉をかけておいた。 午後、シャンティガーデンの神田さんの家に寄った帰り道、おばあがパパイヤを取りに寄り道するという。それは道ばたにある主人のいないパパイヤの大木で、実がたくさんついている。鳥につつかれている実も多いので、ひとつずつ調べながらビニール袋に詰め込んだ。重たい、けどまだまだ実はたくさん残っている。時々肥料やるから私のものとおばあは笑う。パパイアはシリシリにしたり、煮物に使うそうだ。 そういえば途中、アイスを買いに寄った食料品店で野菜マンゴーなるものを発見した。 84歳になるおばあでさえ初めて見るという。見かけは紛れもなくマンゴーなのに一体どこが違うのだろう。店番のおばあに尋ねても要領を得ないのでとりあえず一袋購入、2個入りが100円だった。(北海道で食べたけど野菜マンゴーはユラティク市場で購入した普通のマンゴーと変わらなかった) 翌日も朝早くから箱庭で仕事。周辺部のオオギバショウ、ランタナ、ハイビスカスに施肥、パッションのつるきりを続行。 田代さんとランチを約束をしていたので慌てて町に向かう。と車をぶつけてしまった。 ウーンまずい。おばあが娘さんたちに声をかけて「まぶいぐみ」をやってくれた。 「魂込」動転して行方知れずになった私の魂を探して元に戻す儀式だという。車のそばで彼女たちが大声で「ウドさーん」と叫ぶ。私も大声で「はーい」と応える。何度か繰り返して終了、そこに落ちている石を拾うのが慣わしという。私も石をいくつか拾ってポケットにいれた。こうして魂は無事に戻って落ち込みから回復した。しかしそれ以降、おばあは私にハンドルを握らせてくれなかった。 最終便で那覇に飛んで翌日、辺野古に行く。考えることがたくさんあった。キャンプシュワブの前に設置された団結小屋でダンプや機動隊の動きを見張ることになっている。動きがあればキャンプゲート前に座り込むべく待機する。今、権力にとってはこの小屋こそ日本一目障りな構築物だろう。 死に体にある日本の民主主義を辛うじて支えているのがキャンプに対峙するかのように立てられたこの粗末な構築物だと思った。 石垣島箱庭果樹園 8月 いろいろないきさつがあって何と仁木一家と台湾経由で石垣島に行くことになった。3世代である。チケットもホテルも気にしない旅なんて初めての経験。 台湾では台南郊外の玉井というマンゴーの産地に行った。以前から行きたいとは思っていたが、いつも蝶の季節に合わせて夏は避けていたので行けなかったのある。 玉井に近づくと斜面にはマンゴーの畑が目立つようになり、市場には各店ごとにかごに盛られたマンゴーがズラリと並んでいる。壮観の一言。 定番の巨大マンゴーかき氷を食べたあと市場を巡回、販売はかご単位だそうだが、無理をいって4個分けてもらう。生マンゴーは日本には持ち帰れない。おばさんが5本の指を出しのでてっきり500ドル、日本円で2000円かと思ったら50ドル、200円だった。何と1個50円、どこに出しても恥ずかしくない立派なマンゴーである。 仁菜の好物だとういうランブータンも購入、市場から少し離れた露店でドリアンを発見、マンゴーに比べるとかなり高いから輸入品なのだろう。でもそうそうお目にかかれるものではないから1個購入する。店のおばさんに頼んでその場で割ってもらう。ホテルには持ち帰れないからここで食べるしかないのである。 奥から出てきたおじさんがナイフで半分に割る。ふたりで何か話している。話の内容は不明だが、どうも表情から判断すると割ってはみたもののまだ未熟、少し早かったようだ。どうしようか? このまま渡す? 悪いから別のを割る? でも高いしなー。よし、せっかくだからもうひとつ割ろう。多分こんな会話が交わされたのだろう。ドリアンの山から別のを選んで割ってくれた。今度のはOKのようだった。 食べやすいように8等分くらいにして、袋に入れくれた。 あつみさんとふたり、店の前にあったイスに腰を下ろしてドリアンを食べる。袋の中には悪臭が充満している。袋から果肉を取り出して口に運ぶ。まだ未熟のようで匂いもキツくない代わりに味ものっていなかった。別の取り出して食べる。十分熟した実は匂いも味も強烈だった。実は人工的な感じがして私が果物に求める風味とはかなりの隔たりがある。これならシャカトウ系のチェリモヤやアテモヤの方がいい。匂いを乗り越えて食べるほどではないと思った。こういう経験ができるのが複数人で行く旅のおもしろさなのだろう。ひとりじゃいくらなんでもドリアンには手が出ない。 このドリアンの山はいつかはなくなるのだろうか。このあたりでもそんなに愛好者、物好きがいるのだろうか、と心配になった。 マンゴー市場の光景は確かに壮観ではあったが、その光景はネットの情報サイトで何度も見たものだ。情報が不足していた20年くらい前だったら、台南の郊外にマンゴーの産地があってすごいらしいよ、(地図を取り出して)でもどうやって行くんだろう。台南の観光案内所で聞けば分かるかも、というような手続きを経てようやくたどり着いた玉井の市場でこのマンゴーの光景を目にしたらものすごく感動しただろう。すごーい、すごーいとはしゃいで店を一軒ずつ観察し、写真をたくさんとり、それでも離れがたくて日が暮れるまで周辺を歩き回って、最終のバスに乗り遅れそうになったかもしれない。 あの頃とは確かに感動の質が変わった。もう初めて目にする光景なんてほとんど残っていないのかもしれない。旅は「発見する」から「確認する」へと変わったのかもしれない。帰りのバスの中でそんなことを考えた。 ●バナナの花が咲いていた。 台湾経由で石垣島へ。見上げるほどに成長したバナナに早くも花が咲いていた。あの花は果たして実をつけてくれるのだろうか。バナナすごーいと喜んでいるとあれは草だから成長は早いけどゾウムシが入ったらいっぺんで終わりだからねと何人かの人に釘を刺された。10cmほどの島バナナは小さいながら適度な酸味があって美味しい。島で島バナナをずっと食べていたら癖になって北海道でもバナナを買ってみたけどまるで違った。未熟果を人工的に完熟させるのと完熟した実をとって食べるのとの違いだろうか。ともかく楽しみなことだ。 ●パッションフルーツのつるきり 前回、あんなに思い切りよくツルを伐ったのに棚はもうジャングルと化していた。前にも増して思い切りツルを伐る。石垣島でパッションのつる切りを体験して以来、北海道の菜園でもツルムラサキや雲南百薬、胡瓜やゴーヤーのツルをどんどん切り詰めるようになった。おかげで例年に比べて菜園がスッキリしたように思う。 ●整備進む
雑草よけのために箱庭全面に張り巡らした防草シートがはがされていた。幼かった苗木が雑草に負けないようにと植えつけの時に張ったものだが、苗木もだいぶ成長したからもうはがそうねとおばあと相談していたのである。 防草シートは雑草は防ぐけど、水の浸透は妨げるし、黒いから熱を吸収して地温を上げるという弱点もある。あースッキリした。時々草刈り機(こちらではビーバーという。ビーバーいう商品名が刈り払い機全体を指すようになったのかもしれない)で雑草を刈れば大丈夫だろう。 ●台風対策 箱庭の果樹の中でもとりわけ期待をかけているのが、アボカドとシャカトウ。これらの木の周囲をパイプの枠で囲い、幹とパイプをヒモで繋いで強風に耐えるよう神田さんに補強してもらった。木に添わせる1本の支柱と違って四方向から木を支えることになるからずいぶんと強力な台風対策になるだろう。最近植えたビリバ(シャカトウの仲間らしい)も補強。これでいつ台風がやって来ても大丈夫のハズだが、今年は大きな台風はまだ来ていない。備えあれば何とかで、ひと安心。 ●雨が降らない 今年の夏は気温が異常に高くて雨量が少ないらしい。いくら水をやっても地面はカラカラ、ザッと降ってすぐに止んでしまうスコールのような雨やぽつぽつ程度の雨は降るけどまとまった雨は降らないという。それで水をたっぷり撒く。ついでにHB 101を全員に施す。少しは元気になってくれると嬉しい。 辺野古に行こうと思ったけど旧盆で抗議活動はお休みだった。次回はぜひ。 石垣島箱庭果樹園 3月 3/21 石垣島 1日目 東京から石垣島へ直行して夕方到着。田代さんが空港まで迎えに来てくれた。天気よし。気温25℃くらい。「海のはな」で夕食をご馳走になる。とれたてマグロのカルパッチョには新鮮なチャービルが散らしてある。島らっきょう、カブ、パプリカをオリーブ油で焼いた焼野菜のサラダ。グリルした島らっきょうは初めて食べた。甘さもうま味も増して生や天ぷらとはひと味ちがった美味しさを堪能。 3/22 石垣島 2日目 曇り 早速、建設途中の箱庭果樹園に行く。正子おばあといろいろ近況を報告しあっているうちにお昼近くになってしまった。これはいけない、箱庭果樹園を巡回。前回植えた苗のうち1/3位が瀕死の状態だったけどまあ想定内の結果。冬にしては風が強かったらしくてあちこちで防草シートがめくれ上がっていた。箱庭の一番奥には頼んでおいた水道が新設され、蛇口にはホースがはまっていた。試しに蛇口をひねると、勢いよく水が迸る。おばあが知り合いに工事を頼んでおいてくれたのである。 お昼をご馳走になった。最近害鳥に指定された野鳥が手に入ったので煮物にしたという。 「カモ?」「カモじゃなくて首の長い鳥、何だっけ。」 クジャクが繁殖して困っているという話を聞いたことがあるので、もしやクジャク?それともあの憎っくきヒヨドリ?どっちにしても積極的に食べたいとは思わない。鍋をのぞくと肉は原型はとどめていないものの皮の部分に残る密な毛穴から推測すると確かにジビエ。冬瓜、大根、結び昆布と一緒に煮てある。丼によそってスープをたっぷり注いで、テーブルにあった塩コショウを入れて食べてみた。スープは鶏より幾分あっさりしている。生姜を加えて煮込んであるせいか、肉にはイヤな匂いもなく味に癖もない。けれどやっぱり野鳥の種類が気になる。煮物のおかわりを勧められたけど、大皿に盛られたソーメンチャンプルーを褒めちぎり、何だかんだごまかしてごちそうさま。 そこに娘の友子さんがやって来たので、挨拶もそこそこに煮込まれた野鳥の正体について尋ねるとクジャクでもヒヨドリでもなく「キジ」であることが判明した。出るところに出ればキジは高級食材ではないか。 安心はしたけど大鍋いっぱいの煮物は、二人で食べてもゆうに1週間分はあるだろう。 昼食後、前回植え残したハイビスカス用の穴を掘った。箱庭の周囲を囲んでいるオオギバショウの手前に植えるつもり。オオギバショウは成長が早くて風よけには最適だが、バサバサして見栄えがよくないからそれを隠す役割をハイビスカスに託すことにしたのである。赤い花の咲くハイビスカスを選んだ。赤い花にはオオゴマダラや各種アゲハ蝶がやってくる。 15個穴を掘ったら、薄暗くなったので本日の仕事は終了。 キジスープの夕食の誘いを断って、おなじみのファーマーズマーケット「ユラティク市場」に直行した。トマトもたくさん、ゴーヤーもオクラも一式そろっているが、特に青菜の類に並んでいる。嬉しくなってつい大量に買い込んでしまった。サラダ春菊、フェンネル(根の部分、日本では初めて見た!)菜花、ツルムラサキ、ハンダマ、パクチー、島らっきょう。ホテルでサラダにして食べるつもりだが、どう考えたってこんなに大量の青菜を消費できるわけがないのにその新鮮さと安さに惹かれてつい買ってしまった。食べ頃のパパイヤとスナックパインも購入。ズシリと重たい。 苗売り場をのぞくとこれまた魅力的な苗が並んでいた。ぐっと我慢してコーヒー4株、山椒と夜香木を購入。実がついたピパーツもあったけど心を鬼にしてこれはパス。食料品店でアカマチの刺身とまだ温かいできたてのゆし豆腐を購入して石垣らしい夕食楽しんだ。 3/23 石垣島 3日目 曇り 早めにホテルを出発してハイビスカスの苗を預けてあるシャンティガーデンの神田さんの農場に向かう。遠回りだけど79号を東シナ海沿いに北上、途中川平の先でおなじみのトミーのパン屋に寄って朝食用のパンとお土産用のパンを購入して海を眺めながら焼きたてのチーズパンをほおばる。 10時前に桴海の農園に到着。元気のない苗を植え替えたかったので苗木をみせてもらう。神田さんの勧めに従ってパッションフルーツ2株、グアバ2株、パパイヤ1株、ジャックフルーツ1株、ビリバ1株を購入。魅力的なトロピカルフルーツの苗が所狭しと並んだビニールハウスは私の目にはまるで宝箱のように映る。四方山話のあと苗を車に積んでおばあ宅に向かう。 おばあは昼食を用意して待っていてくれた。もちろんあのキジスープ、スープが昨日より美味しくなっていたのは、おばあが加えた味噌のおかげ?まだ5日分はあるな。 食後、シャンティーガーデンから持ち帰ったハイビスカス15株と昨日、ユラティクで購入したコーヒーの苗木を植えた。 今日のメインはローズマリー。去年の冬にバラビドの園芸市で購入した2株のローズマリーを正子おばあに預けておいたら、挿し木で30株に増やしてくれていた。ありがたい、緑の指の保持者であるおばあの手にかかると魔法のように苗が増えていく。 30株の苗は定植するにはまだ幼かったので親木の2株だけ植えることにした。 思えばこの「箱庭果樹園」プロジェクトはローズマリーから始まったのである。 20年近く前、50歳を記念してイタリアを旅行したときにミラノの町で住宅街に迷い込んでしまった。いつも野菜やハーブの種を取り寄せていた種苗屋さんを探していた時のことだと思う。日本でいえば小田急線沿線の静かな住宅街といった雰囲気で大邸宅というほどでもないけど庭付きの邸宅が並ぶ一画だった。歩いているとハーブの香りが漂い始めた。その香りに導かれて角を曲がるとそこにはローズマリーの生け垣があったのである。香りの主はこのローズマリーだったのだ。 あれ以来、私はローズマリーの生け垣にずっと憧れていた。いつか庭にローズマリーの生け垣を巡らしたいものだ、いつかいつか。しかし北海道ではローズマリーを屋外で栽培することができない。冬は掘りあげて室内に取り込まないとローズマリーは冬越しできない。だからどうあがいてもローズマリーの生け垣は叶わぬ夢なのである。ゴーヤーやハンダマは露地でも育つし、南国フルーツだって温室さえあれば育てることもできる。でも北海道でローズマリーの生け垣を作るのは不可能なのである。 以前、見せてもらった石垣の恵子さんの畑にはローズマリーがたくさん植わっていた。膝丈くらいに成長したローズマリーがまるで生け垣のように列をなして並んでいる。彼女の話ではその年に小さな苗を植えたそうだ。手入れもなし、気がついたらこういう状態になっていたという。「ローズマリーにはハブが寄りつかないから安心」と言って笑った。 そうかこの島ではこんなにもたやすくローズマリーの生け垣ができるのか!いつかいつかと先送りしているうちに、もうそんなにたくさんの時間は残っていないことに気づいて何とかしなくっちゃと焦っていたのである。そして今、ようやくローズマリーの生け垣作りに踏み出したのある。そこらにいくらでもある何の変哲もないローズマリーの苗だけど、この苗には私の20年来の夢が詰まっているのである。ちょっと感傷的な気分で2株のローズマリーを植えた。 3/24 晴れ おー久々の晴天、早く林道に飛んで行きたいのを我慢して箱庭果樹園に向かう。枯れてしまった苗を処分して神田さんの農園で入手したパパイヤ、グアバ、ジャックフルーツ、ビリバなどを新たに植えつける。予定外のジャックフルーツの鉢を前にしてどこに植えようか思案している自分がおかしかった。デルフィニュームの苗ではなくてジャックフルーツ、フェンネルの苗でもなくてジャックフルーツの苗、ずいぶん遠くに来たもんだ。 今日は絶好の蝶日和、最近ではこんな日はめったにない。作業もそこそこに蝶見物のため、おなじみの親水広場に向かった。作業を放り出して車を走らせたのに、駐車場には幼稚園の送迎バスが停まっているではないか。あたりには子供らの歓声が響き渡っている。そう川辺での蝶見物の大敵は子供たちの水遊びなのである。だから土日祭日は極力避けてきたのに。この騒々しさではコノハ蝶どころか、キチョウさえやって来ないだろう。仕方がない、公園は諦めてタケタの林道を行くことにした。 いつもコノハ蝶が姿を見せる林道の途中に車を停める。ほんの4~5メートル歩くとコノハ蝶が葉っぱの上で羽を広げてじっとしているのが見えた。ラッキー!双眼鏡で観察する。かなりくたびれているけど紛れもなくコノハ、いつもは鮮やかな色をした羽を広げてじっとしていることが多いのに、この蝶は頻繁に羽の開閉をするので裏側のコノハ模様もよく見せてくれる。園児たちの水遊びに屈っすることなく歩き回って正解だった。 気をよくして林道をさらに歩く。地面近くにテングチョウも発見!長く突き出した頭部、体のバランスが特異でおもしろい。歩いている途中、幼稚園の送迎バスとすれ違ったので再び親水広場に引き返した。 園児たちは枝を拾っては水をかき回し、川に入っては小さなネットを振り回していたから当分、蝶は戻って来ないだろう、と思いきや川辺では早くもキチョウたちが群れて吸水している。こんな晴天をだから蝶たちもじっとしていられなかったのだろう。そこにミカドアゲハが1頭やって来て吸水を始めた。この時期に見られるミカドアゲハはゴールデンミカドといって、羽の裏が黄色っぽく輝くことから珍重されているらしい。去年も新潟から来たというおじさんグループがゴールデンミカドを求めて歩き回っていた。目の前のミカドアゲハは羽化したばかりなのか確かに美しかった。去年の夏にはミカド蝶が集団で吸水していたからその末裔だろう。 気がつくと時間はすでに2時を回っていた。正子おばあからいつ戻ってくるのと催促の電話、林道をあとにして再び箱庭に向 かった。 果樹畑の周辺には蝶が好きな植物を植えるつもりでいる。 このエリアをほぼ占有しているのはセンダングサ。これは年中花を咲かせる大切な蜜源植物なので花蜜を求めていろんな蝶が盛んに飛来する。おばあは繁殖力旺盛なこの雑草を目の敵にしているが、蝶のために半分くらいは残すことにしよう。おなじみの山菜?オオタニワタリ、笹状の大きな葉っぱが素晴らしい香りを放つ月桃、赤い花を咲かせる南国情緒あふれるヘリコニアも生えている。それらを少し整理してこのエリアにはランタナやクチナシを植えるつもりでいる。 イギリスから取り寄せたランタナの種をおばあに渡して次回来るときまでに苗を作っておいてくださいと頼むと、「ランタナ?」「ホラ小さい花が丸くまとまって咲くやつ」、「あっあれね、それだったら入り口の道沿いにいっぱい生えてるよ。種蒔くより挿し木した方が早い。」確かめに行くとなるほどオレンジ色のランタナが咲いていた。「なーんだ。わざわざイギリスから種取り寄せたのに。」「ハッハッハッ、うちにも苗があるはず。」正子おばあのハウスに行くと確かにランタナの苗はあった。 「ハイビスカスをあと10株くらいとクチナシも植えたいんだけど。」「クチナシは八重?原種?」「もちろん原種」、クチナシはきれいな緑色の羽をもつイワカワシジミの食草だから「じゃこれも1株。」目の前にピパーツの苗も発見。ピパーツは胡椒に近いスパイスで日本では石垣島で栽培されている。実をすりつぶして粉状にして利用するが、胡椒と甘いシナモンを合わせたよう複雑な香りをもつ本格的なスパイスである。つる性の植物なので町ではブロック塀などに這わせて栽培しているのを見かける。 「ピパーツ2株譲ってもらえる?」「これはオオギバショウに幹に這わせるといい」と正子おばあ。こうやってハウスを回っているとあれもこれもとキリがないのでとりあえず、ハイビスカス(アカバナ)ランタナ、クチナシ、ピパーチの苗を譲ってもらうことにした。 一輪車に苗をのせて箱庭に運ぶ。空いてる場所に植え穴を掘る。植えるのは明日にしよう。「夕飯食べていかない?」「いつもご馳走になってばかりで悪いから・・・。」「ゴーヤーチャンプルー、たくさん作ったからネ。」チャンプルーに惹かれてまたもやご馳走になることにした。 3/25 曇り 昨日掘った穴におばあに譲ってもらったハイビスカスやクチナシを植えた。くちなしには2輪の萎れかけた花が残ってた。花の甘い香りを嗅ぐと、実家の庭でクチナシの世話をしていた母の姿を思い出した。 3/27 石垣島から久々に本島に立ち寄った。 那覇の住吉公園でアオタテハモドキに会いたかったからだ。青タテハモドキはすてきな蝶だ。 その羽の色はすばらしい。まさしくペルシャカーペットの色合いなのである。深い藍色の地にクリーム色の縁取りと赤い斑点が鮮やかに浮かんでいる。色の組み合わせといい文様といい、絹糸で密に織られた上等なペルシャカーペットのように深いのである。いつもは公園の遊具エリアの上の芝地で彼らは飛んでいる。数頭が群れてここをホームにしているらしいのである。 早速、行ってみた。しかし、アオタテハモドキの姿がない。時期が遅かったのだろうか。シロオビアゲハやツマベニ蝶の姿は見かけたけど主であるアオタテハモドキの姿はなかった。 那覇を経由したのはアオタテハモドキに会う他にもう一つ目的があった。 牧志の桜坂劇場で上映されている「標的の島・風かたか」を見るためだ。監督は「標的の村」「戦場止み」と沖縄での住民の粘り強い反対闘争を主題に映画を撮り続けている三上智恵。辺野古新基地建設、高江のオスプレーのヘリパッド建設に反対する山城博治たちの闘いと合わせて、自衛隊配備とミサイル基地の建設が予定されている宮古島、石垣島での反対派による阻止活動を紹介するドキュメンタリー。監督の視線は常に反対派の側にある。副題の「風かたか」とは風よけを意味する。恩納村で米軍属により無残に殺害された被害者の追悼集会における稲嶺名護市長の発言「またしても命を救う「風かたか」になれなかった」という発言からとられた。 反対運動のリーダーである山城博治は不当逮捕され不当に長期拘留されて釈放された。釈放された今でも抗議の現場には近づけない状況におかれている。世界各国の人権団体からもこの不当な扱いに抗議が続出した。 山城博治氏は機動隊員に挨拶し、時に笑い、唄い、踊り、時に涙して反対派住民の先頭にたって闘いを続けている。そのことをもってしてさすが芸能の島、沖縄の闘いは明るいと言ってはいけない。 永続的なぎりぎりの闘いはふだんの生活の延長として日常化させざるを得ないのだろう。悲壮な面持ちでは闘争は長続きしないのだろう。 山城博治たちは穏やかな形相で機動隊と対峙し、悩み、様々な戦術を編み出す。彼らにとっては闘争は日常なのだと思う。(本土から機動隊が派遣されて以来、警備の様相がガラリと変わった。島の警察とはわかり合う部分も多かったけど本土の機動隊とは真っ向から対峙する以外ない。だから逮捕者もばんばん出るし、とインタビューで語っている。)辺野古も高江もアメリカの前に日本が立ちはだかる二重構造、本来、日本政府が交渉すべき相手はアメリカなのに沖縄との交渉、地域住民の弾圧に明け暮れている。那覇で乗ったタクシーのドライバーがアメリカ統治時代の方がまだましだったと言っていた。ワケを尋ねると交渉相手はアメリカさんひとつ、それも直接だし、言うことを聞いてくれることもあった、からという日本政府に対する三行半ともいえるような返事が返ってきた。 映画に登場した石垣島の山里節子さんはミサイル基地建設予定地の牧草地で「とぅばらーま」を高らかに唄いあげた。「とぅばらーま」は沖縄民謡の最高峰といわれ、自分の気持ちを吐露する即興歌、無伴奏で歌われる。辺野古や高江で行動する市民にエールを送り、石垣島の自衛隊ミサイル基地反対の思いを音に乗せて唄う節子さん、その「とぅばらーま」は圧巻だった。 「物や金はないけど歌や踊りで心を満たしながら生き抜いてきた」彼女のように背筋の伸びた女性が沖縄には多数存在する。 ヘリパッド基地建設に反対しミサイル基地の建設に反対する運動を主導しそれに賛同する女性たちはハッキリと語る。 彼女たちの言葉は日本の全国民に向けられたものだ。ミサイル基地が建設されると島は標的の島となる。ミサイル基地は沖縄本島の米軍基地の風よけのために建設されるのではないか。この狭い島に逃げ場はない。沖縄戦の悲劇が繰り返される可能性がある。それがイヤだと言っているのだ。きわめて真っ当にそう言っている。 島の自然が破壊されるだけでなく(私のお気に入りのオモト岳周辺はまさに建設予定地になっている)島は標的の島になってしまうのだ。島のあちこちに自衛隊歓迎ののぼりと自衛隊NOののぼりが目につく。YESとNOののぼりが隣り合って立てられている所もある。島はふたつに分断されている。 日本はあの敗戦からも福島の原発事故からも何も学んでいない。それどころか敗戦も侵略行為も原発事故もなかったことにしようとしている。 よそ者としてせめてこの島が今のままであってくれることを祈るしかない。 石垣島箱庭果樹園 5月 東京での仕事が終了した5月10日、石垣島に飛んだ。北海道の菜園と庭も気になるところだが夏はずっと北海道にいるのつもりなので、石垣視察は今しかない。 いつのもように田代さんにとれたてのマグロをご馳走になり、正子おばあ特製のゴーヤーチャンプルーを食べて、蝶々を探して林道を走り回った。 その1 防風ネット おばあ推薦の喜屋武さんにお願いしてあった防風ネットが仕上がっていた。おばあは顔が広いから手を貸してくれる知り合いがたくさんいる。彼女の厳しい目に合格したのが喜屋武さん親子、本業の土木建築工事請負の傍ら片手間で仕事をしてくれる。 箱庭のどん詰まり、無防備な道路際に設置してもらうことにした。2月に植えた風よけのオオギバショウはまだ50cmにも充たないから役に立たない。まああと3年もすれば立派なジャングルに成長するはずだが、台風は待っていてはくれない。そこで防風ネットを構築することにした。 空港から直接箱庭に向かった。すごーい、太いパイプを組んだ頑丈な土台にネットがピーンと張られている。想像したよりずっと本格的でしっかりしている。これなら大型台風に対抗できるかもしれない。できるかな?これでダメなら諦めるほかないけど。 残念だったのはネットの色、ブルーシートと同じ青色、ここは黒にして欲しかったなー。防風ネットを選択する際に最も重要なのはネットの目のサイズだという。目が大きすぎると防風の役割を果たさないし、小さいと風を受けて土台ごと飛んで行ってしまうらしい。ネットの色なんて二の次なのである。まあそれはそうだろう。黒いネットにこだわってバナナが吹き飛ばされでもしたら笑いものになること必至。これで台風対策は万全、まあ去年はほとんど台風は来なかったらしいけど。 その2 急成長 バナナやパパイヤが驚異的に成長していた。バナナなんて3月には私の背丈ほどだったのにもう見上げる高さに成長している。これが南国パワーなのか、その成長ぶりにはほんとに目を見張った。パパイヤも3月にはまだ苗だったのにもう若木、これならいつ実をつけてもおかしくない。3年でジャングル説は信じていいかもしれない。 その3 早くも開花 パッションフルーツの花が咲いていた!紛れもなくトケイソウの花だ。しかしパッションはバナナやパパイヤと違い、つる性の植物のように細い枝が地面を縦横に這いまわっている。これは救わねば。明日にでも株を起こして枝を誘引してみよう。花が咲いたということは実がつく?期待が大いに膨らむ。 その4 早くも結実 ストロベリーグァバが小さな実をつけていた。この情報は正子おばあから聞いていたけどやはり嬉しい。実はまだ青くて堅いから食べるのは無理そう。果樹園では一番に実をつけたシークワーサーが元気がない。手当をしてあげよう。 正子おばあは不在だったので、町に向かいいつものファーマーズマーケット「ユラティク市場」に立ち寄った。野菜の端境期なのか3月ほど充実はしていないが、実もののシーズンらしくて新鮮なトマトや立派なゴーヤーがたくさん並んでいた。トマト、ツルムラサキ、ルッコラ、パクチー、島バナナ、パパイヤ、ボゴールパインを購入。北国では野菜の最盛期は夏、それに対して南では最盛期は秋から春にかけてで、夏はお休みらしい。 晴れの日を狙って蝶見物にも出かけた。たけたの林道でよく出会う情報通の青木さんが「石垣島蝶マップ」という本を出版した。札幌の南雲堂という古書店の店主、昆虫スペシャリストの高木さんからお知らせがきたので「赤いネットを担いでバイクに乗って林道を走り回っている青木さん?シーサー顔の?」と思わず聞いてしまった。「そうあのシーサー顔の青木さん」と高木さんから返信がきたので予約しておいたのである。 その本はまるで私のために書かれたようなすばらしいマップだった。ということは購買者はごくごく限られるだろうと予想される。32ページの冊子が強気の3000円!専門書にはよくあるけど。 入手したマップを手に林道を走る。青木さんが推奨している底原ダム周辺の道路を行ってみることにした。時折、ベニモンアゲハなどが飛び交い、センダン草ではキチョウやスジグロカバマダラが吸蜜している。コノハが目の前を横切ったのでしばらく待っていたけど戻って来なかった。舗装道路を先に進む。すると車の前を20cm位のカメがノンビリ横断しているではないか。急停車、思った通りヤエヤマセマルハコガメだった。道路を渡り終えたカメは草むらに姿を消した。このヤエヤマセマルハコガメは天然記念物なのである。特別天然記念物に指定されているトキやカンムリワシ(林道では頻繁に目にするけど)にはかなわないが、とにかく天然記念物なのである。うれしい、探していたワケでもないのにひょっこり出会えたのがうれしい。 青木マップに従っていつものタケタ林道からタケタ農道(私がいつも通っていたのはタケタ林道ではなくて農道の方だった!)を通って親水広場に向かった。相変わらずくたびれたコノハ蝶がテリトリーをはり、水辺ではミカドアゲハやキチョウが群れて吸水していた。しばらくぶりに崎枝のヤラブ林道にも行ってみたけど収穫なし。林道はヤラブ(テリハボク)植林のために斜面を切り開いたせいかずいぶんと荒れた感じだった。 林道をテクテク歩いていると正子おばあから早く戻れコール。箱庭に戻ってパッションフルーツの誘引を試みる。数本の女竹を地面に挿して扇型に広げ、それぞれの女竹に枝を結びつける。 自由気ままに枝を伸ばしていたパッションに秩序を与えたといった感じだが、それも今だけの話、彼女たちはすぐに女竹など無視して自由奔放に振る舞うだろう。と思うとちょっと空しかったが、ついでにメイクマンで思わず購入してしまったパッションの苗を2株植えつけた。全部で6株、計画だと1年分のパッションフルーツが収穫できるはずなのだが。 箱庭のへりに植えたピパーツの苗はあまり生長していなかったが、これをオオギバショウの幹に這わせるべくその方向に誘導することにした。ソテツの葉を使うといいというおばあの助言に従ってちぎってきた葉っぱを防護壁の代わり立ててこっちこっちと誘導したつもりだけど、たいして効果がありそうには見えなかった。素直に誘導されてくれるといいのだが。 最後に前回は苗が小さすぎて定植できなかった、ローズマリーを植えることにした。前回クチナシのそばに植えた夜香木(これは夜来香=イエライシャンと間違えて購入してしまったもの。台湾の美濃、外出先から戻るとあたりに濃厚な花の香りがを漂っていた。 それが夜来香だと教えられて以来、一度は栽培したいものだと思っていた。その香りは、緞帳のような濃密さで夜の空気を重たくしていた)が邪魔になったのでバナナの近くに移動させて、ローズマリーのエリアを数メートル延長した。苗はまだ心許なかったけど、祈りの言葉とともに魔法のHB101をたっぷり与えて作業終了!とおもいきやこれが大失敗、後日おばあから怒りの連絡を受けることになった。あれはローズマリーじゃなくてティートリー、まったく間違えるなんて。しまった!どうりでローズマリーにしては何だか頼りないし香りも薄いと思った。ごめんごめんと平謝り、鉢に戻してローズマリーを植えたといたからとおばあは電話口で笑った。 よりによってローズマリーとティートリーを間違えるなんて、どうにも情けない限り。許してはもらったけど、私の実力が露呈してしまった。鋭い正子おばあのこと、今後はエラそうなことを言っても信用してもらえないだろうな。 最後の日には念願のもずくとりに行くことになった。石垣にはずいぶん通っているけどさまようのは林道や農道、草地と陸上ばかり。海には沈む夕日を見に行く程度で海遊びなどしたことはなかった。 「春に1年分のもずくをとって冷凍しとくといい」とか「海を歩き回るよりプカプカ浮かびながらもずくを摘むのがいい、腰をかがめなくていいし」と魅力的な話をあちこちで聞いたし、実際に正子おばあからお土産にもらった冷凍もずくはすごく美味しかったのである。もずくの命ともいえる粘りが強い上に、これまで食べてきたつかみ所のないようなぼんやりしたもずくに比べて断然食べ応えある。こんなにも違うものかと天然もずくに開眼したのである。とはいえもずくの季節はずっと前に終了している。でもまだ残っているかもしれないからと正子おばあが海に誘ってくれた。おばあの秘密の漁場は東シナ海、名蔵湾の端っこ、道路際に車をとめて海へ。ひと目みるなり、もっと潮が引かないとダメだから後で来ようとおばあ、午後の干潮時間に合わせて再訪することにした。 ちょうどお昼の時間だったので米原ビーチの近くの知花食堂で八重山そばと豆腐チャンプルーの昼食。そば小が350円。この値段だけど量も多いし、昔ながらの味なのか小細工を弄した新興のそばより素直に美味しいのである。 米原ビーチは石垣島屈指の海水浴場として人気が高い。まだ5月なので海に人影はまばら、おばあと一緒に海に入る。生暖かい海、まだ水が冷たいね。海がもう少し温かくなったら友人知人誘い合わせて海に出かけて、海に浸かっておしゃべりしたり、貝を拾ったり、お弁当を食べたりして1日を過ごすのだとういう。海にじっと浸かっていると気持ちいい。そうか海は温泉みたいなもんなんだ。海で遊ぶというと泳ぐとか潜るとか釣りをするとかそういう月並みな遊び方しか思い浮かばないけど海に浸かる、何もしない、ただ海に浸かって海と一体になって楽しむという付き合い方もあるのか。夏になったらお弁当を持ってまた来ようねとおばあが誘ってくれた。足もとでは目の覚めるような青い魚が群れて泳いでいた。きっと辺野古の人々もこういう海遊びを楽しんだのだろう。 干潮の時間が近づいたのでさっきの名蔵湾に戻った。ここは正子おばあのホームだから浅拆にずんずんと入って行く。私も後に続く。これがもずく、と教えられた海藻を探すのだが、雑草ばかりでなかなか見つからない。おばあのザルには半分ほどもずくが貯まっているのに私のザルはほんの少し。それでもあちこち移動して30分くらい摘んだ。真水でもずくを洗っていると雲行きが怪しくなってきたので引き上げることにした。来年は1年分とろうねと正子おばあはいうけど私にはこれだけでも十分、雨が降ってきたので慌てて海を後にした。
石垣島箱庭果樹園速報! 1/12 吹雪の北海道を出発して石垣島へ。30℃近い気温差があった。去年の11月には、苗を植えようと長靴や作業着を用意して張り切って出かけたのに連日の雨。たまに雨が上がっても畑はぐちゃぐちゃだから植え穴を掘るどころか、草取りさえおぼつかない。会う人会う人みんな気の毒がってくれた。「そういえば6月の時もすごい台風だったね」それでも雨の合間を縫って、畑に入り、ヒモを張って道路の位置や植栽の区画を決めた。1週間でそこまでがせいぜい。気温が低いから蝶もいないし、散々な目にあった。正子オバアが気を遣って知り合いの川平ファームや石垣ラー油の辺銀さんのところに連れていってくれた。 さて今度こそ苗木を植えないと、せっかくトラクターを頼んで土を起こして、堆肥をいれたのにまた雑草だらけの畑に戻ってしまう。北海道に比べると雑草はすごいスピードで繁茂する。いくら何でもまた雨続きということはないだろう。石垣空港には後見人の田代さんがお迎えに来てくれた。「このところずっと晴れていたけど・・・・」 1月に新装開店した彼女の娘さんのお店で夕食をご馳走になる。漁師の弟さんが午前中に釣り上げたというマグロ、香り高いワイルドルッコラやパクチーのサラダ、まだ温かいゆし豆腐と好物がズラリ、石垣に戻ってきたなと実感させてくれるすてきな夕食だった。 1/13 晴れ、曇り時々雨 翌日、窓から朝日が差し込んでいる。こんなことは久しぶり、幸先がいい。今日は仲田の正子おばあの家に苗屋の神田さんとアドバイザーの友子さんが集まってミーティング。苗の植え付け計画やスケジュール調整をした後、植えつけに必要な道具や資材の買い出しに出かけることになっている。 少し早めにホテルを出て、石垣島最大にして唯一のホームセンターであるメイクマンに寄って道具類の下見をすることにした。ホテルを出発したとたん、雲行きが怪しくなった。メイクマンに到着するころにはポツリポツリと降り出した。なんという巡り合わせ、朝焼けの空はあんなにきれいだったのに。 昼食を食べながら4 人でおしゃべり、やっぱり雨降り出したネ、私が来ると雨、嵐、低温、台風というのが彼らの間でも話題になっているらしい。 大まかな作業手順を決めたあと、正子おばあと一緒に資材調達と下調べを兼ねて町に出かけた。 まずは近くの石垣島農協へ。係のおじさんの話を聞いて堆肥を大量に購入した。明日、おばあの家に配達してもらうことにする。神田さんに紹介してもらった資材屋さんにも寄った。防風ネットを張るのに必要な鉄パイプや金具の話を聞いた。 赤井川村の農協や余市のホームセンターと同じ感覚で、JA石垣島のおじさんたちと相談しながら資材や肥料を購入しているのが何とも不思議な気がする。2000キロメートル以上離れた日本の端と端なのに。 1/14 曇り、時々雨 午前中はメイクマンでスコップ、クワ、草刈り鎌、バケツ、一輪車などを購入してレンタカーに無理やり積み込む。雑草よけの防草シートやピンは車に乗らなかったので、明日、配達してもらうことにした。 思えば、北海道では園芸用の道具はいつも菜園のシェッドあるもの、自分で買った記憶はほとんどない。一輪車のタイヤがパンクすれば、いつの間にか修理されている。移植用のスコップをなくしても翌週にはちゃんと補充されている。それが当たり前のように思っていた。 でもここでは全部自分で揃えなくてはいけない。スコップやクワはもちろんのこと、肥料を撒くのに使うバケツやヒシャク、その他メジャーやカッター、植物識別用のプレート、水に濡れても文字が消えないペンに至るまで必要な道具をひとつずつ自分で選ばなくてはいけない。何だかすごく新鮮な体験だった。 午後、神田さんが苗を運んで来てくれた。大小さまざま、立派な苗もあれば、大丈夫かしらと心配になるような苗もある。風が直接当たらないように苗をオオギバショウに囲まれた窪地に置いた。 植え穴の位置を決めて支柱用の女竹を刺す。 買ったばかりのスコップを使って穴を掘ってみたが、ひとりの作業は遅々として進まない。明日から助っ人が来ることになっているが、こんなことで苗木は植え終わるのだろうか?この更地が畑らしくなるのだろうか?不安になる。また雨が降ってきたので穴掘りは中止。農協で昨日購入した堆肥が到着した。 夕食は正子おばあがゴーヤーチャンプルーをご馳走してくれた。本場のゴーヤーチャンプルー。こっちは美味しい方、こっちはイマイチとゴーヤーの選び方を説明してくれるけど初心者の私には、違いがほとんど分からない。正子オバアの娘の友子さんは近所でゴーヤー農家をやっている。石垣島では質量ともに一番のゴーヤー農家、ということは日本一のゴーヤー農家かもしれない。 島豆腐とたっぷりのベーコン、巨大なゴーヤー(ワタだけでなく皮の内側にある固い繊維も取り除かなくてはいけないらしい)を3本も使ったゴーヤーチャンプルーは大皿に溢れんばかりに盛られている。 私が町で調達したゆし豆腐、おばあがプランターで育てているパクチーをたっぷりのせたトマトのサラダと味噌汁。大満足の夕食、摘み立てのパクチーはすごく香りがよい。パクチー入りの味噌汁というのは初めてだったけどなかなか美味しかった。夏になったら北海道でも真似してみよう。ベーコンの塩味がほどよいゴーヤーチャンプルーはもちろん美味しかった。チャンプルーの山は丘となりやがて平地となってみんなの胃に納まってしまった。 1/15 曇り時々雨 今日は朝から助っ人がくるはず。いろんな人を経由しておっばの家に数日間、居候することになったフランス人女性らしい。正子おばあも友子さんも寝食を提供する代わりに農作業を手伝ってくれる人材を募集する世界規模のネットワークを利用しているので、彼女たちの家にはいつも居候たちがいる。真剣に農業を学びたいという人から旅行のついでにフラリと寄ったという人まで、居候の動機も年齢も国籍もさまざま。 助っ人が来る前に準備をしておこうと思い、早起きして畑に行った。また雨がパラパラ降り出した。気温も低いからカッパが手放せない。 昨日、女竹を刺した場所に穴を掘る。助っ人は9時に来ることになっているのに待てど暮らせど姿を現さない。だいたいオバアが9時に迎えにいく約束のはずが、10時を過ぎてもオバアは家の用事をしている。島時間?ひとり黙々と穴を掘る。 細かい雨が降り続いている。でも幸いなことに土は思ったほどぐちゃぐちゃにはなっていない。石もほとんどないのでスコップは割合楽に土に入っていく。少し安心する。 昼近くになってようやく正子おばあとフランス女性が畑に姿を現した。助っ人のマリー・クレールは、西洋人にしては小柄で控えめな女性だった。50歳だという。 田代さんと昼食の約束をしていたので午後から一緒に作業をすることにして町に出る。 2時からマリー・クレールと一緒に作業開始。私が植え穴を掘り、マリーには私が午前中に掘った植え穴を広げてもらう。穴を掘り終えたので一緒に植え穴に堆肥を投入する。午後の休憩、正子おっばが畑にお茶とお菓子を運んでくれた。手頃な石に3人で腰を下ろしておしゃべり。マリーはまあまあ日本語が分かるし、英語はかなり上手、フランス語は母国語だからもちろん自由自在。日本語と英語で話はほとんど通じる。日本は初めて、日本語はアニメや映画で学んだそうだ。 彼女は数日後には石垣島から四国に渡ってお遍路を体験した後、3月に南インドでアーユルベーダの専門的な施設で1ヶ月間、治療を受ける予定だという。「どこか悪いの?」「別に病気ではないけどワインを飲まないとすごく調子いいみたいだから」と笑った。彼女はベジタリアンで肉や魚はもちろん、卵やミルクも口にしない本格的なビーガンだという。 なかなかやるな。ディープな石垣島の農家にもすんなり溶け込んでいる。暗くなるまでマリーとふたりで堆肥入れたり、雑草取りをした。 1/16 曇り時々雨風が強い 今日は午後から神田さんの指導で南国フルーツの苗を植えることになっている。午前中は、マリーは作業場で正子おばあのお手伝い。私は去年植えたパイナップルの苗を手入れしたり、昨日掘った植え穴にオオギバショウの苗を植えた。 ベジタリアンのマリーは自分で昼食を作るというので、私は町に出てメイクマンでカッターやハサミなどを購入、メイクマンには少なくとも1日に2回は通っているので店員さんたちとはすっかり顔なじみなった。 午後、神田さんが畑に来てくれたので一緒に苗を植える。ほとんどの苗は名札がないから私にはどれがどれだか区別がつかない。神田さんの指導の下、3人で手分けして苗を植えた。1時間で終了。根の周りをていねいに踏んで苗を落ち着かせた。 経験上、植えつけより雑草対策用の防草シート張りの方がずっとが厄介な作業になるだろうと予想していた。 シートを張ってから苗を植えるか、植えてからシートを張るか散々悩んで、正子おばあにも相談したのだが、シートが到着するのを待ちきれずに植え穴を掘ってしまったので、苗を植えてからシートを張ることにしたのである。 ということはシートを苗に合わせて切り貼りしなくてはいけないのである。苗は列状にまっすぐに植えたつもりだけど、多品種少量なので並木のようなワケにはいかない。寸法にカットしたシートの端を二人で抑えて3人目が苗の位置に合わせてカッターで切り込みを入れていく。運が悪いことに今日は風が強い。ちょっとでもシートから手を離すとシートはめくれ上がってしまう。シートが風に飛ばされないよう押さえピンを手早く挿してシートを固定する。手がもう1、2本欲しい。 強風、時々雨の中、暗くなるまで作業を続けたけど、結局、半分くらいしかカバーできなかった。残りはまた明日。 マリー=クレールはパリで映画の小道具を作る仕事をしているらしい。どうりでカッターの使い方が上手なワケだと納得。映画関係者と聞いてシートを張りながら映画の話をする。 彼女はパリジェンヌだからもちろん北野たけし監督の大ファン。作品は全部見ているという。中でもドールが一番お気に入りだそうだ。「ソナチネは石垣島で撮影したから、北野ブルーのブルーは石垣の海の色。」といい加減なことを話すと彼女は大げさに感動していた。「パリに帰ったら仲間に自慢しないと!」 「日本では「君の名は」っていうアニメがヒットしてるんだ」と神田さんがマリーに話しかける。「マリー=クレール」とマリーは答える。ウン?「マリー=クレール」ハハハ、マリーは神田さんに「君の名は?」と聞かれたのかと勘違いしたのだ。3人で大笑い。 予定通りには作業は進まなかったけど一応のメドがついたのでひと安心。今晩はゆっくり眠ろう。 1/17 曇り時々晴れ 久々に雨が降らない一日だった。 朝、押さえピンの不足分200個を農協で調達してから畑に急ぐ。早速、マリーと一緒にシート張りに取りかかる。まだ一番厄介な箇所が残っているのでこれを済ませないと。 作業をしながらあれこれ映画の話をする。「最近、ダルデンヌ兄弟は撮ってないの?」「へェー、日本でもダルデンヌ兄弟の映画が公開されるんだ」というような話が石垣島の箱庭果樹園でできるとは思わなかった。 一番の難所にとりかかる。去年、神田さんが畑のほぼ中央にパッションフルーツ用のアーチ型のパイプ支柱を立ててくれた。ビニールを張っていないビニールハウスのようなものだ。パッションフルーツはこの囲いの中に植えてある。 南国果実の中で私が一番ひいきにしているのがパッションなので、厚遇してやったのである。パイプとパッションの苗が複雑に重なっているので、それに合わせてシートをカットするのはほとんど至難の技。気を抜けない作業が続く。しかし幸いなことに今日は風がない。それに二人とも作業に慣れてきたので、マリーにあれこれ指示しなくても作業は進んでいく。 昼近くになってようやく難所を無事通過、残りのシート張りは楽勝だろう。 久々に太陽が顔をのぞかせた。 マリーは午後はお休みにして正子おばあとユラティク市場に行くことにする。ユラティクは石垣島の野菜と果物の集散地、ベジタリアンのマリーには魅力的な市場に違いない。 私はオモト林道を抜けて親水公園に車を走らせる。気温は低いし、晴れたとはいえ冬の光だから期待はしていないが、せっかく石垣に来たのだから一度くらいは蝶を見にいかなくては。まちがえてコノハでも飛んでいてくれると嬉しいのだけど。 予想通り、姿を見せたのはリュウキュウアサギマダラ、カバマダラ、ジャコウアゲハ、キチョウくらいだった。 しばらく川原の指定席に腰を下ろして目の前を飛んで行く蝶を眺める。蝶は不作でもここに来るとわが家に戻ったような安堵感を覚える。私にとっては最高に幸せな時間なのである。 まだシート張りが残っているのでそうそうボンヤリしているわけには行かない。町に出ておなじみメイクマンに寄って50メートル巻きホースとジョイントを購入する。 畑に戻る途中、比嘉豆腐店に寄ってみる。お昼過ぎなのに珍しく店は開いていた。比嘉豆腐店は観光雑誌に紹介されて以来すっかり有名になったせいで、最近では11時前に行っても品切れで閉店していることが多かった。ラッキー!ゆし豆腐と卵焼き、おからの煮物と味噌汁のお年寄り定食350円を食べた。やっぱり温かいゆし豆腐は美味しい。 畑に戻ってひとりでシート張りを続行。パッションフルーツの隣はライチ2株、次ぎの列はパパイヤ3株、その次ぎは島バナナ2株が植わっている。パイプアーチの難所を通り抜けた後だし、風も邪魔しないのでひとりでも楽に張れる。2時間ほどで作業は終わった。 町から帰ってきたマリーに手伝ってもらって、最後に残った通路部分にもシートを張った。これで畑全体が防草シートで覆われた。マリーとバンザイ三唱。 畑からだいぶ離れたところにある水道にホースをつないで、栓を捻ると思いのほかスンナリと水が吹きだした。様子を見に来てくれた正子おばあがホースを引っ張って1本1本の苗にていねいに水をやる。助手を勤めるマリーはホースを持ち上げたり、ホースに噛みついたりして「これがフランス式の水やり!」とおどけてみせる。これで予定した作業はすべて終わった。 長年の夢だった「石垣島箱庭果樹園」がいよいよスタートした。正子おばあ、神田さん、マリ=クレールどうもありがとう。 さあこれから台風や雑草との闘いが始まる。 <今回植えた植物>
●島バナナ2株 ●三尺バナナ1株 ●パパイヤ4株 ●ライチ2株●パッションフルーツ6株 ●ピタンガ2株 ●シャカトウ2株 ●アボカド2株 ●グアバ4株 ●シークワーサー2株 ●コーヒー2株 ●アセロラ2株 ●ジャボチカバ1株 ●ブラックベリージャムフルーツ2株 ●インド藍5株 ●オオギバショウ9株 <次回植える予定の植物> ●ハイビスカス15 株 ●ローズマリーたくさん ●ドラゴンフルーツ赤肉 ●夜来香 ●ジャスミン ●ランタナ ●ビバーツ |
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5月 2024
ご案内「藤門弘の北海道フォト日記」は夢枕獏さんのホームページ『蓬莱宮』にも転載されていますので、そちらもごらんください。 |