調理用トマトのエース・サンマルツィアーノとその他大勢 トマト 昨年もいろんな種類のトマトを栽培した。調理用には大玉の「世界一」「ピンクブランディワイン」「アロイ」「ポンテローザ」中玉は「サンマルツィアーノ」「中玉オレンジ」「レッドゼブラ」ミニは「ステラミニ」「ブラックチェリー」「ワーンミニ」「ひとくち」「ボルゲーゼ」すべて在来種のトマトなので昨年採っておいた種子を播いて育てたものだ。自家採取した種を播いて苗を育てる。苗を菜園に定植して育てる。収穫する。各々のトマトの種を採って保管する。翌年の春に播く。菜園ではこのような循環が確立している。気まぐれに新しい品種が加わることもあるが、毎年ほぼこんな感じ。ミニは生食用なので収穫したらどんどん食べる。大玉中玉のトマトはほとんど冷凍して一年分を保管し、調理用として使う。2台の冷凍ストッカーいっぱいに詰まったトマトを見てこんなにたくさん!と驚かれるけど翌年の夏前にはほぼ使い切ってしまう。 毎日、味噌汁感覚で食べている野菜のごった煮スープにトマトは欠かせない。スープストックや出汁は使わずに野菜からにじみ出るうまみと少量のスパイス、味噌、ナンプラーが味の基本になる。このスープにはトマトは必須アイテム。トマトは野菜の中ではグルタミン酸が多いのでトマトの量を減らすと確かにうまみが減るような気がする。 さて今日の夕食はどうしようかと考える前に手元にある野菜、玉ねぎ、大根、にんじん、キャベツ、白菜、ニンニク、生姜、キノコ類をほとんど機械的に刻んでお湯を張ったスペインの土鍋カズエラに次々放り込んで煮る。冷凍トマトと同じく冷凍しておいたツルムラサキやハンダマ、モロヘイヤや雲南百薬のような南国野菜も加えて煮込む。落ち着いたらスパイス、味噌、ナンプラーを加えてぐつぐつ煮込んだあと火を止めて蓋をして蒸らす。この蒸らすという作業が大切で、蒸らしが野菜のうま味を引き出すのだろう。 蒸らす時間がないときにはこのスープは止めた方がいい。 体にいいのはもちろんだけど、このスープは「野菜を食べなきゃ」という強迫観念から解放してくれる。体にいいばかりでなく精神的にもまことによろしい。これさえ食べていれば、コンビニ弁当だってカップ麺だってなんでもあり。栄養バランスはともかく精神の平衡は保てるのである。 調理用トマトとしてはやはりサンマルツァーノが優れていると思う。本場もんだけに一日の長を感じる。冷凍トマトは通常、水に浸してから皮が剥くが、サンマルは、他の大玉トマトに比べると皮が厚めなのでスルスルと簡単に剥ける。その上、水分が少ないせいか、ふつうの大玉トマトのようにがちがちに凍らないので冷凍状態でもナイフがスーッと入って切りやすい。中玉と大玉の中間サイズなのでひと鍋のスープに1個放り込めが充分、使い勝手がいい。 古くからトマトに親しんできたヨーロッパや中近東の諸国ではトマトは加熱して食べる野菜として扱われてきた。サンマルもパスタのソースやミネストローネの原料として改良された結果、調理用として使い勝手のいいトマトになったのかもしれない。何より頑強多産なのがいい。 そこへ行くとピンクブランディワイン(なぜこんな名をもらってしまったのか意味不明)なんておおげさではなく赤ん坊の頭ほどのサイズに成長するからとても扱いにくい。大きければいいというものではない。 一般に野菜の生産量は減少方向にある中でトマトはかろうじて現状維持を保っている。それは多分、ミニトマトのおかげだろう。こんなことは普通の人にはあまり興味がないかもしれないが、わたしには大問題なのである。 70年以上昔の子供時代にはミニトマトなんてなかった。大きな青臭いトマトをくし形に切ってマヨネーズかなんかと一緒に食べさせられたものだ。いつ頃からか定かではないが、八百屋の店先にミニトマトが姿を現し始め、食卓に頻繁にのぼるようになった。ミニトマトはいつの間にか大玉トマトを隅に追いやって、八百屋さんの店先でもスーパーの野菜売場でも主役の座に躍り出たのである。 それもよくわかる。ミニトマトは色も姿形も可愛らしい。店先に並んでいるだけでもアイキャッチャーの役割を充分に果たす、看板娘(息子)のようだ。消費者の側からしてもミニトマトは包丁を使わずともそのまま口に放り込めるので手軽に利用できる。キャベツと少量の人参を刻んで市販のドレッシングをかけただけのおざなりなサラダでもミニトマト1個で印象がガラリと変わる。特にお弁当には、欠かせない素材だろう。日本ではトマトはもともと生食用の野菜として利用されてきたのだからどう頑張っても手のかかる大玉がミニに勝てるはずもない。 この様な理由からミニトマトは大玉も含めたトマト全体の消費を下支えするようになったのだろう。となると種苗会社はミニトマトの新種開発に力を注ぐようになる。糖度が高い、皮が薄い、まるでフルーツ、加えて栽培容易、病害虫に強い、こういううたい文句の下、毎年、春になると新種のミニトマトがたくさん売り出される。最近ではリコピンだギャバだと機能性を強調する新種がはやっているようだ。美味しくて体にいい。 大手の種苗会社間では魅力的なミニトマトの開発にしのぎを削っているのだろう。キャロルとかアイコのような人気の高いブランドを育てることに成功すれば莫大な収益をもたらすに違いない。 しかし消費者は店先に並んだミニトマトについて品種まで気にするとは思えない。本格的なトマト農家でも評価の定まらない新種のトマトに簡単に飛びつくとも思えない。結局、新しい品種を待ち望んでいるのは消費者でも生産者でもなく、私のような物好きな菜園愛好家と家庭菜園向けに苗を生産する育苗業者、主として通信販売や直売所などでトマトを販売している小規模生産農家ではないだろうか。消費者は安全で美味しくて、適正な価格のトマトを望んでいるわけで、新作のプチプヨだろうとキャロル10だろうとそこまでこだわってはいないように思う。 種苗会社の策略? によって消費者の好みはもっと甘くもっとやわらかくという方向に引っ張られていく。トマト本来の青臭い匂いや酸味はマイナス要素として取り除かれ、フルーツのように甘いトマトというようなわけのわからないキャッチフレーズが登場するのである。 ここ数年来、こういう風潮に背を向けてひたすら在来種を中心に栽培してきた。播種→育苗→定植→収穫→採種という循環がうまくいっているのだからそれでいいではないか? しかし昨年、近所のホームセンターで見かけたF1ミニトマトの苗に手を出してしまった。明日にも花が咲きそうな立派な苗を1株、購入してしまったのである。4月も半ばというのに温室で育苗中の在来種トマトなんてまだ背丈10cmほど。発芽さえおぼつかないヤツもいる。こんな状態だったので立派なF1苗の誘惑に抗しきれなかった。 購入した苗は早速、温室の片隅に定植した。通常の1本立ちは止めて脇芽を2本残して3本立ち。摘んだ脇芽はポットに挿して10株以上の苗に育てた。1株300円位だったからまことに効率よし。(もしかして違反?) 3本立ちにした温室のオレンジパルチェの実は7月の初めにはきれいなオレンジ色に色づいた。これがびっくりするほど美味しい。おなじみの在来種ワーンミニやひとくち、ステラミニに比べて甘さもうま味もさることながらとにかく味が濃い。朝の温室でもいだオレンジ色の実をその場でバジルと一緒に口に放り込む。朝の極上サラダ。菜園仕事中の水分補給にも午後のおやつにもオレンジ色の実は大活躍してくれた。 消費者の好みを考慮して手間暇かけて作り出されたF1トマトと伝統的な在来種のトマトの味の差は想像した以上に大きかった。在来種にこだわるのは種まきから種採りまでの作業を自分の手でコントロールできるというところにある。 一方のF1は種を採種して翌年播いても同じものができるとは限らない。基本的には一代限りなのである。オレンジパルチェがいくら美味しくても病気に強くてもその優れた形質をそのまま次世代に手渡せるとは限らない。似ても似つかないまずいトマトができる可能性だってある。何度かF1トマトから採種して翌年も栽培してみたが、代を重ねるごとに本来の美味しさから離れていくような気がした。 調理用トマトの場合は優秀な在来種サンマルツィアーノというエースがいるから例年通り在来種一本槍で問題はない。 しかしミニトマトについては例年通り手元にある在来種を栽培するか、それとも美味しいF1トマトを選ぶか、大いに悩ましい。 種苗カタログを開くとそこには魅力的なF1トマトの種子がズラリと並んでいる。皮の柔らかい「ぷちぷよ」安達先生ご推薦の「惚れ丸」「オレンジ千夏」とどめは「アマルフィーの誘惑」。いかにも美味しそうなネーミング。皮が柔らかい、糖度が高い、形が可愛らしい、サイズが均一とF1トマトは語りかけてくる。 負けた! 年の初めにF1トマトの種子を6種類も購入してしまった。去年の在来種と合わせると10種類を超すミニトマトの種が保存缶の中で出番を待っている。全種類を播種して4株ずつ栽培しても50株。大玉と合わせると100株を超えてしまうではないか。 立派に育ったトマトの苗を手に定植場所を捜して菜園をあちこち歩き回る姿が今から目に浮かぶ。 さて3本立ちで栽培した温室のオレンジパルチェは11月に入り、霜が降りて菜園の野菜がほとんど討ち死にする中、元気に茂っている。ゆっくりとオレンジに色づいた実は皮は厚くて固いものの、夏より甘味がぐんと増している。寒さに抗して厚着して糖分をため込んでいるのだろう。実に美味しい。冬の入り口で、時折やってくるマガモの姿などをながめながら残り少ない実をひとつひとつ慈しみながら口に入れた。 しかしさすがに衰えが目立ち始め、緑色の実がオレンジ色に熟すことなく萎れて来た頃、もう限界というところで、株を抜くことにした。 春から秋まで親しんだトマトを抜くのはさみしい気もするが、また一方で大きな楽しみでもある。これまで叶わなかった地面の下の様子を覗くことができるのである。スコップで根の回りを堀り、慎重にトマトを地面から抜く。根が姿を現した。これが美味しい実をたくさんくれたトマトを支えてきた根か。数本の太い根が四方に伸び、たくさんのひげ根が縦横に伸びていた。これまでの1本立ちトマトの何倍も力強い根っこ。想像を超える立派な根だったので廃棄するのが忍びなくてこのまま祀っておきたい気分。 例年なら3株は植えるスペースに1株しか植えなかったことによってこんなに根がのびのびと育ったのだろう。適正な広さに適正な本数という野菜栽培の基本中の基本を遅ればせながら実践したからだろう。育て過ぎた過剰な苗に脅されて、菜園にとにかく押し込むことに夢中になってきた昨今の姿勢を深く反省。72株を24株に減らせばいいのだ。 とはいえ、もう種子を見境なく購入してしまったから株数を減らすなんてのは至難の業、かといって菜園をすべてトマトに明け渡すこともできないし。学びと悩みは尽きないのである。 白菜 今年も2月に突入、この月さえ越せば確実に春を感じることができる。冷蔵庫には11月に収穫した白菜が年を越しても10株ほど眠っている。新聞紙にくるまれた白菜は殆ど傷みもなく美味しく食べられる。 隣で眠っていた越冬用キャベツは1月中に全部食べてしまった。しかしキャベツがなくても白菜があれば大丈夫、と今では確信をもっていえるけどその実力を思い知ったのは最近のことだ。数年前まではキャベツ一辺倒、白菜はついでに少々という程度の位置づけだった。 最近では殆ど主食と化した野菜のごった煮スープの主役はキャベツではなくて白菜なのである。大量の野菜をじっくり煮込んでスパイスや味噌を加えて味付けしたスープは実に美味しい。最後の一滴まで飲み干すほど美味しい。白菜はほかの野菜やきのこと一緒にその滋味を惜しげもなくスープに放出する。それだけでも十分なのだが、白菜はスープの旨味も貪欲に吸収するのである。キャベツは盛大に旨味を放出するが、吸収についてはそれほど熱心ではない。玉葱やキノコ、トマトもどちらかと言えば放出派。大根は放出と吸収のバランスがよい。白菜の真骨頂は吸収する力にあり、少々大げさだが私には大きな発見だった。こうして冬の間、白菜はキャベツの座を奪ったのである。 これまで白菜はキャベツと一緒に巻物野菜に分類していたのだが、同じアブラナ科でも白菜はカブに近い仲間であることがわかった。白菜は葉の根元から葉先にかけて色合いも質感も違っている。根元の真っ白い部分はスポンジ状、緑の葉はちりちりと縮れている。おおざっぱに漬け菜に分類される野沢菜や高菜、水菜やかつお菜と葉の様子はよく似ている。たぶん巻くという性質を獲得した白菜はほかの漬け菜類を出し抜いてメジャー野菜に昇格したのだろう。 スポンジ状の根元の方は吸収力が非常に高い。縮れた葉は平たい葉に比べると面積が広いから味がしみこみやすい。キャベツの葉がストレート麺なら白菜の葉は縮れ麺なのである。 だから白菜はスープのうまみを存分に吸収してくれるのだろう。 偏愛している白菜だが、生産量が増えているのは我が菜園くらいで残念なことに全国的にみると生産高量はひと昔前とくらべると大きく減少している。 原因はもちろん食生活の変化にある。白菜は漬け物に向いている。塩が浸透しやすい上にキャベツより結球がゆる目なので塩が中心部まですばやく浸透する。ほかの漬け菜、野沢菜や広島菜に比べて形も整いやすい。白菜の暖かみのある白い肌は食卓では魅力的に映る。昆布の黒、唐辛子の赤、柚子の黄色を添えればまことに美しい。 50年くらい前までは都会でも白菜を漬ける家庭が多かった。大正生まれの母もある時期までは毎年欠かさず八百屋さんが届けてくれる白菜を漬けていた。今年はよく漬かったとか、いつもより暖かかったから出来がよくないとかご近所さんとそんな会話を交わしていたものだ。台所の床の羽目板を外すとコンクリートの室のようなものがあってそこには自家製の漬物やら梅干しやらが保存されていた。 住宅事情や家族構成、とりわけ食生活の変化によって都会では白菜を漬ける家庭は今やほとんどないだろう。農村でも事情はそれほど変わらないと思う。 野菜栽培と保存の技術の向上により1年中、新鮮な野菜が供給されるようになってからはレタスやトマト、キャベツやキュウリを使った生野菜のサラダは手軽な一皿として家庭に普及していった。サラダは彩りが華やかで肉や魚介類を加えたり様々なバリエーションが楽しめる。しみじみとした地味な白菜漬けはシャキッとした華やかな生野菜のサラダにとうてい太刀打ちできない。加えて塩分の取り過ぎが問題になってきた昨今、保存のために塩をたっぷり使う漬け物は健康によくないということで悪者扱いされることもある。 危うし白菜。サラダに押されて漬け物という大口供給先が激減した白菜、このままでは白菜は片隅に追いやられてしまう。探さないと手に入らない稀少野菜になってしまう。 チャイブスの花で仲良く吸蜜・ミヤマカラスとスジグロシロチョウ こうした白菜の危機(野菜のゴボウ化ともいう)に歯止めをかけたのは、唐突だが、卓上型ガスコンロの普及にあると思う。そうイワタニのカセットコンロ。 かつて鍋物は家庭ではそれほど頻繁には行われなかったように思う。幼い日、わが家では食堂と居間にそれぞれガス管が引いてあった。それにおなじみのオレンジ色のゴムホースをつないで卓上にガスコンロをセットして鍋をのせていた。子供がホースに躓いたり、締め具が緩んでガス漏れしたりと仕掛けが面倒な鍋料理は特別な日の料理だったように記憶している。来客とか誕生日とかすき焼き用の上等な牛肉をいただいたいうような高度なモチベーションが鍋物には必要だったのである。 そこにカセットコンロが登場する。ボンベをセットしてコンロを食卓に設置する。鍋をのせて具材を放り込めば手軽に鍋料理が楽しめる。部屋にガス管を設置する必要もなく、厄介なゴムホースも不要。コンロの上にはあり合わせの大きな鍋、そこに肉やら魚やら豆腐やら野菜を放り込んでみんなで鍋を囲んで煮えるのを待つ。これなら家庭ならずとも学生下宿だってかんたんに鍋料理が楽しめる。冷蔵庫の掃除役にもうってつけ。鍋料理は特別な日の料理から手軽に楽しめる手のかからない料理という地位を獲得したのである。 カセットコンロの普及によってゴムホースから解放された鍋料理は瞬く間に家庭に入り込み広く深く愛されるようになった。加えてテレビの料理番組や旅番組などを通して地方の鍋料理が全国的に広く知られるよになった。水炊き、きりたんぽ鍋、石狩鍋などなど。今では、キムチ鍋、トマト鍋、豆乳鍋と鍋料理用の各種スープとポン酢などのつけ汁がスーパーの棚にズラリと並んでいる。その多様さは目を見張るばかり。 キムチ鍋にしろ豆乳鍋にしろ鍋の主役は何といっても我らが白菜なのである。ここでも放出と吸収、特に吸収という白菜の特技が遺憾なく発揮されることとなる。旨味を吸収する力が強いから白菜それ自体が美味しい。火が通りやすいというのも有利。いくら上等な肉や魚介でも単品では鍋の素材にはなりにくいが、白菜は昆布と豆腐くらいあればそれだけでも鍋料理は成立する。ほどほどという白菜の性質は鍋料理にはうってつけ、キャベツにも大根にも、ましてゴボウにもこんな芸当はできない。 かくして白菜は鍋料理を支え、鍋料理は白菜の需要を支えてきたのである。 大根はたくあん漬けの衰退とともに生産量が急降下した。コンビニおでんもたいした救世主にはならなかった。カセットコンロの出現による鍋物の普及によって大根が受けた恩恵といえば大根おろしくらいではないか。 ましてや牛蒡をや。 白菜に訪れたもうひとつの幸運、それはキムチの普及にあると思う。「桃屋キムチの素」の発売である。キムチの素により一般家庭ではほとんど馴染みのなかったキムチが漬け物として広く認知されるようになった。家庭で作る作らない、食べる食べないは別として「キムチ」という言葉が広く市民権を得たのである。スーパーの棚には昔ながらの白菜漬けやご当地漬け物に代わって多様なキムチが並らんでいる。 キムチは従来の白菜漬けに比べるとかなり攻撃的な漬物だ。漬物というよりおかずに近い。以前、韓国でキムジャンに混ぜてもらったことがあるが、女性たちの本気度はすごかった。陰干しした白菜の葉っぱ1枚1枚にヤンニョムを塗りつけていく。ヤンニョムは大量の唐辛子(3種類位、産地指定あり)、魚介の塩辛、なしやりんご、ニンニク(これまた複数、産地指定あり)などを混ぜ合わせたものだ。大きなボールが大量の唐辛子で真っ赤に染まりともかくパワフル。ゴム手袋がなかった時代にはどうしたんだろうと余計なことを考えてしまう。白菜もキムチ専用らしくて小型で葉の巻き方も緩かった。 こうして漬けられ、程よく発酵したキムチは副菜としてはもちろん鍋や炒め物など様々料理にも使われる。 インパクトの強いキムチは日本の漬物界に新風をもたらし、その恩恵に最も浴したのは大根でもキュウリでもなく白菜だったのだろう。 白菜にとってさらなる追い風となったのはテレビで人気を博した料理番組にあると思う。家庭向きお手軽中華料理の普及である。それまで漬物以外の白菜料理といえば白菜と油揚げの煮物とかお浸しとかお味噌汁の実くらいしか浮かばない。油揚げの油や削り節のうまみの力を借りて淡泊な白菜は食卓にのってきたのだろう。いずれにしても子供が好まないひと皿であることに間違いない。 料理番組に頻繁に登場するようになった油を使ったカラフルな炒め物、肉や魚介も入った短時間で仕上がる炒め物、これなら食卓の主役になれる。子供たちも喜んで食べる。八宝菜や片栗粉でとろみをつけたあんかけ料理。ここでも吸収能力の高さと火の通りのよさという白菜の優れた性質が存分に生かされる。油で炒めてさっと煮込む、さらにとろみをつけるという調理法は白菜の利用の幅を大きく広げたのである。不器用な大根や牛蒡にはこの芸当は無理。 最近は芯がオレンジ色のオレンジ白菜を栽培しているがこれが実に美味しい。火を通すとオレンジ色はより鮮やかになり見た目も美しい。白菜を極めた達人の中にはオレンジ芯や黄色芯は邪道、白い芯の白菜の方がずっと美味しいという声も多いけど、白菜に目覚めたばかりの私は邪道でもオレンジを選ぶ。ちなみにオレンジ色や黄色の芯の白菜は白菜を半割にして販売するようになって急速に普及したそうだ。なるほどその方がカット面が華やかに見える。白菜だって人知れず生き残るための努力をしてきたのである。今年ももちろんオレンジ白菜。白菜はキャベツやブロッコリーなどと同じアブラナ科の野菜だが、その仲間の中では一番栽培が楽だと思う。放っておいても葉っぱが程よく巻いた3キロを越す巨大な白菜に育つのである。 収穫時期を逸したロマネスコ・ミケランジェロ。今年こそ ミケランジェロとサクサク王子 ミケランジェロはカリフラワーロマネスコ、サクサク王子はつるなしインゲン。どちらも昨年、菜園にデビューしたニューフェイス。 ロマネスコの姿形は実に芸術的だ。さすがイタリア。小さな三角錐の蕾が渦巻状に寄り集まって大きな三角錐を形成している。(こういうのをフラクタル図形というそうだ。)全体の形状と寸分違わぬ姿形をした小房は精緻で実に美しい。しかも色は鮮やかな黄緑色、加熱してもその色は失せることなく、食卓を華やかに飾ってくれる。最近ではデパ地下やスーパーでも販売さている。近所の直売所でも時々みかけるようになった。 彼女の存在はかなり前から知ってはいたが、派手なカリフラワーだろう位に思い込んでいたので、栽培してみようとは思わなかった。親分のカリフラワーについてもその利用価値の高さに気づいたのは最近のことだ。 去年の冬、半分にカットされた本当に巨大なロマネスコを友人から押し付けられた。カリフラワーもブロッコリーもまだあるし、ちょっと困ったなと思ったけど、その姿形と色があまりに美しかったのでとりあえずありがたく頂戴した。 一体どこにナイフをいれていいやら、まわりに蕾の破片を散らかしながら小房に切り分ける。茹でる。すぐに火を止めて蒸らしてからお湯を切り、冷水に放つ。ほどよく冷えたロマネスコを水切り。1個つまんで口に入れる。オッ、なんだこの味は。カリフラワーと比較するとアミノ酸的なうま味が強い。茫洋としたカリフラワーはスパイスを振りかけてインド風の炒め物ザブジにしたり、カレー風味のピクルスとして食べてきたのだが、ロマネスコは茹でただけでも十分においしい。これなら肉や魚介の力を借りなくても料理の主役としても通用するかもしれない。蒸し焼きやシンプルなバターソースをかけてグリルしてもいい。 ごめんなさいロマネスコ、貴方は、充分探求に値する野菜でした。 早速「ロマネスコ・ミケランジェロ」(晩成)と「ロマネスコ・ダヴィンチ」(早生)の2種類の種子を購入して栽培することにした。ロマネスコ元年スタート! ロマネスコはブロッコリーやカリフラワー、キャベツと同じブラシカ類だから4月の初めに播種して彼女たちと一緒に苗を育てて、6月の初めに菜園に定植した。ひいきして日当たりのいい場所に定植してやったせいか初めてにしては順調に育って個性的なあの形の蕾ができた。ちょっと感動、次第に成長して色鮮やかな三角錐の大きな蕾になった。本当にできるんだと深く感動。菜園のオブジェとしてずっとながめていたかったけど、ある日、意を決して1個だけ収穫してみた。 収穫したばかりの美しい蕾にナイフを入れる。おやっ、ナイフがスッと入らない。茎が固い。蕾みに瑞々しさがない。菜園のオブジェとしてながめている間に収穫適期を逃してしまったのだろう。黄緑色が失せて黄味が強くなり、固くなった蕾みは老化しているとしか言いようがない。あーあ、2週間前に決断して収穫を始めればよかった。2,3個を除いてほかのヤツも同じようなものだった。 栽培のきっかけを作ってくれた友人にお裾分けしようと思っていたが、そんなわけにもいかないから、細かく刻んだり、味つけを工夫してともかく食べ切った。 もちろん、このくらいのことで栽培を止めたりはしない。今年も挑戦すべくロマネスコの種子を購入した。「ロマネスコ・ラファエロ」。時期をずらしてこまめに苗を作り、時期をずらして栽培してみよう。早めに収穫すれば多分、美味しいロマネスコを手に入れることができるだろう。今年がだめでも来年、それもダメなら再来年、そこまで菜園仕事を続けていける自信はないが・・・ トマトの支柱やゴーヤーのネット、花豆用のパーゴラ、ウリズンやエンドウ用のフェンスと背の高い構築物で菜園はだいぶにぎやかになってきた。菜園では同じような背丈の作物が多いのでそれら構築物はよいアクセントになるのだが、それにしてもちょっと過密気味。これまではツルありとツルなしがあれば迷わずツルありを選んできたのだが、もうこれ以上構築物を増やしたくなかったので昨年は支柱が不要なツルなしインゲンを栽培することにした。その名もサクサク王子。派手な名称に似合わず昔からある固定種のインゲンで茹でてもさくさくした食感が味わえるそうだ。 インゲンというのは肉料理の付け合わせや肉じゃがやポテトサラダの彩りなど内容よりもアクセントとして使われることが多い。絹さやだってグリーンピースだってブロッコリーだって構わない。ハーブや葉物じゃなくてある程度存在感のある緑色野菜。いんげんについてはその程度の位置づけだった。 苗を作って定植したままほとんど忘れていたのにサクサク君は律儀にまじめに繁茂して膝下くらいの丈に成長すると地味な花を咲かせて莢をたくさんつけた。本当にたくさんたくさん莢をつけた。収穫しても収穫しても翌日には食べ頃の莢がたくさんぶら下がっている。もちろんセッセと食べる。ごま和えはもちろん、ナムル風にしたりクミンやガラムマサラをまぶしてインド風味付けにしたり、鶏肉や魚と一緒に蒸し焼きにしたり、インゲンもそう捨てたもんじゃなくて工夫次第では添え物以上の働きをしてくれる。手が回らなくなると生のまま冷凍ストッカーに放り込んで冬用の緑色野菜として保存した。その働きぶりに好感を抱いたので夏に二度目の育苗をして秋の初めに温室に定植した。気温が低かったせいか夏ほどの勢いはなかったけどそれでも花を咲かせて莢をつけた。菜園では夏野菜も南国葉物も豆類もほとんど枯れてしまったが、温室のサクサクは毎日律儀に莢をつけた。朝、温室に行くと茎の後に隠れるようにして地面を見つめるサクサクを探し出してサヤを摘むのが日課になった。季節は進み、雪がちらつくようになってもサクサクは莢をつけ、その数は次第に減ったけれども少量でもサクサクのきれいな緑は食卓を賑やかにしてくれた。 来年も粘り強くまじめなサクサク君を栽培しよう。ツルなしというのも意外といいものだ。こじんまりと慎ましやで一所懸命な感じが伝わってくる。 今年はインゲンだけでなくサヤエンドウやスナックエンドウ、グリーンピースもツルなしを選んで栽培してみよう。ちなみにサクサク君の天ぷらは超美味だった。まじめで地味なこのインゲンがなぜサクサク王子などいうキラキラネームを授かったのだろうか。きっと本人も当惑していることだろう。 新築のガゼボ。スイカズラが覆うハズなのだが・・・。気配なし 死ぬまでに栽培したい花 いつの頃からか菜園にあったガゼボ(複数本の柱をたててその上に屋根を乗せた東屋)が一昨年の冬に雪の重さで潰れてしまった。ガゼボは中に置かれたベンチに腰を下ろして、紅茶を飲みながら刻々と変化する菜園の様子を眺めてゆったりと時間を過ごすための憩いの場である。建前は。しかし一度としてガゼボでそんな優雅な時間を過ごした記憶はない。炎天下、汗だくになってどっこいしょとベンチに座る。目に飛び込んでくるのは美しく整備された菜園や花園ではなく、刈り残した雑草や伸び放題のトマトのわき芽、舗道を占拠しているナスタチュームなどなど。とてもじっとしてはいられない。それはそうだ。使用人が手入れした庭なり菜園なりを雇用主が楽しむためのガゼボなのに、わが菜園では使用人と雇用主が同一であるからしてガゼボは水分補給や汗を拭いて体を休めるための休憩所になってしまうのだろう。 そんなガゼボだが、長い間、菜園の風景の一部になっていたので、いざ失ってみると喪失感が募った。 そこで新ガゼボ建設をお願いすると冬仕事に新しいガゼボを作ってもらえることなった。できあがったガゼボは以前の三角屋根に比べると少々風情には欠けるが、これなら一生もの、屋根が取り外せるからどんな大雪にも耐えるだろう。以前のガゼボが北海道に昔からある三角屋根のかわいらしい家だとしたら新ガゼボは屋根が平らな耐雪ハウスといったところ。別に不満に思っているわけではないが。 白花のカンナ、今年再度挑戦予定。群れたら見応えあり。 せっかくガゼボが新しくなったのだからこのエリアを久々にハーブガーデンにしてみようと思い立った。ここはいつもなら余った苗や一年草の花々をさしたる方針もなく無秩序に植えているので、夏になると収拾がつかなくなる。背丈が高いキンギョソウやジニアは花の重さで倒伏するし、下敷きになったアスターは悲鳴を上げるし、あっちの方では満願寺唐辛子とバジルが光をめぐって激戦の真っ最中。まったくのカオス状態。菜園の入り口なのでここだけは整然とした雰囲気が漂うようなエリアにしたいと思っていたのだが。 偶然、良心的なハーブ専門の苗屋さんがみつかったので一度は栽培してみたいと思っていたハーブの苗をいろいろ注文した。フレンチタラゴン、レモンバーベナ、ローズゼラニューム、レモンゼラニューム、パープルセージ、レモンタイムなどなど。雪深い北国では冬越しが難しいのであきらめていたハーブばかり。そして新しいガゼボにはハニーサックルを這わせることにした。ハニーサックルという魅力的な名前に惹かれてきめたのだが、その正体はハスカップなどと同じスイカズラの仲間。4メートル以上伸びるそうだからガゼボ全体を覆ってくれるだろう。 このハーブガーデンの試みは結論からいうと半分成功、半分失敗。ほとんどのハーブは冬前にポットに堀りあげて、温室に取り込んだ。繊細なフレンチタラゴンは柔らかな芽をたくさんつけて一番元気がいい。あと2~3年したらバタフライガーデンも兼務したハーブガーデンとして形が整うだろう。 死ぬまでに栽培したい花、今年は白い花の咲くカンナ。苗は順調に生育、ハーブガーデンの奥の方に定植したのだが、予想外にせり出してきたブッドレアの陰になってかわいそうなことをした。背丈は伸びなかったが、それでも淡いクリーム色の花が2~3輪咲いた。紛れもなくカンナの花、赤に比べるとずっと上品で名を名乗らなければカンナと気づかれないかもしれない。 今年も再挑戦、もっと日の当たる場所に植えて伸び伸びと育ててやろう。黒に近い濃色の花が咲くはずのホリホックも定植してみた。運がよければ今年、開花するだろう。 手元にはオークションで手に入れた名前を聞いたことももちろん姿を見たこともない花の種がたくさんある。春先の混乱ぶりが目に浮かぶ。 菜園、今年の方針 これまで何といい加減な態度で作物を栽培してきたのだろう。冬の間、植物分類の本を読んで大いに反省。キャベツと白菜が同じアブラナ科の野菜ということは知っていたが、これまで両者をアブラナ科の巻物野菜として勝手に分類してきた。ギリシャあたりを原産地とするアブラナ科の植物は西に進んでケール、東に進んで菜っ葉として進化する。ケールを親とする一族にはキャベツ、ブロッコリー、芽キャベツ、葉ボタンが所属する。一方、東に進んだ菜っ葉類は蕪や大小様々な漬け菜類(野沢菜、広島菜など、葉がぼうぼうに広がる菜っ葉)に進化、菜っ葉が巻くようになったのが白菜で小松菜や青梗菜に近い。 なるほどよく見ると白菜は青梗菜に似ている。 だからどうしたという話なのだが、これほど慣れ親しんできた野菜について何も知らなかったのかとショックを受けた。 これまではキク科のレタスもチコリもサラダ野菜として一括して取り扱ってきたけど両者はかなり異なった野菜なのである。人類は先住の動物たちが食べ残した苦い葉っぱを食べて命をつないで来たと言われる。苦みの強いチコリは今後、人類が生き残るためには大切な食物になるかもしれない。 今年はキク科のレタスとチコリをできる限り網羅して栽培するつもりでいる。10種類を超える葉っぱの行く先は考えないことにしよう。レタスではバターヘッドやコスレタスチコリではバタビアン、スカロール、ラディッキオ、・・・・・。 あと何年かまじめに精進すれば草食動物として生きていけそうな予感がする。 6月のボーダーガーデン。デルフィニューム、オリエンタルポピー、芍薬・・宿根草の花の命は短い
初夏のバタフライガーデン 死ぬまでに栽培したい花のリスト トサカケイトウ(束鶏冠鶏頭) 今年は死ぬまでリストから拾ってケイトウと金魚草を栽培することにした。両者ともおかしな形をした花をつける。その花が開く様子を確かめたかったからだ。 ケイトウの花のイメージは暑苦しい花といったものだろう。かつては民家の狭い裏庭などに見かけた様な気はするが、最近では庭でケイトウを栽培しているなんていう話しは聞いたことががない。絶滅危惧種に近いのかもしれない。 花カタログを開くと予想に反して色々な種類のケイトウがのっていた。ケイトウと聞いて真っ先に頭に浮かぶのがトサカゲイトウ。「束鶏冠鶏頭」と書く。その字面からして暑苦しい。花の名称というよりも名古屋コーチンや薩摩地鶏のようなブランド鶏の名称のように見える。 トサカケイトウのトサカは日々、成長を続けている トサカケイトウは肉厚のトサカが幾重にも重なり、波打ちながら横に拡がっている。トサカが横ではなく縦に伸びたのが「ウモウケイトウ」で幾分スッキリした印象、さらにもっと細長くキャンドル状に伸びると「ヤリケイトウ」(ノゲイトウ)。ここまで変形すると黙っていればケイトウには見えない。ヤリケイトウは長めの花穂に柔らかいピンクの花がつく。石垣島の箱庭果樹園ではすごい勢いではびこっているので雑草扱いされているが、持ち帰って青いデルフィニュームの隣などにひっそり添えるといいかもしれない。 種苗カタログによると「トサカケイトウ」はおなじみの赤だけではなくオレンジ、ピンク、黄色など色も豊富なら20~100cmと草丈も様々。ページの真ん中あたりに草丈が高くてライム色の花をつけたケイトウの写真があった。それは個性派が揃うトサカケイトウの中でもひときわ異彩を放っていた。これだ! トサカの形は異様でも薄緑色なら他の花たちと上手くやっていけるかもしれない。菜園のバタフライガーデン(のつもり)の後方に植えればそれほど目立たないだろう。早速、注文リストに加えた。パーキングエリアのプランターなどで時折目にする古典的な赤やオレンジ色のトサカケイトウにも食指が動いたがここはぐっとこらえた。 春、4月の半ばに他の一年草の花と一緒に温室で種を播いて育苗スタート。一年草だから元気がいい。40日ほどで一人前の苗に育った。野菜の苗作りや定植の合間をぬって5月に菜園のバタフライガーデンに定植、他にめぼしい苗がなかったのでシナモンバジルや柔らかな色のカレンジュラと混植してみた。あとは花が咲くのを待つだけだ。 1ヶ月ほどして我らがケイトウに小さなトサカを発見! おやっ、いつの間に。蕾みのようなものはなかったのに。小さいけど一人前にトサカの形をしている。小さいけど分厚い花弁が波打っている。栄養不足か定植時期を間違えたせいでトサカが小型化してしまったのだろうか。ともかく生涯栽培することはないだろうと思っていたケイトウに花が咲き「死ぬまでに栽培したい花のリスト」は一行だけ短くなったのである。 しかしこれで終わりではなかった。小さなトサカは少しずつ成長を始めたのである。開花してから1週間、2週間、ケイトウは種袋の写真のような立派トサカをもつ花に成長したのである。まことにめでたいのだが何となく腑に落ちない。この違和感は何だろう。蕾みが少しずつ解けてやがて満開を迎えるという一般的な開花のプロセスとは違い、トサカの成長ぶりは人間の子供が年を経て大人になる、かわいらしい仔猫がやがてふてぶてしい肥満猫になるというような動物的な成長プロセスと酷似しているのである。 一般に花というのは開花すると滅びに向かって進んでいくようなある種のはかなさを感じさせるものだ。しかしケイトウには滅びに向かうはかなさなど微塵も感じられない。 この小さな集合花がケイトウの花。 目立つトサカは虫を呼ぶためのフェイク花。 しかしこのトサカのどこに蜜や花粉が潜んでいるのだろう。蝶はもちろん他の昆虫の姿も見かけない。疑問を解くべく調べてみると花とばかり思っていたトサカは実は花ではなかったのである。波打つビロード状のそれは花ではなく茎の先が変形した花序というものだった。アジサイの花のように昆虫たちに花の存在を知らせるための広告塔、フェイクの花だったのである。よく見るとフェイク花序の根元あたりに小さな花のようなものがかたまっている。これが本来のケイトウの花だったのか。花弁は5枚雌しべ1本と雄しべ5本、しばらく眺めていると小さなアブが飛んできた。 トサカがあまりに堂々としているので本来の花を見逃していたけどケイトウというのはこういう構造の花だったのである。動物のように成長していたのは花ではなく花序だった。なるほど。もしケイトウを栽培しなかったらケイトウの花はトサカだと一生思い込んでいただろう。 ライム色のケイトウは紫色や緑色のバジル、一重の百日草と違和感なく調和してキク科の花々が多いバタフライガーデンのアクセントになった。何より丈夫な茎が重たい花を支えて自立してくれるのがありがたい。トサカケイトウは蝶には見向きもされないけど臆することなく堂々と咲き誇っていたのである。 肥大したトサカを落として丈を詰めれば夏の終わり頃にはもう一度花を咲かせるだろう。でもトサカの迫力に圧倒されてどうしても切り落とすことができなかった。 来年は「トサカケイトウ」から派生したという「久留米ケイトウ」を植えてみよう。どなんトサカに出会えるか楽しみ。 金魚草 芳香を放つ金魚草は最高のウエルカムフラワー! レモネードは意外と伸びやか。 動物シリーズというわけではないが、今年は金魚草も栽培してみた。金魚草については何となくこまっちゃくれた花だと思っていた。道路ぎわに設置された花いっぱい運動のプランターにピンクや黄色の丈の低い金魚草が植わっていることがある。赤いサルビアなどと組むことが多い。わが菜園で丈の低い花といえばマリーゴールド一辺倒、長年にわったって揺るぎない地位を確保している。 マリーゴールドは奔放で陽気なうえに、丈夫で花期が長く、野菜の緑ともよく調和する。控えめな一重咲きの小花を選べば、夏でもそれほど暑苦しくないから金魚草には関心が向かわなかったのである。 これが外敵のセイヨウオオハナマルバチ 種苗カタログを開くと金魚草はケイトウよりずっと愛好家が多いらしくて花色も様々、そして草丈も様々、種類がかなり多い。思いがけず高性の金魚草というのも存在していた。さすがに青や紫色はないものの白花はある。写真で見る限りスクスクとそれなりに伸びやかな雰囲気があり、長い花穂に小花がたくさんついている。それぞれの花はあの金魚の形だけど集合体になるとこまちゃくれ感は薄れてルピナスの様だ。白花だけでは寂しいのでレモネードという美味しそうな薄黄色の種子も注文した。 これもケイトウ同様、温室でスクスク成長してバタフライガーデンに定植される日を心待ちにしている様子。花が咲き始めた徒長ぎみの苗を倒伏しないようギュウギュウに密植した。舗石に沿って植えたライム色の高性百日草とローブッシュブルーべリーの間に押し込んだ。予想通り花の重さに耐えかねた苗はバタバタと倒伏したが、支柱を立てるほどでもないし、めんどうなので金魚の形をした花をスパスパ切り落としてしまった。しかし金魚草はひるむことなくすばやく立ち直り、夏の盛りには二度目の花をたくさん咲かせた。 白とレモン色の花は意外と爽やかで、緑色や古典的な花色の百日草ともよく調和してくれた。 心地よい芳香を放ち、思いがけず菜園のウエルカムフラワーの役割も果たしてくれた。甘い香りに誘われてたくさんのマルハナバチが終日吸蜜にやって来た。オオマル、コマル、トラ、チャイロと常連に混じって、あのセイヨウオオマルハナバチまで姿を現した。この外来種のマルハナバチは生態系を乱すハチとして特定外来生物に指定されている。見つけ次第、退治しなくてはいけない。大型でお尻が白いので判別は容易、常連の愛らしいマルハナバチに比べると気のせいか態度物腰も顔つきも何となくふてぶてしい。常備した捕虫網を振り回して捕獲に励んだ。これだから菜園仕事は一向にはかどらない。 金魚草は香りもさることながら特質すべきはその頑強さ、紫色のサルビアとともに低温にも霜にも負けず花を咲かせ続けている。光に誘われてハナアブが時々やってくる。名残のエルタテハなども訪れる。 今年の動物シリーズ、鶏頭も金魚草も見事に予想を裏切ってくれたので来年も栽培してみよう。来年はバタフライガーデンを拡張しないととても納まりそうにない。 アスターが咲き始めた。この蕾みたちが咲き揃うと・・・ アスター 去年は恐る恐る栽培したアスターだったが、丈夫で花期も長くて蝶たちにも大人気だったので今年も栽培することにした。今年は紫に加えて白、真紅、アプリコットの4色の種を播いて育苗した。やや徒長した100株を越す苗をバタフライガーデンと陽当たりのいいサンガーデンに定植した。アスターはキク科の花だ。ひまわりも百日草もコスモスもマリーゴールドもキンセンカもキク科の花だ。キク科の花々だけを集めても素敵なガーデンができるだろう。逆に言うとキク科の植物なしには1年草のガーデンは成り立たない。 西欧園芸の華がバラなら日本園芸の華はキクだ。キクは異様なまでに様々に変化してキクだけで分厚いカタログが作成されている。それだけ愛好家が多いのだろう。 谷津遊園の菊人形は今でも秋の風物詩なのだろうか? キクは紛れもなくバラに匹敵する園芸界の女王だろう。 それは認めるけど豪奢で人工的な感じがするキクもバラも野生に近い農場の庭には似合わない。主張が強すぎるのだろうか。 私が栽培しているキク科の花は、百日草やマリーゴールド、矢車草やコスモス、何気なく選んできたつもりだったが、キク科のくせにキクには見えない花々を選んでいたのである。「菊度」が低いキク科の花々といったらいいのか、無意識のうちにそういう種類を選んでいたのである。 その観点からするとアスターは「菊度」がかなり高い。去年は20株程度だったからそれほど目立たなかったけど100株近くのアスターが集団で咲くとキクそのものなのである。菊度はMAX。しまったと思ってもいったん定植したアスターを抜くわけにもいかない。アスターは花が少なくなる秋まで咲き続けるから、昆虫たちにとってはありがたい蜜源植物なのである。彼らのためにも多少気に入らなくてもアスターを育て続けなければいけない。 これほどまでにアスターの菊度をUPさせてしまったのはきっとまとめ植えのせいだ。20株、30株とまとめて植えたのがいけなかったのだ。アスターは小うるさい宿根草と違い、競うようにして無邪気に花を咲かせて菊度をますますUPさせるのである。アスターの菊度を下げるには分散させて植えるのがいいのだろう。分散させた上で菊度の低い矢車草や一重咲きのダリアや紅花、或いはシソ科のサルビアやニゲラたちと一緒に植えればいいのかもしれない。 来年はオレンジ色の紅花の隣に紫色の高性のアスター、黒いダリアの隣に紅色のアスターというように分散させて植えてみよう。 庭に定着するもの、去るもの、また戻ってくるもの、一年草の花は気軽に試せるからありがたい。ヘリオトロープや紫色のサルビアはすっかり菜園の常連になった。ヘリオトロープはコスレタスや黒キャベツと張り合って濃紫の花を咲かせるし、昆虫たちに慕われ、大いに頼りにされている紫色のサルビアは不意の吹雪にもひるまず咲き続けている。気難しい宿根草や開花に何年もかかるよう山芍薬やカタクリではとてもこうはいかない。 近年、菜園は様々な野菜とカラフルな花が混在する一年草の庭と化している。 死ぬまでに栽培したい花のリストの中から数種類ずつピックアップして毎年栽培してきたが、リストは少しも短くならない。それどころか逆に長くなっていくような気がする。 急がないとリストに記された花をすべて消化するのは難しいかもしれない。急がないと。 ここ数年来、菜園にすっかり定着したヘリオトロープ ひいきしているオリエンタルポピー、強烈な赤いポピーに負けそう 南国野菜が好きだ 北海道では馴染みがないが、沖縄や九州ではでよく目にする野菜をまとめて南国野菜と呼んでいる。かつてはゴーヤーが南国野菜の代表選手だったが、ゴーヤーはチャンプルーをきっかけとしてメジャー化して北上し、北海道の直売所でもふつうに目にするようになった。菜園でも10年近く栽培している。ツルムラサキしかり。定番の野菜スープには欠かせないので時期をずらして大量に育苗して栽培している。せっせと葉を摘み取り、せっせと冷凍して冬に備える。最近では1年分のツル紫がまかなえるようになった。 ゴーヤーやツル紫は今や北海道でもふつうに栽培されているの南国野菜に分類する必要もないだろう。 南国野菜その1 雲南百薬 雲南百薬というのは多分、石垣島での呼び名で一般にはオカワカメという名前で苗が販売されている。 支柱を立てるとツルが絡みついてどこまでも上っていく。同じ仲間のツル紫より葉っぱが小さくて厚さも薄い分、クセがなくて使いやすい。スープはもちろん、塩麹大蒜炒めやカキ油炒め、サッと湯がいてナムル風のお浸しにしても美味しい。百薬もツル紫同様どんどん収穫して冷凍しておくが一度冷凍した葉は炒め物には使えないので、たいていスープに放り込んでいる。キャベツや玉葱など10種類を越す菜園の野菜たちと協力して雲南クンもスープの旨味増進に貢献しているのだろう。収穫した野菜を刻んだりちぎったりして鍋に放りみ、米麹多め塩分控えめの味噌を加えるだけですごく美味しい野菜スープができる。スープストックも出汁もなし。仕上げにパクチーやチャイブを散らしたりコチジャンやナンプラー、各種スパイスなどを加えて変化をつけると毎日食べ続けても少しも飽きない。味のベースはトマトと味噌なのだが、野菜の種類が少ないと何となく物足りない。 雲南百薬の花で吸蜜するハナアブ、急げ急げ! もうじき雪 夏の終わり頃、百薬にはブラシ状の花が咲く。すると葉の付け根に奇妙な形をしたムカゴができる。豊作の年だとムカゴが山のようにとれる。これも食用になるのだろうが、まだ食べたことはない。翌春、保存しておいたムカゴをポットに埋めておくと百薬の苗ができる。南国では地面に落ちたムカゴが勝手に発芽して成長するから嫌われ者化しているらしい。 秋に茎を掘り起こすと根っこにはゴツゴツした芋がたくさんついてくる。これも多分食用にも繁殖用にも使えるのだろう。百薬はとても効率のいい野菜なのである。 今年、温室の百薬に花がたくさん咲いた。花が少なくなる秋の終わりに百薬の花めがけてハナアブが大挙して押しかけてきた。次から次へとやってくるハナアブが白い花にぶら下がって、おだやかな陽射しを浴びて吸蜜している。秋の日が静かに暮れていく。最後のひと房が枯れるまでハナアブの姿が絶えることはなかった。例年なら寒さで葉が傷み始めたらすぐに抜いてしまうのだが、今年は葉も花も枯れるままにしておいた。思いついて花をいくつか切りとって種をとった。来年はムカゴ、芋、種子と3通りのやり方で育苗してみよう。 こんな素敵な百薬がなぜ普及しないのか不思議に思う。ツル紫に比べると育苗が簡単でツル紫よりも寒さや逆境に強い。今、栽培している百薬の祖先は数年前にオークションで入手したムカゴ、確かヤフオクで10個300円だった。 南国野菜その2 ハンダマ これは南国野菜というわけではなく北陸地方では金時草、熊本では水前寺菜の名前で親しまれている。濃い緑色の艶やかな葉、肉厚の葉を裏返すと紫色に近い鮮やかな牡丹色。色彩の変化に乏しい葉物野菜の中では珍しく観葉植物のような色合いの野菜なのである。沖縄ではハンダマだが、台湾のマーケットでは紅鳳草という立派な名称で販売されている。 石垣島の友人にハンダマの種か苗をどこかで入手できないだろうかと尋ねるとあれは雑草だからそんなものは売っていないと言われた。放っておけば自然にふえるし、挿し木でもすればグングン育つのだろう。とはいえ、私はいちから栽培を始めるのだからなにがしかの元手が必要になる。 那覇で飛行機の待ち時間に農連市場にある苗屋さんをのぞいてみた。すると店先の棚に黒ポットに入ったハンダマの苗が並んでいるではないか。3号ポットの苗が1鉢60円。メッケとばかりにおじさんに購入したい旨を伝えた。これから北海道に戻るけど温室があるから北海道でも栽培できると思うと話したとたん、おじさんの手がとまった。北海道じゃ絶対に無理、いや温室で育てるから、いや無理、でも温室と押し問答していると周辺の店からおじさんたちが集まってきて無理無理絶対無理、やめとけやめとけの大合唱。温室とかダメ元とかの私の主張はかき消されてしまった。 飛行機の出発時間が迫ってくる。でもここで諦めたらハンダマは栽培できない。粘らないと。するとよしっ、苗屋のおじさんはやおらビニールポットから土つきの苗を1株ずつ取り出すと6株まとめて新聞紙で包んでくれた。ポットを外されてかなりコンパクトになった苗をぶら下げて空港に向かう。こんなに苦労して手にいれたのに空港で没収されると悔しいから、さりげなく捕虫網に包んでリュックにそっとしのばせた。 ハンダマに初めて花が咲いた! 子孫を残せるか来年が楽しみ あれ以来、ハンダマは欠かさず栽培している。 おじさんが言った通りハンダマの冬越しは温室でも難しい。ハンダマは最近、少しだけメジャー化したようで、毎年、通販で苗を購入して栽培してきた。しかし今年はちょっと出遅れたらいつもの苗屋さんではハンダマの苗が売り切れていた。またしてもオークションで苗を購入。腹立たしいほど粗雑な包装で半分以上枯れて届いたが、生き残った苗を救い出して3株ほど一人前の苗に仕立てた。これまで栽培してきたハンダマの葉っぱはきれいな楕円型だったのにこのハンダマは葉がかなり丸い。確かに葉の色は濃い緑、葉の裏は牡丹色、葉の厚さもいつものヤツと変わらない。果たして本物のハンダマなのだろうかと疑いつつ定植した。 そして夏の盛り、なんとこのマルバハンダマが蕾みをつけたのである。どう見てもこれは蕾みだ。ここ数年、欠かさず栽培してきたが蕾みなんて初めて見た。3株のうち蕾みがついたのは1株のみ。全部で3個あった。朝の見回りでは真っ先に蕾みののところに飛んで行って早く早くと開花を促す。蕾みを確認してから1週間ほどでハンダマは開花した。ひょろっとした針金のような茎の先に開いたのはオレンジ色の紅花に似た小さな花だった。 レタスだってキャベツだって、どんな作物でも放っておけば花は咲く。でもハンダマに花が咲くなんて想像もしなかった。寒い北国では、花まで咲かせる余力がないのだろうと勝手に思い込んでいたけどそれは誤りだった。これまでのハンダマとは系統が違うマルバだから咲いたのか、気候が幸いしたのか、ともかくハンダマは不意に開花したのである。 3輪の花が枯れるのを待って、もちろん種子を採った。 春になったら種を蒔いてみよう。さてどうなるか、ハンダマは丈夫で寛容なキク科植物だからもしかすると期待に応えてくれるかもしれない。マルバだから子供もマルバなのかなー。市場のおじさんのヤメロコールから数年、自力でハンダマ栽培が可能になるかもしれない。おじさん、だから大丈夫って言ったでしょ。 うりずんの花、南国生まれとは思えない涼しげな色合い 南国野菜その3 うりずん 冬が終わって大地に再び潤いが戻ってくる季節を沖縄では「うりずん」と呼ぶ。「潤い初め」すてきな響きだ。その季節に一斉にひらく若葉の色とうりずん豆の莢の色が重なってこのマメ科の野菜はうりずんと呼ばれるらしい。東南アジア原産だろう。去年初めて栽培してみたが、大ぶりで涼しげな色合いの花に惹かれて今年も栽培することにした。 豆類というのはトマトやキャベツに比べて成長が早い。インゲン豆などはジャックと豆の木並みのスピードで支柱を這い上り、根元の方から次々と花を咲かせる。スナップ豌豆だって花が咲いてから莢が脹らむまでの時間が短い。 それなのにうりずんはゆっくりゆっくりひとりマイペースを貫いている。発芽もゆっくりならその後の成長もゆっくり。 今年は青い花のうりずん、赤い花の花豆、白い花のエンドウを並べて栽培してみたが、白花、赤花が開花してもうりずんは蕾みもつけない。三色花同時開花の目論見は見事にはずれてしまった。 うりずんの花が咲き始めたのはえんどうの収穫が終わりかけた頃だった。北海道の寒さにびっくりして出遅れてしまったのかもしれない。確かにうりずんを菜園に定植した6月はダウンが手放せないほどの低温が続いた。 うりずん豆、サクサクとした食感が身上。意外に豊産。 うりずんの花は観賞用の花としても十分通用するすてきな花だ。花の美しさでいえばハイビスカスの仲間のオクラといい勝負だろう。 去年は2株しか栽培しなかったのでゆっくり花をながめたり実を味わったりする間もなくうりずんの季節は終わってしまった。今年は12 株にふやしたので花が次々に咲いて大いに楽しませくれた。大ぶりの青紫の花は軽やかで南国の花とは思えない涼しげな風情がある。 赤や黄色やオレンジ色の派手で暑苦しい花が多い菜園にあってうりずんエリアは別世界のようだ。 花が咲き終わると掟通りに小さな莢がついた。うりずん時のしっとりした若葉の色だ。若い緑の色にふさわしく莢はフワフワと軽快な感 じがする。サヤインゲンを軽く軽くした感じ。四角く角張った莢を若い内に摘んで、サッと茹でる。サラダに散らすとポキポキした食感が上等なアクセントになる。もったりした苦みのトレビス、ごま風味のルッコラ、しゃきしゃきした健康優良児のコスレタス、甘くて爽やかなサラダ用フェンネル、パクチーやチャービル。夏の間中、うりずんはグリーンサラダには欠かせない大切なメンバーとなった。グリーンサラダの醍醐味は多種多様な葉っぱが醸す複雑な風味に加えて多種多様な野菜が提供してくれる様々な食感にある。シャキッ、サクッ、ポリッ、ホワッ・・・ うりずんの季節が終わった秋のサラダはポキッが消えて少し物足りなかった。でも代わりにブロッコリーの小さな花蕾が次々にとれ始めてコリッが加わったのでうりずんのことは忘れてしまった。うりずんは淡々と脇役を演じてスッと消えていくのが得意な野菜なのだろう。 ハイビスカスのようなローゼルの花はやはり北国には似合わない 南国野菜番外ローゼル ハーブのカタログでローゼルの種子を見つけたので購入してみた。ローゼルの赤い実は酸味が強くてビタミンCが豊富なのでハーブティーによく利用されている。石垣島の箱庭果樹園では雑草の如く元気に育っている。誰かが植えたのか、自主的に移動してきたのか定かではないが、多分、今頃は赤い実をつけているのだろう。 春、温室で数粒の種をポットに播いたら2個だけ発芽して順調に背丈を伸ばした。適温が分からないから2鉢のローゼルを温室から出したり入れたりしてそれなりに面倒をみたかいあってか夏の盛りに1輪、秋の初めに2輪の花が咲いた。蕾みはたくさんついたものの開花することもなく大半はしぼんでしまった。ローゼルはハイビスカスの仲間だ。ピンク色の大ぶりな花はいかにも南国らしい。 ようやく開花まで到達したのだが、温室のローゼルは何となく無理して咲いている感じがして北国の温室にはなじまなかった。やはりローゼルは太陽がじりじり照りつける南国の青空によく似合う花だ。 菜園の惨状を直視しよう トマトもナスも胡瓜も近年になくできが悪かった。72株定植したトマトは定植後間もなく葉が枯れ上がり花もわずかしか咲かず、したがって実も少ししか採れなかった。実の量は去年の1/4にも満たない。量もさることながら味がよくなかった。不味かった。 菜園の見回り時に完熟したトマトを口に放り込んで、隣のバジルなどもつまんでサラダ代わりにするのが夏の朝の日課だったのに今年はそんな気にはとてもなれなかった。それもそうだ。枯れ上がった葉では光合成もままならないだろうから実に栄養を回すどころではなく株を支えるのが精一杯だったのだろう。まずは生きることで精一杯だったのだろう。 原因は何か? 寒々とした6月初旬の菜園。定植した苗は勢いがなく支柱ばかりが目立つ やけに寒い6月だった! いつものように温室で育てた苗を定植したのが6月の初め、これは例年通りのペース。 ナスや胡瓜、ゴーヤー、雲南百薬の苗も一緒に定植したのだが、これらの野菜は揃って出来がよくなかった。6月前半の最低気温はほ ぼシングル、昨年と比べて8℃以上、低い日もあった。思い起こせばダウンをしまえずにグズグズ文句を言っていた頃だ。 定植時の低温は苗に大きなダメージを与えたのは間違いない。定植を1週間遅らせておけば問題はなかったのかもしれない。1週間ずらして定植したキャベツやブロッコリーなどのブラシカ類やツル紫、豆類は例年通りのできだった。やはり6月初めの低温は夏野菜の苗を傷めつけたようだ。 土に休暇を! トマトの不作の原因は定植時の低温、果たしてそれだけだろうか? ここ2,3年、最盛期に比べると菜園の力が衰えてきたような気がする。キャベツやブロッコリーなどのブラシカ類は別として最盛期を100とすると去年は80、今年は50という感じ。 薄々は感じていたけど、やはり菜園の土が疲弊してきたのだろうか。休みなく働いているから本当はクローバーとかエン麦のような緑肥作物でも植えて特別休暇を与えてやるといいのかもしれない。豊作が当たり前、少しでも実つきがよくないとあれこれ詮索されて見当はずれの処置が施される。もう十分なのに1日中、スプリンクラーで水を与えられる。本当はリン酸がほしいのに今日も水、土だってもうヤダと自暴自棄になるのも無理はない。 菜園は6区画に区切られているが、来年はその内の1区画に土に負担のかからないような作物を栽培してみようと思う。1年草で暑さ寒さに強くて風景としても菜園になじむような植物、何がいいだろう。高性のマリーゴールドや麦類も魅力的。でも種を播いたら最後、無関心ではいられなくなって結局、色々と手をかけてしまいそうな気がする。土が一番欲しがっているのは耕起でも肥料でも水でもなくひたすら人間の無関心なのかもしれない。 春先、菜園には知り合いの牧場からもらって何年か寝かせた堆肥や鶏糞、石灰を投入している。いい加減にバラ撒いているから作物にとって十分かどうかは定かではない。 土が喜んでいるのかどうかも定かではない。 それで今年は来年に備えて土が喜ぶような堆肥作りにまじめに取り込むことにした。菜園の近くには立派な木製の堆肥槽があるにはあるが、大型過ぎて面倒がみきれないので温室に家庭用堆肥ポットを設置することにした。ホームセンターでよく見かけるお寺の鐘のような形をしたあのプラスチックの容器、どこの家にもあるけどたいていは邪魔者扱いされて菜園の隅に佇むあのおなじみのポット。手初めに100リットルというのを購入して設置してみた。いくらでもあるカエデやナラやツタの落ち葉を集めてポットに放り込んだ。家の外壁を這い回るツタが一番効率よく集められるのだが、堆肥の材料としてはカエデやナラには負けそうな気がしたので色んな種類の落ち葉を集めて投入、キッチンの生ゴミや菜園で引っこ抜いたブロッコリーなども刻んで投入、ついでに食品工房からあふれ出した1トン分のりんごの皮や芯も投入して、発酵促進剤やぬかも加えておいた。 もうじき100リットルポットはいっぱいになる。いっぱいになったら土で覆って寝かせるらしい。材料はたくさんあるから500リットルくらいは難なくできるだろう。来春は無理でもいつかは菜園再生のために働いてくれるといいなー 悲惨! これが盛夏のトマトなんて、見た目通り不味い 種子が怪しい! 秋、完熟したトマトの種をとって、冬期間、大切に保存して、春に種を播いて育苗する、という作業を繰り返してきた。大玉、中玉、ミニと合わせて10種類くらいのトマトを栽培している。お気に入りのトマトの株に印をつけておいて実を収穫して種を取り出す。種を水洗いして乾燥させて保存する、種をとるといってもただそれだけ。 そして雪の山を眺めながら温室で種を播いて育苗する。私はここまでの一連の作業が園芸作業の中では一番好きだ。 もちろん収穫は嬉しい。調理も楽しい。 しかし春先の育苗にはかなわない。冬の間に貯め込んだ園芸熱を一気に育苗に注ぎ込むのである。 トマトは在来種以外に一代交配(F1)の果実からも何代にもわたって採種して育苗してきた。その結果、F1の優れた形質(美味しくて頑強で多産)を受け継ぐ種子が次第に少なくなってきたのだろうか。F2世代以降になると去年はすごく美味しかったのに今年はあまり美味しくないということが起こる。去年はたくさん収穫できたのに今年は少ないということも起こる。代を重ねるうちに長所と短所をあわせもつ(病気に強いけど不味いとか美味しいけど低温に弱いとか)ご先祖さまに逆戻りした種子が増えたのかもしれない。自家用ならアハッハッですまされるけど販売用だとそれではすまされない。 種苗会社との契約、種苗法なども関わってくるからプロの農家はF1種子は採種などせずに毎年新しい種子を購入する。私はなにも考えずに気の赴くまま採種して利用してきたから多分、菜園にはワケの分からないトマトがたくさん実っているのだろう。不味い上に病気に弱いとか、不味いくせに実のなりが悪いとか・・・・・。 トマトは自家受粉が基本だから通常は他の品種と交雑することはないらしい。プロのようにフルティカならフルティカ、モモタロウならモモタロウというように種類限定で栽培していれば、交雑のしようもない。しかし菜園ではAの隣にBを3株その隣にCを4株というように複数の品種を栽培しているのでトマトAを訪れたマルハナバチがトマトBに飛び移って花粉を渡すということは大いにあり得る。これがトマトAとナスBの間なら結実することはないだろう。でもトマトAとトマトBの間ならトマトABというような交雑種が生まれるかもしれない。そのあたりの事情はよく分からないが、菜園には異種株間の交雑によっても変わり種トマトが出現している可能性もある。 最近ではにオレンジ色の中玉トマトとかマイクロ級のミニトマトというような植えた覚えのないトマトが頻繁に出現するようになった。そういうトマトは例外なく不味い。生食には不向きなので、迷わずスープ鍋に放り込む。サラダやおやつ用には美味しいトマトを選べばいいだけの話し。少なくともこれまでは何の問題もなかった。何だコレ、変なの、アハッハッですましてきたのである。 しかし、今年のトマトの惨状からすると長年続けてきたいい加減な採種はもう限界にきたのだろう。 というワケで秋のメインイベントであった採種を今年は涙を呑んで中止した。 とはいえ採種からスタートして播種、定植、収穫を経て再び採種に戻る栽培サイクルはこれからもずっと続けたいから、来年からは在来種に絞って栽培してみようと決めた。 種苗会社から届く豪華カタログが勧める魅力的なF1の種子、果物並み糖度抜群! とか低温にも高温にも強い! というようなキャッチフレーズと縁を切るのは寂しいけど・・。 土と光と水と種子があれば作物は育つ。採種から始まるサイクルを持続することができれば、種子は食糧危機に立ち向かう強力な武器になるだろう。その種子がF1のエリートたちではなくて昔ながらの在来種なら環境の変化に適応しながら安定した品質の作物を長期間にわたって私たちに供給してくれるハズだ。 定植時の低温、土の疲弊、怪しい種子の三重苦が今年の不作の原因だろう。他にも原因は多々あるとは思うがとりあえず来年はこの3点にしぼって改善することにする。 暴徒化したナスタチューム、日々領土拡張に意欲を燃やしている。
10月中旬朝のベリー園、雲海が村を囲む。秋の空に羊蹄山がくっきり 夏は樹下育苗に限る いよいよ菜園も最終ステージに突入しました。それでもおしまいというわけではなく秋本番と強気です。 強気を支えているのがアブラナ科の野菜、ブラシカたちです。キャベツ、ケール、黒キャベツ、ブロッコリー、ブロッコリーニ(スティックブロッコリー)。 葉を巻き始めたキャベツは日に日に球がしっかりしてきました。そのスピードから彼らの焦りが伝わってきます。球を大きくしないと雪が積もってしまう早く早くとつぶやきながら競争で巻いています。けなげですね。今年3回目、3期生です。 それはブロッコリーも同じ。定植後1ヶ月もしないうちから花蕾をつけ始めました。寒さに反応しているのですね。初夏に植えた2期生はアオムシと戯れながら、怠惰な夏の日々を過ごしていたのに3期目のブロッコリーは大きな花蕾を収穫した後もせっせと脇芽作りに励んでいます。 ブロッコリーは花蕾を食べるという画期的な特性もさることながらとてもユニークな野菜です。春一番に温室に定植したブロッコリーも少し遅れて菜園に定植したブロッコリーも秋が深まった今でもせっせと花蕾作りに励んでいます。いつ抜いたらいいものやら、決断ができません。 温室のブロッコリーはこのまま放っておくと冬を越して春には復活し、また花蕾をつけ始めるのではと期待しています。ゾンビブロッコリー。どんなに貧弱な花蕾でも春先には嬉しいものです。 今年、栽培したのはドシコという在来種のブロッコリー。F1のそれに比べると花蕾が大きめで多少だらしない感じに拡がってしまったけど家庭菜園では問題なし。メインの大きな花蕾を収穫した後は小さな花蕾が次々に発生してその効率のよいこと。家庭菜園の大家によるとドシコのような古い在来種は収穫後も花蕾がたくさん発生しやすいそうです。来年もドシコにしましょう。ドシコさんよろしく、名前も親しみやすいし。 現在3期目を迎えるブラシカの定植サイクルが順調なのは、樹下育苗のおかげでしょう。夏の高温多湿が苦手なブラシカは夏の育苗がむずかしい。そこで育苗箱を温室から出して高さ3メートルほどのサンシュウの木陰に移動させました。葉が茂ったサンシュウなら強い風や夏の陽射しから苗を守ってくれるかもしれないと考えたからです。そのおかげか今夏の超異常気象下でもブラシカの苗は普通に育ちました。暑くて風通しのよくない温室よりサンシュウの木陰の方が苗には快適だったようです。同じく樹下育苗したルッコラもスナック豌豆もまあまあ順調に育ちました。夏は樹下育苗に限る、これは新発見でした。 サンシュウは春の早い時期に黄色い花をたくさん咲かせて春の訪れを知らせてくれます。それだけで十分なのに、葉が茂ればシェードとしての役割も果たしくれるのですね。おみそれしました。 10月下旬菜園風景。ブラシカ類はまだまだ元気。マリーゴールドやナスタチュームも頑張る 初雪が降った朝、菜園のブロッコリーの花蕾には薄氷が張っていた。外気温は3℃ 太陽で栽培して太陽で保存する あんなににぎやかだったトマトもさすがに衰えが目立ちます。ミニトマトは殆ど地面に落ちてしまったし、大玉トマトは青いまま震えています。今年、無謀にも12種類72株のトマトを栽培してみての感想。株数も種類も半分で十分。 トマトは調理用と生食用に大きく分かれます。調理用といっても、多少酸味が強く果肉がしまってネットリしているだけで生食しても問題はありません。生食用は果汁たっぷりで糖度が高いのが特徴です。 生食用にはミニトマトが向いています。朝の見回りついでにパクパク、日中の菜園仕事では水分補給とおやつに、夕食のサラダにももちろんミニトマトと大活躍。でも40株近く栽培したので、完熟して地面に落下したミニトマトは数知れず。ごめんなさい。10株もあれば十分でした。 今年はステラミニ、オレンジパルチェ、ホレマル、千果、フルティカ、シンディースィートを栽培。全部採種したので来年はどれを採用しようか迷うところです。結局コリもせず40株栽培してしまいそうな予感あり。 一方、加工用としては大玉の世界一、ポンテローザ、細長いサンマルツィアーノ、中玉のマッティナ、ボルゲーゼ、地這い型の楕円型トマトを栽培しました。「世界一」は戦前から戦後にかけて東京近郊で最も人気にあった生食用トマト。「ポンテローザ」にいたっては1891年にアメリカから導入されて日本の桃色系トマトの元祖となった由緒ある品種。両方とも生食しても美味しいけど大きくて効率がいいのでわが家では加工用扱い。 イタリア系のトマトは加熱すると本領を発揮するタイプなので加工専用、寒さに強くてまだ実をしっかりつけています。収穫した実はすべて冷凍トマトとして保存します。 冷凍以外にもトマトにはたくさんの保存法があります。例えばトマトソース、例えばピューレやケチャップ、果汁を搾ってトマトジュース、どれも自作するとすごく美味しいし、瓶に詰めて殺菌しておけば常温で長期保存も可能です。 できればそうしたいところですが、菜園仕事と庭仕事に明け暮れる夏の日々、キッチンでの作業にはなかなか時間が割けません。加工を先延ばしにしている内に加工されずに行き場を失うトマトが溢れることになります。 冷凍トマトなら収穫して袋に詰めてストッカーに放り込むだけだから手間いらず。菜園仕事の合間に収穫すればいいだけなので無駄にすることはまずありません。ストッカーから取り出して凍ったまま水をくぐらすと皮は簡単にむけるし、凍ったままパスタのソースに煮つめたり、スープに加えるなど水煮缶詰めと同じように手軽に使えます。 しかし冷凍という保存法について私は後ろめたい気持ちをずっと抱いてきました。 瓶詰めや缶詰めは加熱して殺菌しておけば常温で保存できるので、初期投資さえすればおしまい。一方、冷凍の場合は保存期間中はずっと電力を使い続けることになります。停電が長く続けば廃棄することにもなりかねません。 確かに冷凍は現状では簡便で無駄の少ない保存方法なのですが、それは電力を前提とした保存法なのです。 日本では昔から太陽の光と風を利用して作られたあまたの乾物類が保存食として利用されてきました。米を初めとして切り干し大根、干し椎茸、乾燥わかめやひじき、大豆やその他の豆類。乾物は日本の食卓を支えてきたともいえますね。 じゃあトマトだって乾燥してドライトマトにすればいいということになりますが、水分をたっぷり含んだトマトを乾燥させるのは至難の技。地中海やアラブの乾燥した国々ならいざ知らず、湿気の多い日本の気候は基本的に乾燥には不向きなのです。比較的湿気の少ない北海道だって同じ、乾燥半ばで必ずカビが生えてきて慌ててオーブンに放り込むことになります。日本は乾燥より発酵に適した国なのです。 そういう事情から保存用に冷凍ストッカーを2台用意して殆どの野菜は冷凍保存しています。ツル紫やモロヘイヤ、ハンダマのような南国葉物、ゴーヤーはチャンプルー用にスライスして、ブロッコリーは小房にわけて、オクラもセロリも万願寺唐辛子も冷凍、ブルーベリーやカシス、大量に収穫するベリーも冷凍です。 しかしストッカーの温度を1年中-20℃以下に維持するのにどれほどの電力を使っているのか、ずっと頭の隅に引っかかっていました。 「緑の家の屋根を直すついでに太陽光パネルを貼ったらどうかな?」 夏のある日、フジカド氏から提案がありました。緑の家というのは、今、暮らしている建物の向かいにある住宅で、時々遊びにくる次男一家が別宅のようにして使っている築30年以上になる木造の家です。 氏の唐突な新提案に対しては、通常、否定的且つ消極的態度をとる私ですが、これには即座に「それはいい!」と諸手を挙げて賛成しました。 敷地内の住宅の電力を太陽光ですべて賄おうという計画です。秋の初めには緑の家の屋根にピカピカの太陽光パネルが設置されました。予想したほど違和感はなく、数日で当たり前の見慣れた風景になりました。 蓄電量は9.5kwと大型なので、現在使用中の電気製品をフル稼働させても余裕で賄えるそうです。 大出費ではありますが、環境問題も含めて未来への投資として捉えればとても有益なものだと思います。グレタさんや斉藤幸平先生にも少しは認めてもらえるかもしれないし。 もうじき蓄電を開始する予定、太陽光ライフが始まります。 太陽に育ててもらった作物を太陽で保存する、来年は菜園も食卓も太陽依存型に転換する年にしたいと考えています。北電にも彼らが再稼働を画策する原発にも頼らず暮らせるのはとてもうれしいことです。 10/18 設置したソーラーパネルに雪降り積む。ちょっと不安になる。 ささやかな楽しみ 菜園のコスモスとハナバチ 「まさか私がキンセンカを栽培するとは思わなかった」 園芸友達がつぶやきました。 私もまさかコスモスを栽培するとは思わなかった! 花の色や草丈、花の咲く時期を考えて花を選ぶ、これぞ庭作りの醍醐味でしょう。季節を追って移り変わる庭の様子を頭に描いて、種を播いたり、苗を植えたり、球根を埋める、思い通りにならないことは百も承知。でも毎年、園芸好きは夢見つつ深く植えるのです。 園芸店では花のMIX種というのを時々目にします。数種類の花の種を詰め込んだもので、どんな花がいつ咲くか分からないけど任せなさい、悪いようにはしないからというひと袋です。 それは「花を選択する」という最大の楽しみを放棄せよと園芸好きに迫るのです。 と考えて新しいものにはすぐに手を出す私もMIX種については完全に無視してきました。 菜園にはにっくきヒルガオと頑強この上ないコーンフリーに占拠されて手の施しようがなくなってしまう区画があります。そこは菜園の入り口近くでとても目立つ場所なのです。これまではずっと見て見ぬフリをしてやり過ごしてきたのですが、「何とかした方がいいんじゃない」と非難されることしきり。何とかしたいのは山々だけど、手が回らないしなー。その時、頭をよぎったのが以前、知り合いから大量にもらったMIX種でした。あれを播いてみようか、例えピンクや黄色や藤色のキクが咲こうが、まっ赤なサルビアが咲こうが、暑苦しい八重咲きマリーゴールドが咲こうがヒルガオよりはましだろうと考えて、ブリキの種子缶の底に長いこと眠っていたMIX種をバラ播いてみることにしました。 同じくヘリオトロープとヒョウモン蝶 菜園仕事の1日を割いてコーンフリーの根を掘り起こし、縦横無尽に走り回るヒルガオの根を取り除き、そこらにあった堆肥をいれてMIX 種を播種しました。半ばやけ気味。MIX種は1~2週間ほどで次々に発芽して夏の終わりから秋にかけて白、ピンク、ブルー、紫とパステルカラーや控えめな黄色やオレンジ色の花が次々に咲きました。咲き乱れたといってもいいかもしれない。幸いなことにどぎつい赤や黄色の花の姿はなく、一年草の花々は秋の菜園を穏やかに飾ってくれました。 こうしてかつての無法地帯は花園(これぞ身びいきの極地!)に変身したのです。 しかし何と言っても最大の収穫は無邪気に咲いた花々が、一年草に対する私の根拠なき偏見をただしてくれたことがでした。 宿根草の草花に気を取られて、ずっと軽んじてきたアスターや矢車草、、カレンジュラやカリフォルニアポピー、かすみ草などの一年草の草花。 まさか私がアスターを栽培するなんて思わなかった!でもアスターって花色が豊富だし茎がしっかり直立するから姿がいい。 まさか私がかすみ草を栽培するなんて思わなかった!でもかすみ草は慎ましいけど派手な花の引き立て役には最高。 まさか私が・・・・・ 今年は自分でMIX種を購入して盛大にバラ播きました。今年の主役はコスモスでした。 白から濃い紅色まで様々な色合いの花を次々と咲かせたコスモスは、霜のおりた菜園でも楽しげに揺れています。 あのときMIX種を播かなかったら、私は生涯、青や白の気取った宿根草の世界に閉じこもっていたことでしょう。 さて来年はどんな花に出会えるのでしょうか、今から楽しみにしています。 MIX種がくれた楽しみ、思いがけず足許に転がっていたささやかな楽しみを大切にする。余生を楽しく送ろうとするシルバー世代にはこういう姿勢が必要なのかもしれません。 7月石垣島の箱庭果樹園でマンゴーが実った! 台風で2週間近く迷子になった末に北海道に到着、完熟を通り越して崩壊寸前ではあったが美味この上なし。来年は自分で収穫したいなー 相変わらずの島バナナ、伐り倒したバナナを株分けして2年目の収穫、バナナの栽培は野菜に近いのかもしれない。酸味があって美味この上なし。これもささやかな楽しみのひとつ
ブッドレア、ジニア、矢車草、ひまわり。一応バタフライガーデンのつもり。ミヤマカラスアゲハやヒョウモン蝶、Lタテハなど豊作、いつも大賑わいでした。 (9/1) 壊滅的かと思ったらそうでもなかった 菜園です。 長いこと北海道に暮らしていますが、こんな年は初めて。もっと長いこと北海道に暮らしている村民の皆さんもそう言っているから間違いなくこれまでに経験したことのない夏でした。 ガレージ入り口の温度計はついに40℃超え、雨が降らない日が数週間も続く、まさしく災害といってもいいほどの日々でした。今年の2月には−20℃を下回る日が何日かあったような気がします。その気温差は60℃以上。石垣島より暑いと怒るのも当然でしょう。 菜園の野菜にとっても辛い状況でしょう。必死に水やりしてもまさしく焼け石に水、菜園では水! 水! 水の大合唱にゴメン、ゴメンと頭を下げる日々がしばらく続きました。この苦境を救ってくれたのがフジカド氏が発見したすぐれもののスプリンクラーでした。 これまではスプリンクラーに対して敵意にも似た感情を抱いてきました。水圧でホースがハズレる、もしくは回るハズの首の部分が回らないなどの不具合が必ず生じて、作物に均等に撒水する器具のハズなのに地面を深くえぐって周囲を水浸しにするという事態が多々発生。こんなスプリンクラーなら水量は少なくともホースで地道に散水した方がましというのがお手軽スプリンクラーに対する評価でした。 しかし今夏、入手したドイツ製のスプリンクラーはすごかった。撒水の角度や距離がかなり正確にかんたんに調節できるのです。菜園の隅に定植した大切なオクラにピンポイントで水を飛ばすという技も可能なのです。1日3回スプリンクラーを移動させると菜園のすみずみまで水が行き渡るという優れものでした。 これで水やり問題はほぼ解決、夏野菜は強い陽射しと高温をものともせずトマトも茄子も例年以上に実をつけました。(水道代は? 深く追求しないでください) この賢いスプリンクラーの出現で乾燥問題は克服できました。 しかし・・・・。 雨が降らないと困るのは人間も同じであることに気づきました。人間にとって、たまの雨降りは休息だったのですね。雨の降る日は「今日は雨だから仕方がない」と菜園仕事を大っぴらに休める公認の休息日だったのです。ところが晴れの日がこうも続くと公認の休息日はなくなります。菜園仕事を休むのではなくて、菜園仕事をサボるということになってしまう、誰れに非難されるわけでもないのに「熱中症が怖いし」「最近はマダニも多いし」とか言い訳をしながら、後ろめたい気持ちでサボるということになってしまいます。 野菜同様、人間にも雨の日が必要だったのです。 苗は自力で作る 今年も野菜もハーブも花も苗は全部自作して一株たりとも購入しないという方針の下、春3月から苗作りにとりかかりました。加温していない温室の気温は屋外とほぼ同じ。雪よけ程度の働きしかしてくれません。そこで温室の中に簡易型ビニール温室を設置してヒーターで加温、この二重温室の中で苗を育てます。 実際には苗作りは去年の秋から始まっていました。 トマトや向日葵やマリーゴールド、ナスタチューム、万願寺唐辛子、大豆、インゲンなど種を採取しやすい作物は片っ端から種を採って保管しておいたのです。トマトは6種類、味のよかった株の実から採取、向日葵は60センチ丈の矮性から2メートル以上の高性まで気に入った花色の株を数種類。こうしてせっせと集めておいた種を播いて育苗したのです。 例えばトマト、いつものようにカタログの買え買えコールに屈してつい購入してしまったのが5種類、全部在来種、いただいた「ホレマル」を加えると全部で12種類です。中にはF4に当たるような古株もチラホラ。1種類につき4株ずつ栽培すると48株、まあそれくらいなら菜園に押し込めるだろうと考えて、12種類、均等に4ポットずつトマトの種を播きます。 播いた種がすべて発芽するとは限らないから安全を期して1ポットに3粒〜4粒。でも予想は外れてトマトの種子はこの逆境でも素直に発芽するのですね。1ポットに3、4本の小さな苗。 ここで一番強そうなヤツを残して他は始末するというのが常道です。まだ外には雪がたっぷり残っている、気温は日中でも−10℃、こんな状況で頑張って発芽したトマトの芽を摘むなんてことができるでしょうか? 先延ばししているうちに苗は育つ、苗をひとまわり大きポットに植え替える、元気に育つかな? 菜園に定植して枯れる苗もあるかもしれないと大事をとって多めに残すことにする、すると48ポットのハズが100ポット近くにふくれあがってしまうのです。 同じことをどれだけ繰り返せば学ぶのか、多分、来年の春も同じことを繰り返しているでしょう。 ヘリオトロープの花に吸蜜に立ち寄ったヒョウモンチョウ。オオウラギンスジ? (9/1) 家庭菜園道をきわめたい 最終的には12種類72株のトマトの苗ができました。菜園押し込みにも成功。ここでハタと考えた。 これまで「トマトの脇芽は摘む」という教えを忠実に守って脇芽摘みに励んできました。つまりよけいな芽を摘んで1本立ちにするのですね。効率よく収穫するためには必要な作業です。 考えてみると家庭菜園の教科書のほとんどは長年、農業に従事してきた人や農業指導員的立場の人が著したものです。そういうプロの方はいかに省力化して効率よく栽培していかに生産性を上げるかを追求してこられた方々でしょう。 家庭菜園を趣味とする人の中で「買った方が安い」という言葉を投げつけられて傷ついた経験のない人はおそらく皆無でしょう。誰にもそういう経験があるはずです。 特に農村では至る所にプロ、元プロが運営している直売所があって春から秋まで安価で美味しい野菜を提供してくれます。最盛期ともなればまっ赤なミニトマト「アイコ」がカゴいっぱい100円で販売されているのです。茄子5本で100円、胡瓜は1本10円その上、形の悪い野菜をおまけにたくさんつけてくれます。 素人にはまるでコピペしたように見える均一な「アイコ」はまずできない、土作り、耕耘、植えつけ、施肥、手入れと思いっきり手間暇かけたってできない。逆立ちしたってできない。 「買った方が安い」はまさしく正論です。正論だからこそ深く傷つき、「世の中にはお金に換算できないものだってある。」などと横を向いてうそぶくのです。 次ぎに営利栽培の場合には最重要課題であろう省力化について。家庭菜園の管理人は省力化より手間をかけて育てたいという気持ちの方がずっと強い、思い通りに野菜がスクスク育ち、難なく収穫に至ってしまっては家庭菜園の醍醐味は半減してしまうのではないでしょうか。ハラハラ、ドキドキの日々。毎日、幾度となく天を仰ぎ、カラスを追い払い、アブラムシを潰し、青虫たちには別の株への移動を促す、何かと世話を焼く、管理人にとってはその煩雑さこそが大いなる楽しみでもあるのです。 理想的な天候が続き、害虫や病気も発生もなし、雑草もごく控えめなどというまことに理想的な状況に陥ったら、菜園の楽しみは半減どころか殆どなしといっても過言ではありません。作物の立場からすれば、人間の手によって施される作業のほとんどはよけいなお節介であると感じていることは重々承知なのですが・・・・ つまり趣味の菜園では経済性も省力化も追求しない、まさしくプロとは逆の路線が取られているのです。ならば家庭菜園を趣味とする者は、既存の家庭菜園の指導書からもっともっと自由になってもいいのではないか? トマトの脇芽を親の仇のように摘まなくてもいいのではないかという考えが頭をよぎったのです。 早速、実行しましたよ。トマトは2〜3本立ち、茄子だって定番の3本立ちは放棄してかなり野放図、ゴーヤーもツルを剪定しなかったからネットに絡みつき放題。夏を迎えた菜園は予想に違わずジャングルと化し惨状といってもいい様な様相を呈してきました。 一番の問題はトマト。「2〜3本立ちにするなら株間を2倍から3倍とらないとね」と専門家から真っ当な指摘を受けました。そうです。1本立ちの間隔で2〜3 本立ちは無理、浅はかでした。菜園仕事の大半がトマトの整枝ということになってしまいました。プロの農業者ではなく素人の立場で家庭菜園の新しい楽しみ方を追求しようという試みはそのスタートで高い壁にぶつかってしまいました。結果はこの惨状。家庭菜園道をきわめるにはまだまだ時間が必要なようです。でも諦めませんよ。 ジャングルと化したトマトの群れ。ここには28株押し込んだのだが・・・トマトの背後から高性ひまわりとコーン・ゴールドラッシュの群れが迫る (9/1 しかし太陽とスプリンクラーという強い味方を得て作物の出来は上々、いつもはうまくいかない大玉トマト「世界一」や「ポンテローザ」も大きな実をたくさんつけています。8月中旬にして冷凍ストッカーはトマトで溢れかえっています。2年分はゆうにあるでしょう。ツルが絡み合って密林化した雲南百薬やツル紫、ハンダマなどの南国野菜は絶好調。石垣島より暑かったのだからそれも当然。 ブラシカ類の定植も終わり秋仕様の菜園。まだまだみんな元気! (9/1) さて菜園は秋モードに突入しています。今年3巡目となるブラシカ類、キャベツ、ブロッコリー、ブロッコリーニを定植しました。これからは一転して低温との闘いが始まります。ブロッコリーは何とかなってもキャベツは危ない、葉が巻く前に力尽きるかもしれません。
一緒に定植したオークリーフレタスやコスレタス、ルッコラなどのサラダ野菜は大丈夫、意外なことに南国イメージの強いパクチーはバジルと違って耐寒性がかなり強いので頼りになります。 ようやく夏の喧噪も去って菜園には今、静かな時間が流れいます。夕暮れ時、収穫カゴを手に菜園を歩き回る幸せを味わっています。 次回は菜園の花について。お楽しみに。 種をとる 冬の楽しみは野菜や花の種の整理。種を詰め込んだ缶の蓋を開けると、常連さんたちに混じって、いつどこで手に入れたのだろうとその出自を思い出せない種などもあって楽しい。 そんな楽しい宝箱も今年はいつもといささか様相が違う。 美しい種袋と一緒に愛想のない白い紙袋がたくさん混ざっているからだ。袋には自家採取した野菜や花の種が入っている。去年の秋は種採りに夢中になった。 去年の春3月、温室に転がっていたトマトの実から種を採って栽培してみたら、何と一人前のトマトが収穫できたのである。大手種苗店のカタログに載っているトマトと比べても遜色ないできばえだった。 自家採種したトマト、オレンジパルチェと千果はF1と呼ばれる一代限りの交配種だから私が採種して播いた種はF2の種ということになる。F2の種にはF1と同じ実がなる保証はない、とされている。F1は、例えば美味しいけど病気に弱いトマトと味はそれほどでもないけど病気には強いトマトをかけ合わせて、美味しくて病気に強いトマトとして人工的に作り出されたものだ。 両方の優れた性質を受け継いだF1トマトは、残念なことにその性質が次世代に受け継がれるワケではなく、不味くて病気に弱いF2トマトが実ってしまうことだってある。 F2は品質が安定しないのある。家庭菜園だったらヤッパリねと笑ってすませられるけど、農家ではF2の出たとこ勝負的なトマトを栽培するわけにはいかないから、毎年F1の種を購入して栽培することになる。 F2だって実がつかないことはないだろうと試しに栽培してみたら、予想を超えて健やかに育ち実をたくさんつけてくれた。 前年栽培したF1のそれと比べて実がひとまわり小さかったり、品質に多少のバラツキはあったものの全体的には満足のいく結果を得た。 それで気をよくして種の採種熱にとりつかれてしまったのである。 F1の種を自家採取(F2)して育てた数株のオレンジパルチェと千果は、優秀な株に印をつけてはち切れそうに完熟した実を摘んで種を採った。これはF3ということになるのかな。2代目は優秀でも3代目では封印されていた負の性質がひょっこり顔を出すかもしれない。それも楽しみのうちとして今年播種するF3に期待しよう。 例年は花が咲いたら終しまいだったマリーゴールドや向日葵の種子もせっせと採種した。マリーゴールドは嫌いなオレンジ色の花は避けて黄色と鮮紅色の花を選んで採種したし、向日葵も気に入った株から集中的に採種した。両方とも種袋にF1とか交配種の文字は見当たらなかったから多分、思い通りの姿、花色に咲いてくれるだろう。茄子や胡瓜もナスタチュームもジニアも手当たり次第に種を採取した。種はA4のコピー用紙を半分に切って手作りした袋に入れて品名や採取日などのDATAを書き込んだ。 秋の林道を歩く。カラマツの梢に絡んだ山ブドウが重たそうに実をつけている。青い果肉に包まれた大きな胡桃がたくさん落ちている。オオウバユリの細長い実が割れて糸をひいた種が整列している。マムシグサがその名にふさわしい禍々しい実をつけ、ニシキギも開けた口から赤い実をのぞかせている。つい手が伸びるが思い直す。野にある草木をわざわざ庭に持ち込むこともない。こちらから出向いて行って眺めればいい。林の木の実、草の実は林の住民たち、ヤチネズミやウサギ、エゾリスやエゾ鹿、ヒグマたち、南に移動する途中で立ち寄った野鳥たち、林で越冬するおなじみの野鳥たちを養っている。植物の方は彼らの力を借りて種を拡散させて繁殖しているのだからそれで十分だろう。人間が手を下すことはない。 それでも林道を歩くと木の実や草の実が次々に視界に飛び込んできて落ち着かない。これまで見過ごしてきたのか、大切な山芍薬が実をつけているではないか。これだけは我慢ができずに3個だけいただいた。直径5ミリほどの無愛想な丸い種は、あの優雅な芍薬の種とはとて思えない。山芍薬は播種してから開花するまでに数年はかかるらしいから、果たして開花を見届けられるかどうか。 散歩道のベニバナ山芍薬は1株きりだが、数年前は2株だった白花の方は少しずつ増えて去年は8株になった。もしかすると地中には出番を待つベニバナ山芍薬が眠っているのかもしれない。春に種を播いて気長に育ててみよう。 向日葵はいかにも向日葵といった素直な種子だが、逞しいジギタリスの種子はピンセットを使っても扱えないほど超微細だし、マリーゴールドの種はその平凡な姿とは裏腹に藁くずと見まがうような個性的な姿をしている。カンナの種は山芍薬にそっくり。それぞれに何らかの戦略をもって今の形に辿りついたのだろう。種は奥深い。 毎年、出遅れ気味に園芸店に行くと苗売り場には何となく終末感が漂っている。小さなポットに閉じ込められて長いこと放っておかれたトマトの徒長苗、茎ばかりヒョロヒョロ伸びて葉数の少ない茄子、その中から少しでもまともな苗を選ぼうと売場をウロウロするのはとても疲れる。どれだって同じと平静を装いつつもやはりあっちこっち移動しながら目を泳がせる。 去年はトマトも茄子も胡瓜も全部、自分で苗を作ったので苗選びの苦行から解放されたことがとりわけ嬉しかった。 写真1 ようやく雪の解けた菜園で育苗したトマトを植える。今年は50株近くの苗を植えた 写真2 ベニバナ山芍薬。ゆっくり丁寧に育ててみよう。咲くといいな 余った苗の落着先 育苗は楽しい。難点はただひとつ、苗を作りすぎてしまうことにある。発芽しなかったらどうしようという恐怖に駆られて必要以上にたくさんの種を播いてしまう。キャベツは10株の計画のところ20株の苗ができてしまうのである。少し株間を詰めて4株は何とか押し込んだが、それでも残りの6株には行き場がない。 温室に取り残された6株の苗は毎日、早く早くと定植を促すのである。彼らの方はなるべく見ないようにして作業を続けるが、キャベツは順調に葉数を増やして巻き始めたりする。プレッシャーは日増しに強くなる。キャベツだけでは大量のマリーゴールドやバジルも待機しているから、誰にともなくゴメンゴメンと謝る日々が続く。 去年は久々にトマトの苗を作ったので、発芽しなかったらどうしようという恐怖感から手元にあった種は全部播いてしまった。思いがけず発芽率は80%を超えたので大量の苗を抱え込むことになった。 毎年、菜園では24株のトマトを栽培している。ざっと数えてもその倍を軽く越すトマトの苗が温室でスクスクと育っている。とても見て見ぬふりが通用する数ではない。予定外の区画にも支柱を立てて20株は定植場所を確保した。が、まだ10株以上の苗が残っている。菜園を見回してもすべて定植済みか予約済みで満員。 思案したあげく最後の手段を講じることにした。 6面に仕切られた菜園の西側にはカツラの生け垣を背負って道具古屋、通称シェッドがある。もう30年以上前の建物なのに風雪に耐えて菜園を見守っている。菜園のシンボルともいえる建物。シェッドをはさんで右側には高さ3M程のサンシュウの木とブッドレア、アニスヒソップが植わっている。ここは蝶を呼ぶためのオーレリアンの庭のつもり。左側には木製のパーゴラがあってつるバラが絡み、中にはベンチが置かれている。周りを丈の低いブルーベリーに囲まれたこのエリアは憩いの場のつもり。このふたつの区画は手がまわらずに長いこと放置されてきたエリアだった。背の高いイネ科の雑草に覆われたオーレリアンとつるバラを押しのけてにっくきヒルガオが縦横無尽に這いまわるパーゴラとベンチ。ちょっと手を加えればねーと思いつつもつい雲南百薬の収穫やルッコラの間引きやセロリの軟 白に精を出してしまうのである。 そうだこの持てあまし気味のエリアを開拓してトマトを植えたらいい。トマトだけではなく茄子だって万願寺唐辛子だってアスターだって温室は行き場のない苗で溢れているのである。 パーゴラの周りの雑草を刈り取り、サンシュウの根を傷めないように注意して慎重に耕耘機をいれて耕した。そしてここを特区1、特区2と呼ぶことにした。 特区1ではシェッドの壁を利用して支柱を立て、出遅れてしまったポンテローザトマトを定植した。サンシュウの株元には持てあましていたXmasローズを4株、やたらに元気なマローとセロリ、レモンバジルやトレビスの残り苗も押し込んだ。そしてカンナ10株も定植した。 何故カンナなのか? 私が制作した「死ぬまでに一度は栽培してみたい植物リスト」の中にカンナがあった。今ではめったにお目にかからないけどあの不思議な形の花を咲かせるカンナとは一体どのような植物なのだろうか。これは一度は栽培してみないと・・・・。 種の在庫を確かめると缶の底にイギリスの種苗屋さんから購入したカンナの種が見つかった。多分数年前のものだろう。 CANNAというゴム印が押された種袋には、サイズも形も正露丸にそっくりな種が10粒入っていた。育苗ポットに1粒ずつ埋め込んで育苗スタート。気温はグングン上がってきたのに2週間たっても3週間たっても音沙汰ナシ、皮が厚くていかにも頑固そうな種だし、発芽保証期限もとうに過ぎているから無理かなと諦めかけた頃、朝、温室に出向くと何と10ポット、10個の芽が確認された。申し合わせたように一斉に発芽したのである。その後の成長ぶりには目をみはるものがあり、追われるようにして大きなポットに2度、移し替えた。 あの姿形である。安ホテルのロービーなどに飾ってある観葉植物のようだ。どうみても慎ましやかな北国の菜園や庭には不似合いなカンナの葉っぱは、日ごとに巨大化し艶やかさを増して温室の中で威圧的にその存在を誇示するのである。 頭を抱えていたところだったので、新たに開拓された特区はまさしく渡りに船、サンシュウの木とポンテローザトマトの間に10株のカンナを植えつけた。陽当たりの悪さなどものともせず2メートル近くに成長し、やがて花を咲かせた。しかしそれはなじみのある豪奢な花ではなくて何とも慎ましやかな花だった。イギリスからやって来たのはカンナはカンナでも原種のカンナらしく、おなじみのカンナはこれをもとに改良されたものらしかった。そうか、カンナというのは原種に近いものから改良種まで幅広く存在し、正露丸のような種で一斉に発芽して・・・と得ることは多かったが、もう二度と栽培することはないだろう。 こうして「死ぬまでに・・・」リストは一行短くなった。地上部は鎌で切り落として遠くに掘り投げたけど根はそのまま残しておいたから、春にまた甦ったらどうしようかとちょっとビクビクしている。 パーゴラのある特区2には花のMIX種をバラ撒いた。時期が遅かったし古い種も混ざっていたから期待はしていなかった割にはよく発芽して夏の終わりごろから花を咲かせた。見ようによってはお花畑に見えないこともない。 ピンクのアスター、ブルーやチョコレート色の矢車草、白いかすみ草、明るいオレンジ色はカリフォルニアポピー、濃いピンクのナデシコ、単独ではまず栽培しない花々ばかりだが日ごとに生気を失って行く菜園では、そこはひときわ輝かしいエリアになった。 「おー寒い」とダウンをひっかけて菜園の見回りに行く。昨日はつぼみだった濃いピンクのアスターが咲いている。この嬉しさ、翌日もワクワクしながら菜園に行くとラベンダー色のアスターが目に飛び込んでくる。 これぞまさしく足下の楽しみ、こういう小さな悦びの積み重ねこそが楽しい老後を支えてくれるのである。 初雪が降るころまでアスターや矢車草は頑張ってくれた。来期は春から夏にかけて色とりどりのアスターの種を播こうと決めた。これで「死ぬまで・・・」リストがまた一行減ることになる。ちなみに一昨年はグラジオラスが、その前年にはストケシアがリストから抹消された。 アスターはキクだ。マリーゴールドや向日葵、タンポポやレタスもキク科だがアスターは純正なキクなのである。キクに対してはあれこれ偏見を持っていたのでこれまで栽培は避けてきた。しかし考えてみるとキク科の植物はおしなべて頑丈だ。しかもキク科の植物は開花期間が長い。そして園芸カタログの花部門ではキクの占有するページ数が一番多い。偏愛しているデルフィニュームなんてほんの半ページほど、それに比べるとキクの多種多様なこと、キクは日本で最も愛されている花なのだろう。 谷津遊園の菊人形や派手な懸崖作りのイメージが先行して手を出しかねていたキクだけど来年は積極的に色々なキクを栽培してみよう。丈夫だし寒さに強いし選択の範囲は広大だし。 秋の気持ちのいい陽射しを浴びて特区2で秋なすと大きな万願寺唐辛子、最後の花豆を収穫して、健気なピンクのアスターを一輪摘んで家に持ち帰った。 写真3 菜園のシェッドを挟んで右が特区1、左が特区2。1にはトマトやバジル、カリフラワーなどの余り苗や持てあましたカンナ。特区2には花のMIX種を播いた。矢車草、かすみ草、アスターと初めて栽培した花ばかり。 写真4 特区1に定植したトマト「ポンテローザ」は在来種。よく熟した美味しいそうな実には野鳥がつついた跡がある。 写真5 カンナ。原種らしい。「死ぬまでに栽培したい植物リスト」は1行短くなったけど急がないとリストの全制覇は難しい。 写真6 こんなに情けないアスターでも秋の菜園では貴重な花。これぞ楽しい老後を約束してくれる足下の幸せ。 ケールは救世主 キャベツは偉大だ。キャベツには膨大な数の葉っぱがあるにもかかわらず、(70枚前後といわれているが)丸く結球するからコンパクトな姿にまとまっている。扱いやすいし保存場所もとらない。キャベツの葉は表面と裏面の成長の速度が異なり、裏面の方が速やかに生育するという性質により自然に結球するそうだ。もし表と裏が同じ速度で生育したら、70枚のキャベツの葉は思い思いに天を目指すのだろう。その姿は壮観には違いないが、キッチンでは間違いなく疎まれものになってしまうだろう。 扱いやすいだけでなく、結球するおかげで中心部は自然と軟白されるから柔らかで癖のない素直な味になる。どんな料理にも使い勝手がいいので私の食卓にはキャベツが欠かせない。スープによしサラダによし、万能選手なのである。私の体の50%近くはキャベツでできているといっても過言ではない。キャベツは結球することでメジャーな野菜にのし上がったのだろう。 毎年、何回かにわけて育苗、定植するから6月から11月までは途切れることなく収穫できるし、11月に収穫した最後のキャベツは新聞紙に包んで冷蔵庫で保管すれば2月までは十分にもつ。とはいえ冬から初夏にかけては購入しなくてはならない。端境期である。 あつみさんから「ケールは美味しい」という話しを聞いて以来、ケールが気になっていた。何でもスーパーでサラダ用ケールというのが販売されているらしい。サラダ用のケール、これは聞き捨てならない。 ケールは青汁と不可分の関係にある。青汁には興味がなかったからこれまではケールを栽培しようと思ったことはなかった。改めて野菜カタログを確かめると青と赤のサラダ用ケールが載っていたので、即購入して、播種。 ケールは何て素直で伸びやかな作物なんだろう。スクスク育った苗を温室や菜園に定植した。伸びた葉を1枚2枚掻き取ってスープに入れる。軟らかそうな葉はサラダにする。何だ、キャベツとほとんど変わらないではないか。葉が大きいから効率がまことによろしい。ケールはキャベツの代用品として大活躍してくれた。 キャベツは結球することでメジャーな野菜に昇格したのに対して、ケールが青汁の世界に留まっているのは、ワイルドな風味とともに野放図に拡がる葉が扱いにくいからに違いない。先祖を辿れば同じようなものだろう。 優秀なキャベツにも欠点がひとつだけある。キャベツは完全に結球しないと収穫できないのである。ケールや他の葉物のように葉を少しずつ収穫しながら栽培するということが難しいのである。春先に定植しても収穫は夏、その間、エゾシロチョウの幼虫の猛攻撃などものともせず結球するキャベツを見守るもどかしい日々が続く。まだ巻きの柔らかな若いヤツから順次収穫すればいいと思うでしょうが、早穫りなどもってのほか、大球に膨らむまでにらみ続けるのである。 一方のケールは柔らかな葉はサラダ用、取り残した大きな葉はスープ用にと、収穫しながら長期間、菜園に留め置くことができる。ケールはキャベツロスの長い端境期を埋めるにはもってこいの野菜であるということに気づいた。 温室にビニール温室を持ち込んで2月から育苗を始めたケールの苗はずいぶんしっかりしてきたから3月に入ったら温室に定植しよう。4月から収穫すればキャベツロスの期間が2ヶ月は短縮されることになる。キャベツを初夏、夏、秋、晩秋と4回収穫してケールにバトンを渡せば食卓の自給率をグーンと上げることができるだろう。 アブラナ科の野菜でブラシカ類と呼ばれる一群の野菜、キャベツもケールもブロッコリーもカリフラワーも栽培しやすいし、食卓に多大な貢献をしてくれる。彼らと同じアブラナ科のルッコラもキク科のレタスやトレビスに比べて頑強で生命力が強い。 冬の温室で次々と力尽きていくレタス類を尻目にルッコラは葉を地面にぴったりくっつけて青々している。葉を拡げて少しでもたくさんの光を吸収しようという作戦なのだろう。気温が上がれば葉を伸ばし始めるだろう。 冬を越したルッコラは滋味豊かで味わい深い。防寒のためか分厚くなった葉はごま風味はそのままに、甘さも苦さも強くて普段のルッコラに比べて格段に力強い味わい。ルッコラの隣では白菜のような葉っぱのサラダ用野菜がロゼット状に葉を拡げて春を待ちわびている。これもアブラナ科。 アブラナ科の野菜は食卓の主役として救世主として欠かせない野菜なのである。 去年、新たに「蕾み野菜」という新ジャンルを創設した。その代表は言わずと知れたカリフラワーやおなじみのブロッコリー、菜花やのらぼうのような在来種、中国のアスパラ菜、イタリアのチーマディラペも仲間、すべてアブラナ科の野菜である。 ブロッコリーやカリフラワーは蕾みに特化しているけど菜の花もどきたちは葉も蕾みも花もという欲張り路線、特化したカリフラワーやブロッコリーは菜の花を尻目にメジャー野菜にのし上がった。それにしても蕾みを食べるという発想はすごい。葉でも実でもなく蕾み、なるほど蕾みには栄養がぎっしりと詰まっていそうにみえるが、いざそれを食べるとなると・・初めて食べた人はどうしたのだろう。 カリフラワーは物心ついた頃からあったけどブロッコリーは記憶にない。ブロッコリーはグリーンアスパラガス同様、ごく短期間のうちにメジャー野菜への階段を駆け上ったのだろう。それだけ実力があったということだ。栽培してみるとその実力のほどがよく分かる。 暑さにも寒さにもよく耐える。カリフラワーはひと株1個が原則だが、ブロッコリーは中心の1個を収穫しても次々と蕾みがつくので長期間、収穫できる。 大量に収穫しても熱湯を通して冷凍すれば、解凍するだけでふつうのブロッコリーと同様に調理ができる。家庭菜園にはなんともありがたい存在。厳冬の温室でもビニールトンネルの中で蕾みをつけている。もう少し気温が上がれば成長を始めるだろう。そして春一番の蕾みを提供してくれるだろう。 写真7 我が愛するキャベツ、欲張らないで早く収穫すればいいのにね。 残念! キアゲハの幼虫はセリ科の植物の葉を食べて育つ。菜園で栽培しているセリ科の野菜というとニンジン、アシタバ、セロリ、パセリ、パクチー、フェンネルがある。中でもフェンネルが大好物らしくて緑濃い栄養たっぷりのニンジンの葉には目もくれずに幼いフェンネルの葉を食べ尽くしてしまう。 そのことに気づいて以来、菜園では欠かさずフェンネルを栽培している。 フェンネルは美味しい。葉じゃなくて茎の方、甘くてミントに似た繊細な香りは同じセリ科のセロリとは似て非なる野菜であることを教えてくれる。ちなみに山羊はセロリの葉が大好物。香りが強くてかさかさしているから食べないだろうと思いつつも、堆肥槽に投げ込む前に山羊にあげてみたらすごい勢いで平らげた。セロリの香りは気になら様子なのでパクチーも食べるかな、試してみよう。 毎年、キアゲハのかわいらしい幼虫たちはフェンネルの柔らかな葉を食べてスクスクと育つ。最終齢になると近くの草木の枝に移動して、糸を吐いて体を固定させてから脱皮して蛹になる。一昨年はフェンネルの近くにあった茄子やパプリカの枝を利用していた。そしてある朝、羽化して美しいキアゲハが誕生するのである。 フェンネルで育ち、茄子の枝で時を待って羽ばたいたキアゲハ、またフェンネルに卵を産みつけるのだろう。これぞまさしく菜園うまれの菜園育ち。 でもキアゲハは本当にフェンネルを最も気に入っているのだろうか。もっと好きなセリ科の植物があるのではないか? と以前から気になっていた。 それで去年、園芸の時間がたっぷりあったので、フェンネルに似たセリ科のハーブ、アニス、クミン、ディル、キャラウェイの4種類をフェンネルのそばに定植してみた。 一番美味しそうなのはレースの葉が繊細なアニス、元気なのはディル。キアゲハはどれを選ぶのだろうか? 菜園巡りの楽しみがまたひとつ増えた。 ところが例年なら春の終わりには複数のキアゲハが飛び交うのに、去年はほとんど姿を現さなかった。たまにヒラヒラと急ぎ足で菜園を横切っていくのみ。 いつもならフェンネルの細い枝に幼虫がいくつも見つかるのに幼虫の姿がない。新参者のアニスやディルにはもちろん、フェンネルにさえ幼虫がひとつも見つからない。どうしたんだろう。蝶の発生には年によってムラがあるけどそれにしてもこんなに少ない年は初めて。 なーんだ、ガッカリしたけど食草の真相を探るべく今年も色々なセリ科のハーブを栽培してみるつもり。だから菜園仕事は止められない。 写真8 フェンネルの葉を食べて育つキアゲハの幼虫、今年はついに1個もみつからなかった。 写真9 キアゲハは残念だったけど久々にオオイチモンジが戻ってきた。ゆったりと優雅に飛びまわる。 写真10 ゼフィルス(ジョウザンミドリシジミ)は豊作だった。林道だけでなく、カツラの生け垣でも翅を拡げて温まっていた。 嬉しい! ブラムリー収穫! ブラムリーはイギリス原産の青リンゴ、主に加工調理用として栽培されている。酸味が強くてゴツゴツした形のブラムリーはおなじみの赤くて端正な生食用のりんごとはかなり趣が異なる。農場の周辺はりんごの大産地なのでいろいろなりんごが栽培されているが、青リンゴはほんの僅か、入手が難しい。 ブラムリーは酸味が強いので生食よりも加工に向いている。ジャムやジュース、アップルパイのフィリングにしても美味しい。それで数年前にブラムリーと同じく青リンゴのグラニースミスの苗木を数本ずつ手に入れて農場に植えてみた。一昨年まではひねこびた実が僅かにつく程度だったのに、去年の秋、突然3株のブラムリーとグラニースミスに20個近くの実が実ったのである。まだ枝が少ないりんごの若木にゴツゴツした大きな青い実、その唐突感たるや。これもフジカド君が丹精したおかげ、ありがとう。りんご並木の向かいはいろんな花を栽培している私の領土、ボーダーの手入れをしていても目はついりんごの方に行ってしまう。 地面に落ちていたブラムリーを拾ってアップルパイを焼いてみた。実が軟らかいので実の形はあまり残らなかったけど、そのあっさりとした味わいは独特なものだ。タルト生地に薄切りのりんごを並べてアーモンド入りのアパレイユを流して焼いたタルトオポムはすごく美味、サクサクのタルト生地の中にはタップリのクリームと甘酸っぱいりんご、まずかろうはずがない。地面に落ちたブラムリーとはいえ、カラスにつつかれたような跡がある傷物とはいえ、ともかくボーダーの向かいに実った青リンゴ。枝からもいだ艶やかな青リンゴはしばらくキッチンに飾って眺めたり、周辺の人たちに自慢したあと、ボダイジュのはちみつを使ったコンポートと胡桃とレーズンとラム酒を加えたホリデー仕様のジャムに煮た。 今年はどんな具合だろうか? 樹皮を囓るネズミの被害状況は雪が解けないとハッキリしないが、この冬はネズミの姿をあまり見かけなかったから多分、大丈夫。大丈夫だといいなー。この秋にはシードルを作ってみよう。全部で12株あるから10年後には持てあますくらいの青リンゴが収穫できるだろう。 写真11 青リンゴのブラムリー、去年ようやく収穫できるようになった。今年はシードルを作りたい。 写真12 ブラムリーを使ったりんごのタルト。甘いクリームと酸味のあるブラムリー、見かけはよくないけど私には極上の美味。 受難! 夕方の犬の散歩の終着地は温室。犬たちはベジタリアンではないから野菜など見向きもせず通路をウロウロ歩き回っている。散歩の後にもらえる肉タップリの夕食のことで頭がいっぱいなのだろう。 ブロッコリーを収穫していると突如、大きな音が聞こえた。ガラスの割れる音。入り口の方に目を向けるとガラス戸が粉々に割れている。温室の外では犬のリリーがキチンとお座りをしてあらぬ方向に視線を向けている。何が起こったのか、一瞬状況が飲み込めなかった。さっきまで温室の中には確かに2頭の犬がいた。温室の扉は閉めた。ランはここにいる。ということはリリーがガラス戸を突き破って外に出たということ以外、考えようがない。リリーはかすり傷ひとつ負っていない様子、でも途方もなく悪いことをしてしまったという反省の態度がうかがえる。 いつもと変わらない夕暮時の静かな温室、スタンダードプードルのリリーはサーカスのライオンが火の輪をくぐるようにして一瞬のうちにガラス戸を突き破ったのである。リリーに怪我がなくてよかった。温室の扉は段ボールで補修したあとガラスを入れ直した。 あの事件以来、リリーは温室には決して足を踏み入れようとはしない。温室の外でキチンとお座りをして視線をあるぬ方向に泳がせつつ、私たちが出てくるのをひたすら待っているのである。 あれから半年たった冬の温室、今度はその温室に除雪車が突っ込んだ。大惨事かと思いきや4枚ある扉のうちの1枚のフレームが曲がり、ガラスが粉々に割れただけだった。翌日にはガラス屋さんが扉を入れ替えてくれたのでプランターのサラダ野菜やトンネル栽培しているルッコラやブロッコリーに被害はなかった。 立て続けに起きた温室受難事件、お祓いでもしなくては。 写真13 温室のガラスを破ったのは黒っぽい方、スタンダードプードルのリリー。いつもエネルギーを持てあましている様子。 憩う! 菜園しごとの一番の醍醐味といえば、スコップを収穫用のバスケットに持ち変える瞬間、生産者から消費者に変身するその瞬間である。 菜園は私だけのファーマーズマーケットになる。ハサミとバスケットを手にして菜園を歩き回り、食べ頃の野菜やハーブ、少し遠征してベリーを収穫する。菜園の野菜は早くとって、早くとってと訴えかけてくる。 よしよし、今にも皮が弾けて果肉が飛び出しそうなトマト、濃緑の肉厚なルッコラ、よく締まった花蕾のブロッコリーニ、赤い葉色のケール、マイクロバジルの葉、上海で人気がキャッチフレーズの大葉油麦菜、これでサラダ用の野菜は揃った。野菜スープ用に雲南百薬とオクラとインゲン豆を少しだけ摘んでから、明日では手遅れになりそうなオレンジ色の完熟ラズベリーをデザート用に。 1日の労働が報われる瞬間。だから菜園しごとは止められない。 ぎりぎりまで菜園で仕事をしていると夕食をていねいに拵える気力も失せてしまう。だから食卓に並ぶ料理はいつもほとんど同じ、常連さんばかりということになる。 菜園からとってきた大量の野菜をひたすら刻んで鍋に放り込んで煮た野菜スープ。味付けは自家製の味噌、ナンプラーのようなエスニック調味料で塩味を補って大量のハーブを散らす。出汁やスープストック、肉や野菜、乳製品を使わなくても野菜だけで十分に美味しい。(スープが煮立ったら、火をとめて蒸らすと3倍くらい美味しいスープになる。アミノ酸たっぷりのトマトは旨味の素だから欠かせない)スープを蒸らしている間にブロッコリーやアスパラ、そら豆をグリルしてサラダ野菜と合わせてバルサミコ酢をふりかけるのもいい。気力が残っていればゴーヤーチャンプルーや空芯菜の塩炒めを添える。 きっとひと昔前の農家の食卓はこんな感じだったのだろう。畑からとってきた野菜を使った一汁一菜と常備菜、漬け物。ハレの日には肉や魚が並ぶ。 去年はハレの日がほとんどなかったからほぼ同じメニューだったけどそれでもいつも満足だった。野菜が美味しいおかげと努めて思うようにしているが、きっと老化に伴い変化を望まなくなっただけの話しだろう。 冬の間は冷凍ストッカーがファーマーズマーケットに代わる。ストッカーには夏の間に蟻になってせっせと貯め込んだ野菜が詰まっている。トマト、ブロッコリー、カリフラワー、ゴーヤー、セロリ、ツルムラサキ、モロヘイヤ、雲南百薬、枝豆、花豆、大蒜、焼き茄子、グリルした万願寺唐辛子などなど。常備菜もいろいろ。これだけあれば、冬でもかなり豊かな野菜生活を楽しむことができる。すべての野菜を自給するのは無理としても冬のトマトや季節外れの茄子を買わずにすむのはうれしい。 冷凍野菜だから新鮮な野菜のように八面六臂の大活躍というワケにはいかない。冷凍トマトの使い途は煮込み料理、ソース、せいぜいドレッシング。夏のそれのような美味しいトマトサラダなど望むべくもない。欲張ってはいけない。分をわきまえれば冷凍トマトでも美味しく食べられるのである。 トマトは集中的に実るから一度に大量のトマトが収穫できる。いくら忙しくてもこれを全部、袋に放り込んで冷凍するなどもってのほか。2~3食分ずつ小分けにして冷凍する。がちがちに固まった5kgの冷凍トマトは非常に使いにくい。扱いづらいからストッカーの底に置き去りになってしまう。誰ひとり取り残さないためには2~3回分ずつ小分けして冷凍するというのが鉄則。葉物でも枝豆でも小分けが必須なのである。 欲張らない、小分け、そしてもうひとつ、あれこれ考えないこと。パスタ用とかミネストローネ用などと細かく用途を考えているうちにトマトは落下して土壌の肥料と化してしまうのである。とりあえずなにも考えずに収穫して冷凍する。 欲張らない、小分け、先のことは考えない、この3原則さえ守れば、必ずや楽しい冷凍野菜生活が送れるだろう。送れるハズである。 写真14 盛夏の収穫、トマトは丸ごと小分けにして、ゴーヤーはチャンプルー用にスライスして冷凍しておく。 難しい! 石垣島の川平パッションフルーツ農園の園主橋詰さんは植物に詳しい。沖縄の植物はもとより海外にも遠征して植物採集に励んでいるのでよく整備された農園には見たこともないようなトロピカルな植物がたくさんある。名前を聞くと即座に教えてくれるが、先日どうしても分からない植物があった。どこで穫ってきたのだろうか? と大いに悔しがり首を捻る。 ケイタイを取り出して植物検索アプリで撮影すると、アプリは即座にその名前、学名らしかったが、を教えてくれた。 かねてから気になっていた植物検索アプリ、どうせ大したことはないだろうと思っていたが、その威力を目の当たりにして、私もアプリを入れてみた。 なるほど、菜園の珍しい野菜で試してみると悩みながらもちゃんと正解を答える。よしよしなかなかやるではないか。紛らわしいイネ科の雑草や樹木の肌、キノコや苔も拒否しない。誠実に精一杯、答えてくれる。 弱点はエゾノコンギクとかエゾゴマナのような土着種、この近辺ではごく一般的な雑草なのにものすごく悩んだあげくに難しい学名が表示される。ローカルには弱い。 いつもの散歩には必要なくても、未知の植物に出会う可能性の高い旅先の散歩にはすごく便利だろう。 これまでは未知の植物に出会うと写真を撮るかその姿を目に焼き付けて家に戻り、いろいろと類推しながら図鑑を調べて同定するというのが付き合い方の王道だった。図鑑が検索サイトに変わっても、ともかく自分で調べるというのがふつうのやり方だった。 あちこち寄り道をしながら時間をかけてゴールに辿り着いていたのである。確かに時間はかかるが、寄り道によって関連する様々な知識を得ることもできるのである。ヤッパリこれだ! と確信できたときの喜びも大きい。 検索アプリと図鑑。どちらもバランスよく利用するのがいいですね、と結論づけたいところだが、つい検索アプリに頼りがちになって図鑑がうっすらと埃を被っている。危ない危ない。 写真15 去年石垣島の箱庭果樹園でライチーを初収穫。春3月今年もライチーは満開の花盛り、夏の収穫が楽しみ。カラスも楽しみにしているに違いない。マンゴーの花も初開花! 箱庭のシンボル、アボカドも4Mを越した(らしい)今年は行けるかな。 怒る!
1952年に制定された種子法という法律が廃止されたのは2018年のことだ。この法律のもとに国や都道府県は米、麦、大豆などの主要作物の種子を開発し管理してきたが、廃止によって公的機関はその義務を負わなくなり、民間企業が米や大豆などの主要作物の品種開発や販売に参入しやすくなった。 その後に制定された「農業競争力強化支援法」8条4項によって公共機関は保有している種子や長い時間をかけて積み重ねた研究知見を民間企業の求めに応じて速やかに公開するよう義務づけられた。ますます民間の特にモンサントなどのグローバルな巨大種苗会社が日本の趣旨種子ビジネスに参入しやすくなった。 続いて昨年改正された「種苗法」は新品種の登録を促し、登録品種の自家採取の禁止が法の柱とされている。(販売を目的としない家庭菜園などは除外される)これまでは例え登録品種であってもそれほどきびしい規制はなく自家採取は目こぼしされてきた。 しかし、民間企業が開発して登録した種子となれば、自家採取はこの法律によってきびしく禁止される。勝手に栽培されては企業の利益が上がらないからである。 グローバル種子企業は支援法によって公的機関から手に入れた優秀な種籾Aを元にして、倒伏に強いとか収量が多いというような新品種A1を開発し登録する。これまでは農協などを通して安定的に安価にAを購入してきた農民が、グローバル種苗会社の執拗な攻勢にさらされてひとたびA1を購入して栽培を始めると、その後はA2、A3とかれらが資本の力に物言わせて次々と開発する種子を使い続けることになり、彼らの支配下に置かれてしまうのである。その企業が開発した新品種に効果的な除草剤や防虫剤、例え発がん性物質が含まれる疑いが濃厚でも種子とセットで購入せざるえなくなる。一度取り込まれると後戻りは難しい仕組みになっている。 例えばA1の跡地にBを栽培してもA1がひと株でも残っていれば、登録品種の種を採種して勝手に栽培したということで告発されて莫大な違約金を請求されることになる。グローバル種苗会社は絶えず目を光らせているのである。 種子は地域の農業試験場などの公的機関が開発し、農民とともに時間をかけて大切に守り育ててきた共有財産であり、私たちみんなの重要な財産といえる。私たちの命の根幹にもかかわるような財産を安易に民間企業に委ねてよいものか。種苗市場を席巻した海外グローバル企業が常に安定的に種子を供給してくれるという保証はどこにもない。パンデミックのような厳しい状況下では、種子の供給が途絶えることだって想定される。食糧自給率が著しく低い日本は深刻な食糧危機に襲われるだろう。 種子というのは特殊な商品なのだなーとつくづく思う。購入するか否かの判断は種袋に印刷された完熟トマトや艶やかな茄子の写真のみ、袋を開けてもトマトや茄子が飛び出してくるわけではなくて少量のまん丸い種や平たい種が入っているだけ。この種子が種袋に印刷されたトマトや茄子になるかどうかは購入したものの努力や運に委ねられる。 種が発芽せずに終わることもあるし、小さな実が申し訳程度につくだけということもある。期待通りに実ることは滅多にない。 例え、種袋の写真のような実を手にできなくても私はそれを種のせいにはしない。種が悪いとは決して思わない。あのとき水やりをサボったのがいけなかったのだろうか、肥料が足りなかったのだろうかとあれこれ思い悩み、めったに自分の非を認めない私でさえ素直に頭を垂れるのである。栽培技術や観察眼の未熟さを思い知り、来年こそはと誓うのである。 種子という商品はいわゆるファストファッションやファストフードとは正反対に位置するようなものだと思う。例えば綿花の種を買ってしまったとしよう。種を播いてワタを育ててふわふわした実を摘んで木綿糸を繰り、布を織る。花や実を鑑賞して楽しむのもいいけど基本的には布地にする、または実から油を搾りとるというのが購入した種に対する責任(仁義)ではないかと思う。 トマトの種子を購入したら土を作りトマトを収穫し食卓にのせて、みんなを笑顔にするというのがまっとうな付き合いかただろう。 樹木の種子は林の生き物を養い、風を防ぎ、木陰の憩いを提供し、最後は木材として人の生活を支えるといった具合に壮大になってくる。 そんな種子が果たして商品と呼べるのかどうか。 私のような趣味の菜園レベルでさえ、一粒の種子の持つ力と可能性、その大切さは日々実感している。利益の追求を優先させる民間企業に種子を委ねるのではなく、みんなの共有財産として守っていかなくてはいけないのだと思う。 みんなの食を支える農業を今後どうしていくのかという方針や、食糧危機に対してどう対応するのかという将来的なビジョンが示されないまま種苗法のような重要な法律がひっそりと姑息に改正? されてはならないと思うのである。 日本では米と大豆があれば何とか生き延びられる。どんなパンデミックが起ころうとも米と大豆の種子さえ確保できれば潤沢な水と太陽が味方をしてくれるだろう。 何故かそれはまたのちほど。 春3月、野菜や花の種子があちこちから届く。 今日も郵便屋さんが春を運んでくれた! 春の光をあびて温室で種を播いていたらエルタテハが姿をみせた。温室で越冬していたのだろう(その後、温室の片隅に放置されていた鳥の巣箱に入ったのを確認)。温室の中をゆっくり飛び回り、私の腕で翅を休めたタテハと春の歓びを分かち合ったのである(つもり)。 |
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4月 2024
ご案内「藤門弘の北海道フォト日記」は夢枕獏さんのホームページ『蓬莱宮』にも転載されていますので、そちらもごらんください。 |