五つの庭 Five Gardens 一つ目はキッチンガーデン 闘う庭 二つ目はシェードガーデン 抗わない庭 三つ目はサンガーデン 祝福の庭 四つ目はウォーターガーデン 映す庭 五つ目はトロピカルガーデン 豊穣の庭 その1 キッチンガーデン 闘う庭 キッチンガーデンは食卓に直結した庭=菜園である。ここでは日々の糧を生産している。そこが花を愛でるローズガーデンとは違うところだ。春先に地面に埋め込んだ1個のジャガイモは10個のジャガイモを生産してくれるけど、できれば15個、20個のジャガイモを手にしたいと思う。一粒の豆を100倍にも200倍にも増やしたいと思う。ひとたび菜園に立つと、人はみな貪欲になる。ふだんから貪欲な人もふだんは無欲そうな人でも菜園に立てば等しく貪欲になることだろう。 蝶の愛好家も菜園で舞うキアゲハの姿を目にすると複雑な気分になる。キアゲハの幼虫はフェンネルの苗をむしゃむしゃ食べて丸坊主にしてしまうからである。シロチョウしかり。彼女がキャベツに生みつけた卵から孵った青虫は大切な葉を食い散らし、糞をたくさん落として葉を汚し、葉を見事なレース模様にしてしまう。 キッチンガーデンは欲の庭である。大切な収穫物=財産を守るために迫り来る敵、雑草や虫たちと徹底的に闘わなくてはいけない。絶えず見張っていなくてはいけない。だからキッチンガーデンは闘う庭なのである。 ●耕耘機を買った! 長い間、5.5馬力のクボタの耕耘機を使って菜園を耕してきたが、最近では重たいクボタを扱うのが難しくなってきた。菜園は8メートル四方の6個の区画に仕切られている。重たい耕耘機でも直線を走る分には問題ない。100メートルだって大丈夫。しかし1辺の長さがわずか8メートルの区画の中では、ひんぱんに耕耘機を持ち上げて方向転換しなくてはならないのである。かつては難なくターンを繰り返していたのだが、2~3年前から耕耘機の重さを支えるのが難しくなってきた。カシスの生け垣に突っ込んだり、煉瓦の仕切りを破壊したりする前にクボタは体力のある若者に任せることにした。若い衆の手にかかれば、菜園はわずか2~3時間ですっかり菜園らしくなる。 基本的には耕してもらった土に作物を植え付ければいいわけだ。この上なく楽ではあるがなんか寂しい。わがままなもので少し苦労もしないと菜園をやっているという気分になれない。堆肥を混ぜ込んで土をもう少しこまかく砕きたい、耕耘機がよけて通る多年草のハーブの周りも丁寧に耕したいと欲はつきない。5.5馬力は無理としてももっと小型の耕耘機ならまだ何とか動かせるのではないか? と未練がましく耕耘機に固執して、家庭菜園向け超小型耕耘機を買うことにした。 ネットで調べるとホンダの「こまめシリーズ」が健在であることが分かった。30年以上前に私が初めて手に入れた耕耘機もホンダのこまめパンチだった。あの頃から少しずつ改良を加えながらホンダはずっとこまめシリーズを作り続けていたのである。ホンダは他のメーカーの追随を許さない家庭菜園用小型耕耘機の老舗なのである。今回はこまめシリーズの中でも超軽量の機種を選んだ。2.2馬力とクボタの半分の力もないけど、これなら私にも楽に扱えるだろう。 初めてこまめを買った時のことは今でも鮮明に記憶している。当時の経済状態からすれば高価な買い物だったし、趣味の菜園のためにこんなものを買っていいのだろうかという後ろめたさもあった。実物を見て、話しをよく聞いて、じっくり検討しようと思い、国道沿いにあるホンダの代理店に出向いた。ところがウィンドーに飾ってあったピカピカのこまめを見るなり、「これください」と指さしてしまったのである。じっくりのはずが即決、あの長い間の逡巡は一体何だったのだろうか。こうして長らく続いたクワとスキの鉄器時代から一挙に文明の時代へと突入したのである。 二代目こまめは、デザインも機能も一代目とほとんど変わらなかった。単純な道具だから変わりようがないのだろう。菜園はクボタで耕してあるからこまめはスイスイ動く。ターンも楽ちん、堆肥しか入っていなかったので石灰と鶏糞をばらまいて、気分よく菜園を走り回った。 こまめにはもうひとつの魅力があった。それは培土機が取りつけられるようになっているのである。培土というのは野菜の根元がグラグラしないように株の根元に土寄せしたり、地下で肥大したジャガイモが顔を出さないように土を盛る作業のこと。ふつうはスコップやクワでやるのだが、専用の培土機をつけたこまめを走らせるとかんたんに培土ができるのである。培土機を利用すれば畝を立てることもできる。去年、気まぐれに畝を立てて空芯菜を栽培したら、これまでにない好成績をあげた。ニンニクと塩で味付けした空芯菜の炒め物は毎日食べても食べ飽きない美味しさだった。この成果に気をよくしてバイアムも畝を作って植えたら、グングン成長して大量の菜っ葉を供給してくれた。蕪しかり、ルッコラしかり。 畝がそんなにも食糧増産に貢献してくれるのなら、菜園中に畝を立てればいいじゃないかと思うでしょう。そうはいかない。スコップやクワを使って土を盛り上げて畝を作るのは、とても気の重い作業なのである。ゆえに長きに亘って畝作りは放棄して、ざっと耕しただけの平らな地面で野菜を栽培するという楽な道を選んでいたのである。 しかし去年の成功を経験するといくら重労働とはいえ畝作りの誘惑は断ちがたい。うれしいことにわがこまめは「畝たても簡単!」と堂々とうたっているのである。ホントかな? 半信半疑ではあったが、培土器を取りつけたこまめはを走らせてみた。するとうたい文句通り、土を盛ってくれた。不慣れだし、ターン問題もあるからスイスイというわけにはいかないが、たった2日間の作業で30本近い畝を作ることができた。これだけの労力でこれだけちゃんとした畝ができるなら文句ない。やるじゃないこまめ、買ってよかった。 ただ文句がないわけではない。真っ赤な本体に対して培土機は鮮やかな紫色のプラスチィック製なのである。その名もパープル培土機という。一体だれがこんな色の組み合わせを考えたのだろうか?ブラックかグリーンにして欲しかった。そうすればこまめの売上も少しは伸びるだろうに。 パープル培土機が作ってくれた120cm幅のLサイズ畝と90cm幅のMサイズ畝はすべて作物で埋め尽くされている。当たり前だけど畝は作物はここ、この畝に植えなさいよと指示してくれる。畝と畝の間は通路だからここに植えてはいけませんよ、と教えてくれる。そこが畝のいいところだ。これが平らな地面だとつい苗を植えすぎてしまう。植えつけ時の苗はとても小さい。ブロッコリーなら高さ15センチ幅も同じく15センチほどなので苗が占有する面積はきわめて少ない。種袋には60cm間隔で植えなさいよ、と書いてあるけど45cmでも大丈夫だろうと先のことは考えずに植えてしまう。苗はたくさんあるし。ブロッコリーは着々と成長を続け、3ヶ月後には文字通り足の踏み場もない状態になってしまうのである。緑の気配すらない春まだ浅い菜園に60センチ間隔で苗を植えるなんて、よほど自制心が強くないとできる技ではない。 2ヶ月後、気がつけばツルムラサキのジャングルを抜けてブロッコリーやキャベツをまたいでようやく目的のインゲン豆に到達するという事態に陥ってしまうのである。通路が確保されていないから追肥や土寄せというたいせつな手入れもついつい滞りがちになる。収量が上がらないのも当たり前の話。 そこへ行くと畝には抑止力というものがある。大量の苗が余ったとしてもいくら何でも畝と畝の間にある通路には植えようとは思わない。加えて畝にはマットレスというたいせつな役割もある。ただの地面よりフカフカのマットレスの方が苗には居心地がいいに決まっている。特に今夏のように雨の多い時は、畝は雨を適度に排水して水分量を一定に保ってくれるだろう。野菜にとってはマットレス、私にとっては抑止力となる畝、こまめのおかげですぐれものの畝をわずかな労力で作ることができたのである。見栄えはともかく鮮やかな紫色のパープル培土機は大いに力を発揮してくれたのである。 ●追肥と摘芯 ホームセンターの苗売り場で野菜の栽培法のリーフレットを見つけた。苗の販売促進用に配布しているらしい。ちょうど温室で育てたゴーヤーやツルムラサキの苗を菜園に定植しようと思っていた矢先だったので、リーフレットをもらって帰った。ゴーヤーは例年、我も我もと野放図にツルを伸ばすものだから、葉っぱが幾重にも重なって一体どこに実がついているものか分からなくなってしまう。涼風が立つ頃に黄色に過熟したゴーヤーを大量に見つけて悔しい思いをしたりする。ツルムラサキもちょっと目を離すと勝手に地面を這いまわり、雨に打たれて泥だらけになっていたりする。こうなる前に何らかなの手当が必要なことはわかっているのだが、苗の定植に追われて細かな手入れは後回しになり、気がつけば手遅れということの繰り返し。ほんとに何年やっても呆れるくらい学ばないのである。 リーフレットを読むとゴーヤーもツルムラサキも大豆さえも摘芯が不可欠らしい。摘芯には成長点を摘んで枝を四方に張らせるという効果がある。背丈より横幅重視、枝をたくさん出したガッシリ苗にして収穫量を増やすそうというのが摘芯の目的。今年は耕耘機こまめクンが作業路を確保してくれたので教科書通りに摘芯をやってみることにした。ゴーヤーは本葉5枚の時に頂点を摘む。ユーチューブを見ても栽培に関する本を読んでも本葉5枚の原則が貫かれている。もちろんホームセンターのリーフレットも5枚の原則を教えてくれる。ツルムラサキも空芯菜もバイアムも45センチに達したら摘芯するというのが原則らしい。5枚と45センチ。去年は1メートルちかくに達した空芯菜もバイアムも45センチの原則を守っていたら、もっと収量が増えたに違いない。これまでは野菜たちにゴメンゴメンと謝りながら追肥はほとんどやらなかったけど、作業路が確保された今年の菜園では教科書通りに追肥もできる。弱った作物には魔法のHB101だって与えることもできる。 ようやく世間並みの扱いを受けるようになった今年の野菜は何と幸せなのだろう。昼間は太陽の光を浴びてまどろみ、夕方から降り始めた雨に歓喜して眠りにつく、健やかに育ったそういう作物たちが美しい菜園を作るのである。ハーブや花で飾り立てるのではなくて、健康な野菜が整然と並んだ姿こそ菜園の究極の美しさというものなのかもしれない。 「美は有用性にあり」シェーカー教団を興したアン・リーもそう言っているではないか。まっすぐな畝に見事に育った野菜が整然と並んだシェーカー教徒の菜園はまさしく彼女の言葉を体現しているのかもしれない。シェーカー教徒は野菜やハーブの種子の販売を手広く展開した高度な農業集団でもあったのだ。 究極の美にはほど遠いけどこまめは健やかな野菜作りの心強い味方、今年のお買い物ベストワン間違いなし。 ●トマトを植える 菜園の一画には我が家の墓地がある。ここには藤門政子さんと歴代の5頭の犬たち、仁木家の猫が眠っている。私もいずれここに埋められることになるのだろう。墓地を囲む煉瓦の塀に沿って色々な木が植えられている。ブナやハウチワカエデ、ツリバナやライラック、私は大好きなヤマボウシの下を希望しているが、順番なので場所は選べない。 菜園で野菜を収穫している最中に息絶えて、地続きの墓地に埋葬される、今のところこれが私にとっては理想的な最後。頭に浮かぶのは映画ゴッドファーザーで描かれたドン・コルレオーネの死。菜園で孫と追いかけっこをしている最中に倒れて、息絶えるのである。苦しんだ様子もない。菜園のまっ赤に熟れたトマトが印象的だった。ゴッドファーザーといえども食には貪欲なイタリア人、たまにはパスタソース用のトマトを採りに菜園に赴いたことだろう。 トマトの美味しい一皿を頭に描いて、菜園で完熟トマトに囲まれて死ねたらいいなーと思う。その夢を実現させるためには、私は死ぬまで菜園でトマトを栽培し続ける必要がある。ナスやゴーヤーではなくてトマト。大根でもジャガイモでもなくてトマト。それも栽培が容易なミニトマトや中玉トマトではなくて立派な大玉トマトでなくてはいけない。だから私は「強力米寿」という種類の大玉トマトも毎年必ず植えている。真っ赤に熟れた強力米寿を手に菜園で死ねたら幸せだなーとつくづく思うのである。 ●ヒルガオについて 菜園では日々、様々な敵と闘かっているわけだが、目下、最大の敵は何と言ってもヒルガオである。10年前にはヒルガオなんていなかった。10年前の敵といえば、ウリハムシで植えたばかりのバジルの柔らかな葉を遠慮なく食い荒らすので、毎朝、攻防戦を繰り広げていたものだ。いつの間にかウリハムシは姿を消した。どこへ行ったのだろう。今年なんてまだ1匹も姿を目にしていない。こうなるとかつての敵とはいえ心配になってくる。ウリハムシと入れ替わりに登場したのがヒルガオだった。静かに静かに地下活動を進め、気がつけば菜園を我が物顔に這い回っていたのである。どんな雑草でも敵であることに変わりはないが、ヒルガオは雑草の中でも飛び抜けて悪質な雑草なのである。 例えばヨモギ。ヨモギは日当たりのいい場所を選んで根を下ろす。日当たりのいい一等地に根を下ろせば引っこ抜かれるのは自明なのにその愚行を繰り返すのである。そして抜かれると「テヘッ、やっぱりダメだったか」とかんたんに撤退するのである。彼らとて生き残りの戦略があるはずだけどこういう素直なおじさんのような雑草とは共存もできる。ヨモギを見ていると残念でならない。沖縄ではフーチバと呼ばれ、薬味代わりに沖縄そばに入れたり、そば自体に練り込んだりして重宝されている。天ぷらも美味しいし、草餅には欠かせない。ヨモギは青菜として栽培されてもおかしくないのにあと一歩届かず、いまだに雑草にとどまっている。人のよさが災いしているのかもしれない。 一方、ヒルガオはつる性の植物で朝顔やサツマイモと祖先を同じくしている。サツマイモはジャガイモと並んでイモ界のドンとして君臨してきたし、朝顔は夏の風物詩とし人々に愛されてきた。同じ祖先をもつヒルガオは栽培種に改良されることもなく、雑草としての生を余儀なくされたのである。冷遇されたからだろうか、悪知恵を身につけてすっかり捻くれてしまったのである。 ヒルガオは地中に縦横に根を這わせて、地表に茎を出してツルを伸ばす。茎を抜いた位ではびくともせず、厄介なことに強固な地下組織に手をつけなければ退治できない。ヒルガオは手近な植物を見つけるツルを巻き付けて光に向かってグングン成長をする。支柱にされた植物はたまったものではない。雑草だろうが、アスパラガスだろうが、相手構わず支柱代わりに利用するのである。 こうした厚顔無恥な性質もさることながら、瞠目すべきはその旺盛な繁殖力にある。一説によると1cmの根から何と5万5千本もの茎を伸ばす能力があるそうだ。どうやって数えたのだろう。つまり1cmでも侵入を許せばもう手が付けられないということだ。全滅させるのはほぼ不可能ということだ。先の見えないヒルガオ退治に勤しみながら、この根をあの方の富ヶ谷の私邸に1メートルほど放り込みたいと強く思う。勝ち目のないヒルガオとの闘いの日々は続くのである。 ●アリのごとし 種を播いて苗を育て、野菜を育てて収穫する。とれたての野菜を料理して食卓へ。わぁ美味しい!菜園の仕事はこれでは終わらない。あとひとはたらき、収穫した野菜を保存するというたいせつな仕事が残っている。毎年30株のトマトを栽培するのも、時期をずらしてブロッコリーを長期間栽培するのも冬に備えるためなのである。スーパーに行けば、季節を問わずどんな野菜でも手に入るけど、菜園で苦労を重ねている以上1年を通して自分で育てた野菜でやりくりしたいと思うのである。 1個のミニトマトも、半分ちぎれたようなオクラでさえ無駄にするものかと自分でもあきれるくらい保存に励むのである。その熱意は栽培にひけをとらない。イヤそれ以上かもしれない。 長期間の電力消費を前提とした冷凍という保存方法になじめなくて収穫した野菜や果物は瓶詰めや塩漬け、酢漬けなど古典的な方法で保存してきたけどもはや限界。例えばトマト。トマトはソースにして保存すると使い勝手がいい。皮を湯むきして、潰して、漉して、一晩ザルで水分を切って、煮詰めて、瓶に詰めて殺菌する。こうすれば、煮詰める時と瓶を殺菌するときに火をつかうだけで、瓶詰めのトマトソースは常温で保存できる。電力を消費し続ける冷凍保存に比べるとずっと賢いやり方なのである。しかしこの膨大な手間!正しく賢く保存したいのは山々だが、いざ実行するとなると作業の繁雑さが巨大な壁として立ちはだかるのである。明日こそまとめてソースに煮て瓶詰めしよう、明日こそ明日こそとダラダラと先延ばししている内に、熟したトマトが大量に地面に落ちて、菜園の肥やしと化してしまうのである。古典的な保存法に固執して、毎年、毎年、菜園の肥料を大量に栽培するくらいなら、エネルギー消費問題には目をつむって冷凍という保存方法を取り入れることにしたのである。数年前に大型ストッカーを購入した。 ひとたびその方向に舵を切れば怖いものなし。トマトはヘタをとって袋に詰めて冷凍ストッカーに放り込む。ツルムラサキだって大きい葉のまま何枚かまとめて袋詰めしてストッカーに放り込む。ブロッコリーならサッと熱湯にくぐらせて冷ましてから放り込む。これならトマトを100個収穫しようが、ブロッコリーをまとめて10個収穫しようが怖いものなし。一瞬にして保存は完了する。冷凍ストッカーのおかげで、トマトやブロッコリー、ゴーヤーやツルムラサキ、エンドウ豆やオクラはほぼ一年中食卓にのせることができるようになった。 冷凍保存のコツは、小分けして保存することだ。ゴーヤーなら輪切りにして1本分、ミニトマトなら10個、ツルムラサキの葉なら10枚が適量。10本分の輪切りゴーヤーをひとまとめにして冷凍したとしよう。ひとかたまりのがちがちに凍ったゴーヤーには手が出しにくいから、冷凍ゴーヤ-はいつの間にかストッカーの底の方に押しやられて、ストッカーの肥やしと化してしまうのである。菜園の肥やしを免れたゴーヤーもこれでは報われない。1本ずつ輪切りにして袋詰めしておけば、サッと取り出して1回分のゴーヤーチャンプルーを難なく作ることができる。 ツルムラサキは冷凍のまま袋を揉んで葉っぱを細かく砕いてから、野菜スープに入れるといかにも栄養価の高そうなとろみのあるスープができる。ツルムラサキは野菜スープ専用、炒めものやお浸しにしようなどとは欲張ばらないことにしている。小分けと欲張らない、これが快適で無駄の少ない冷凍保存生活を送る秘訣だと思う。 冬に食べる野菜スープには冷凍ツルムラサキの他にも冷凍トマトや冷凍インゲン豆、冷凍オクラなども放り込むから鍋の中は菜園の同窓会のような趣がある。「やあやあ、去年の夏は最悪だったなー」、「うんうん熱中症で倒れるかと思った」というような会話が鍋の中から聞こえてきそうな気がする。同窓会スープはしみじみとおいしい。冷凍ストッカーは私には冬のファーマーズマーケットなのである。 ●菜園花について 菜園は私には1年草の花々を栽培する花壇でもある。以前はデルフィニュームやエキノプスなど英国式ガーデンの重鎮のような多年草を栽培していたが、とりすましたこれらの花々は菜園には決定的に似合わないことに気づいて以来、菜園にふさわしい花々を探し続けてきた。キーワードはラスティック、田舎じみてはいるが明るくて元気な一年草がいい。 今年は煉瓦の縁石に沿って一重咲きのジェム系マリーゴールド、ナスタチューム、カレンジュラ、菜園の壁用として各種向日葵を植えてみた。ナスタチュームは薄緑色の丸い葉っぱもラッパ型の軽快な花も大変よろしい。しかしながら生育が旺盛なのでいつも縁石を超えて通路にはみ出してホースや一輪車の通行を妨害する。その自然な感じがまたいいのだけどいささか度が過ぎるのである。冬にイギリスの種苗会社T&Mのカタログで立性ナスタチュームというのを見つけた。通路にはみ出すのは這性ナスタ、立性というからには通常のナスタよりは少しは温和しいのだろうと期待して種を注文した。控えめに這うという位が理想なのである。種を播いて育てた20株ほどの苗を6月の末に定植した。苗もいささか小振りで奔放な這生ナスタチュームに比べると慎重で堅実な生育ぶり、この様子からすると期待通り節度をもった這い方をしてくれるのだろう。 英国ナスタは上品な赤い花を咲かせた。しかし茎は上にまっすぐ伸びるばかりで一向に這おうとはしないのである。強力なバジル軍団に背後からグイグイ押されても前のめりになることなく背筋をピンとのばして立ったままなのである。だから立性と言ったじゃないといわれればそれまでだけど、ここまで頑なだとは思わなかった。少しだけなら道にはみ出してもいいんだよ。さすが園芸の本場イギリスというべきか、でも来春はやっぱり奔放ないつものナスタにしよう。 ここ数年、菜園の壁として向日葵を採用している。背が高くてラスティック感溢れる向日葵は菜園のアクセントに最適なのである。去年の暮れ「ゴッホの耳」と「ゴッホの眼」というタイトルの本を同時進行で読んで以来、ゴッホに興味を持つようになった。耳の方はゴッホが切り落とした耳についての粘り強い検証とそれに基づいたドキュメンタリータッチのお話、眼の方は美術評論家によるゴッホ絵画の鑑賞の手引き、両方とも面白かった。誰もが当たり前と思っているごく平凡な幸せを何ひとつ手にすることなく若くして死んだすごく非凡なゴッホ。死の真相は謎だけどアルル時代の向日葵の絵は好きだ。 ゴッホ展が開かれていた京都の展覧会場で「ゴッホのひまわり」と命名された向日葵の種を購入した。今年の向日葵は2~3メートルの高性の赤花と黄色、矮性のテディーベアにゴッホのひまわりを加えた3本立てのラインナップ。苗は60株位、去年よりかなり控えめに育てた。というのも去年、宿根向日葵というのを植えたのだが、冬越しなんて絶対無理と高をくくっていたところ、2メートルを超す雪の下で冬を越し、まだ雪が残る菜園の一画でグングン成長を始めたのである。向日葵にはちがいないけどそこらにたくさん生えている雑草のオオハンゴウソウと紙一重、とはいえそのがんばりに免じて菜園の仲間に入れてあげることにした。そのせいで1年草のいつもの向日葵を植える場所が減ってしまったのである。 ゴッホは背の高いコーンの、赤色と黄色はゴーヤー+胡瓜のネットの、余りの苗はジャガイモの背後にそれぞれ植えた。矮性の可愛らしいテディーベアはライム色のジニアと組ませて菜園のあちこちに配置した。雑草と酷似した宿根向日葵は天候不良などものともせえず黄色い花を次々に咲かせているが、1年草の向日葵たちももうじきにぎやかに菜園を彩るはず。 その2 シェードガーデン 抗わない庭 カツラの生け垣に囲まれたメインの庭には芝生が広がっている。その周りを今や大木となったヤマモミジやサトウカエデ、カツラやシナが囲んでいる。樹木と芝生の間には鉄道の枕木を敷いた回遊路があり、その両側には灌木や草花が植わっている。 30年近く前、この赤井川村の農場を終の棲家にしようと決めた。そして念願の庭作りにとりかかったのである。憧れていた宿根草のデルフィニュームやシャクヤク、大好きなアイリスやジギタリスを植えて、ヒソップで分厚いヘッジを作った。完璧とは言えないまでも様々な色、様々な姿の花が咲き乱れる花の庭が誕生したのである。 時を経て、幼木は若木になり、そして大きく枝を広げる成木に成長した。いつしかこの庭はすっかり日陰の庭になってしまった。華麗な花を咲かせる宿根草は次々と姿を消して、日陰に強いホスタ(ギボウシ)、クリスマスローズ、ルリ玉アザミ、ホトトギス、ホタルブクロたちが生き残った。何と地味なのだろう。ガクアジサイなどのアジサイ類、、各種ウツギ類、ハマナスやブッシュローズを加えたところでとても華麗とは言いがたい。最近ではヨツバヒヨドリやマムシグサがあちこちから勝手に顔をだして、勢力を拡大している。最高の賛辞は「野生の庭」、普通にいえば手入れの悪い庭といったところ。去る者は追わず、来る者は拒まないというのがこの庭の方針なのである。 木の生長に伴って庭の主役は華やかな宿根草から日陰を好む地味な宿根草に交代したのである。その事実を受け入れるまで長い間、無駄な抵抗を続けてきた。次第に弱っていくデルフィニュームを新しい苗に更新したり、堆肥を投入したりしてかつての華やぎを甦らせようと努めたのである。木々が作る日陰で繁茂できる植物だけでいい、ここで気持ちよく過ごせる植物だけでいい、自然の摂理には抗わないようにしようと心に決めるのにはずいぶん時間がかかった。 シェードガーデンは時間が作る庭である。1年や2年ではとてもできない庭である。この庭で作業をしていると、落ち着いた気持ちになれる。Calm&Peaceful。きっと庭が吸収した時間は私が生きた時間と重なるからなのだろう。日陰の庭、シェードガーデンは庭作りのひとつのゴールなのかもしれない。 その3 サンガーデン 祝福の庭 庭には五つの池が点在しているが、それらは制作者の名をとって「フジ5湖」とも一部では呼ばれている。池を巡る道があったらいいねということで、まずは古参のひとつ目の池と林の中の第二の池を結ぶ道作りに着手することにした。牧草地を切り拓いた道に沿って加工用の青リンゴ、プラムリーとグラニースミスの苗木を植えたのだが、そこら中のネズミたちがりんごの木を目指して集い、木の幹を囓るものだから2年で撤退。代わりにフェンス仕立てでぶどうを植えた。 道の片側にはぶどうのフェンス、フェンスに向かい合わせて幅1メートル長さ20メートルほどの細長い地面に花のボーダーを作ることになった。天真爛漫な菜園の一年草の花々も好きだ。シェードガーデンをその巨大な葉で幾重にも覆うホスタの海や春先から夏の終わりまで頭を垂れて頑なに地面を見つめる恥じらいのクリスマスローズも好きだ。しかし、花好きなら誰でも英国庭園の常連たち、格調が高くて華麗な花々にも憧れるはずだ。辺りは牧草地だから高木はもちろん灌木さえないのでボーダー予定地は1日中、光があふれている。憧れのサンガーデン、一度は諦めたサンガーデン作りが実現しようとしているのである。 これまで封印してきた光が好きな花々をたくさん植えよう。早速、余市のクサマ園芸店に出かけて青色と白のデルフィニューム、白と淡いピンクのシャクヤクを取り寄せてもらうことにした。後日、受け取りに行くと目の前にきれいなピンクの花を咲かせた河原撫子の鉢がズラリと並んでいる。スクッと立つその姿がいい。これを見過ごすワケにはいかない。20株購入してしまった。デルフィと河原撫子、シャクヤク、まだまだ植えられる。用事ででかけた倶知安のホームセンターではゲンペイカズラとヒメウツギ、常連になったクサマ園芸店でダイアンサスとまっ赤なオリエンタルポピー、抑圧から解放されたガーデン熱が一挙に解き放たれて次々と花苗を購入してしまった。 実は5番目の池を計画したときにモネの池にしよとういう大それた計画が持ち上がった。それでモネの庭の本を眺める日々が続き、モネが愛した花の種をイギリスから取り寄せて苗を育てていたのである。AubrietaとGuailardiaの苗は順調に育ったので、これもボーダーに植えた。ボーダーは英国庭園の花とモネの庭の花と衝動買いがミックスした収拾のつかないものになりつつある。まあ元年だから仕方がない。ともかくここは光が降り注ぐ祝福の庭なのである。 その4 ウォーターガーデン 映す庭 少しの間、家を空けて帰ってみると温室の向かいの畑が池になっていた。5番目の新池建設計画については以前から聞かされてはいたが、これほど早いとは思わなかった。慣れ親しんだアスパラ畑も巨大ルバーブ群も色んな種類のベリーも姿を消していた。夏、ちょっと疲れたような夕方の光の中でラズベリーやグースベリーを収穫するのは何よりの楽しみだったのに。ベリー摘みは夏の1日を締めくくる作業にはとてもふさわしかったのに。小学生のころにダムの底に沈む村(小河内ダム?)というようなドキュメンタリー映画を見た記憶があるが、裏の畑も村と同じ運命を辿ったのである。まあ移植できる分については菜園やベリー園に移植はしたが・・・。 瀬戸内海に浮かぶ直島の地中美術館にはモネの絵が5点展示されている。安藤忠雄氏の設計によるこの美術館は自然光が差し込むよう設計されていてモネの絵を展示するのにふさわしい施設だと思う。季節や天候、太陽の動き方によって絵の見え方は違うのだろう。冷たい雨の日のモネとうららかな春の日のモネでは絵の表情は違うはずだ。5点のモネの絵は庭における池の役割というものを教えてくれた。当たり前だけど池の水面は庭を映す。風で揺れた水面に映る庭も水といっしょに揺れる。池に差し込む光の動きによって水面に映る庭は輝いたり、曇ったりする。庭の池は単に水を湛えたため池ではない。刻々と変化する池の水面は庭を受け止めて、木々や花々を映すのである。池の庭はビオトープとして観察したり、水生植物を栽培する楽しみもさることながら、池が映し出す風景を楽しむというところにその醍醐味があるのではないか。日本の伝統的な池泉回遊式庭園も水面に映る風景を最大限意識して設計されているのだろう。 直島からフェリーで1時間ほどの高松市にある栗林公園は広大な池泉回遊式庭園だった。グーグールマップをたよりに讃岐うどん屋を探していたときに偶然通りかかったこの公園はのびのびしていて気持ちのいい庭園だった。公園の池の中央にでんと横たわる築山には色んな種類のカエデが植えられていて、池に映る新緑や紅葉はさぞ見事だろうと思わせる。依頼主と作庭家の意図が素直に伝わってくる。インバウンド観光客にひとり混じって手こぎの小舟に乗り、話し好きな船頭さんから詳細な説明を受けたのである。(説明を聞いているのは私ひとりだからマンツーマン)あーおもしろかった。 しかし池の庭はフジ五湖の一部だから今のところ私は観客の立場で紅葉の季節を楽しみにしている。家の裏面を覆うツタの紅葉は見事だし、池の周りにはナナカマドやハウチワカエデも植わっている。水面はどんな風景を映し出してくれるのだろうか? きっと1日中眺めていても飽きないだろう。カヌーで池を回遊できたらもっとすてきだろうな。 その5 トロピカルガーデン 豊穣の庭 バシッと太い茎にノコギリを入れると切り口から強烈なバナナの香りが立ち昇ってきた。伐り倒されたバナナが全身でバナナ、バナナと大声で叫んでいる。茎のあちこちから粘着質の透明な樹液が滲みだしているのを見つけたまさこオバアが、ゾウムシが潜り込んだに違いないと教えてくれた。島の人からはバナナゾウムシにとりつかれたら、一巻の終わりとよく聞かされてきた。同じ根から数本の茎が出ているので、ゾウムシが隣の茎に移動する前に切り倒さなくていけない。ウーファー(居候)と二人で樹液の噴出している茎に鋸をいれた。 不思議と惜しくはなかった。それよりバナナは木全体で香っているのだという発見に興奮した。こんな機会がなければバナナの木の香りについては知り得なかっただろう。それほど動揺しなかったのにはワケがある。このバナナの木からはすでにひと群れのバナナを収穫していたからだ。ひと房ではない。ひと群れ。ひと房には小振りな島バナナが20本以上なる。その房が8段位連なって群れを作っている。本数にすれば200本近くになるだろう。これだけたくさんのバナナを収穫できたのだから大満足、少し酸味がある樹上完熟バナナはすごく美味しかった。 去年の2月にフランス人のウーファー(居候)、マリ・クレールに手伝ってもらって植えたバナナの苗は腰丈くらいだった。春には背丈を超え、夏には3メートル以上に成長して花を咲かせた。秋には実がつき、その年のクリスマスにオバアからひと群れのバナナが届いたのである。植えてから1年も経っていないのに、すごい!としか言いようがない。バナナは草だから生長が早いのは当たり前と島のみんなが言うけど、それにしてもまさかの展開。りんごでもさくらんぼでも北国の果樹なら植えてから実を収穫するまでに数年はかかるだろう。 嬉しい誤算だった。この小さな箱庭が一応果樹園と呼べるようになるには5年くらいはかかるだろう。その頃には仕事を引退して冬の間は南の島で果樹の面倒をみて暮らそうと目論んだのだ。ところがバナナやパインは当然としても、植えつけて2年にもならないのにパッションブルーツもパパイヤもグアバもコーヒーもグングン生長して実をたくさんつけているのである。アボカドだって花が咲いているし、シャカトウも小さいながら3個も実をつけた。 石垣島の箱庭果樹園、名付け親は後見人でもあるまさこオバア、この春に行った時には雑草を刈って、シークワーサーやタンカン、レモンなどの柑橘類の苗木を植えた。パッションフルーツとパパイヤも収穫。ちょうど海下りの日だったのでオバアと一緒に名蔵湾でもずくをたくさんとった。夏には台風で倒れたハイビスカスやアボカド、グァバの木を地面から起こして、今後の台風対策として鉄パイプを組んでがっしりした支柱を立てた。パインとグアバ、大風に耐えたバナナも収穫した。次回はいいよいよマンゴーを2株植える予定。そろそろドラゴンフルーツの棚も組み立てなくては。近いうちにオバアに会いに行こう。 ●島バナナ 風速40メートルを超す暴風雨に耐え救われた完熟直前のバナナと未熟なまま力尽きたバナナ。樹上完熟バナナは少し酸味があって美味しい。バナナは皮をむいて1本ずつ冷凍もしている。バナナをつぶして生地に混ぜて焼いたバナナブレッドは朝食の定番。切り倒した茎から取り出した黒い虫が多分、憎っくきバナナゾウムシ。切り倒す以外に有効な防除手段はないのであきらめるしかない。 ●パパイヤ 何だかおかしな実の付き方をしているパパイヤ。一番大きい実を収穫して食べたけど大味であまり美味しくなかった。野菜パパイヤ疑惑が浮上している。パパイヤにはフルーツパパイヤとサラダやチャンプルーに使う野菜パパイヤがあるが、これは確かにフルーツの方の苗木だったハズ。小さい実の群れは半分くらいたたき落とした。 ●グアバ グアバもカラスが狙っているので早めに収穫。まだ早いかなと思ったけど意外と美味しかった。 実の小さなストロベリーグアバは石のように堅く、一向に熟す気配なし。一体何なんだこれは。 オバアは見込みがないから抜いた方がいいと盛んに勧める。せっかく実をつけたのだからと先延ばしにしているが、日当たりのいい一等地なのでマンゴーに植え替えようかと思案中 ●シャカトウ 一番栽培したかったのがこのシャカトウ。実はねっとりと濃厚な味、森のアイスクリームと呼ばれている。成長がすごく遅くてもうダメかと思っていたら突然成長を開始して、小さいながら実を3個もつけた。頭のごとく堅いけどもぎ取ってきた。 ●パッションフルーツ トケイソウ、つる性なのでつるがネットを這い回り収拾がつかなくなってしまった。仕方なく思い切ってバツバツ剪定した。今年は実がつかないかなと思ったら、きれいな花が咲いて実がたくさんなったので収穫。これまで食べたパッションの中で最高の味!収穫しきれなかった分は茶色く乾燥してしまった。 17年2月、植えつけが終わった箱庭。水やりしているのがまさこオバア、ホースを囓っているのはマリ・クレール。14ヶ月後の18年4月、ほぼ同じ場所だけど見違えるよう。黒マルチを外して通路には貼り芝をした。目がはなせない。
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5月 2024
ご案内「藤門弘の北海道フォト日記」は夢枕獏さんのホームページ『蓬莱宮』にも転載されていますので、そちらもごらんください。 |