石垣島箱庭果樹園 3月 3/21 石垣島 1日目 東京から石垣島へ直行して夕方到着。田代さんが空港まで迎えに来てくれた。天気よし。気温25℃くらい。「海のはな」で夕食をご馳走になる。とれたてマグロのカルパッチョには新鮮なチャービルが散らしてある。島らっきょう、カブ、パプリカをオリーブ油で焼いた焼野菜のサラダ。グリルした島らっきょうは初めて食べた。甘さもうま味も増して生や天ぷらとはひと味ちがった美味しさを堪能。 3/22 石垣島 2日目 曇り 早速、建設途中の箱庭果樹園に行く。正子おばあといろいろ近況を報告しあっているうちにお昼近くになってしまった。これはいけない、箱庭果樹園を巡回。前回植えた苗のうち1/3位が瀕死の状態だったけどまあ想定内の結果。冬にしては風が強かったらしくてあちこちで防草シートがめくれ上がっていた。箱庭の一番奥には頼んでおいた水道が新設され、蛇口にはホースがはまっていた。試しに蛇口をひねると、勢いよく水が迸る。おばあが知り合いに工事を頼んでおいてくれたのである。 お昼をご馳走になった。最近害鳥に指定された野鳥が手に入ったので煮物にしたという。 「カモ?」「カモじゃなくて首の長い鳥、何だっけ。」 クジャクが繁殖して困っているという話を聞いたことがあるので、もしやクジャク?それともあの憎っくきヒヨドリ?どっちにしても積極的に食べたいとは思わない。鍋をのぞくと肉は原型はとどめていないものの皮の部分に残る密な毛穴から推測すると確かにジビエ。冬瓜、大根、結び昆布と一緒に煮てある。丼によそってスープをたっぷり注いで、テーブルにあった塩コショウを入れて食べてみた。スープは鶏より幾分あっさりしている。生姜を加えて煮込んであるせいか、肉にはイヤな匂いもなく味に癖もない。けれどやっぱり野鳥の種類が気になる。煮物のおかわりを勧められたけど、大皿に盛られたソーメンチャンプルーを褒めちぎり、何だかんだごまかしてごちそうさま。 そこに娘の友子さんがやって来たので、挨拶もそこそこに煮込まれた野鳥の正体について尋ねるとクジャクでもヒヨドリでもなく「キジ」であることが判明した。出るところに出ればキジは高級食材ではないか。 安心はしたけど大鍋いっぱいの煮物は、二人で食べてもゆうに1週間分はあるだろう。 昼食後、前回植え残したハイビスカス用の穴を掘った。箱庭の周囲を囲んでいるオオギバショウの手前に植えるつもり。オオギバショウは成長が早くて風よけには最適だが、バサバサして見栄えがよくないからそれを隠す役割をハイビスカスに託すことにしたのである。赤い花の咲くハイビスカスを選んだ。赤い花にはオオゴマダラや各種アゲハ蝶がやってくる。 15個穴を掘ったら、薄暗くなったので本日の仕事は終了。 キジスープの夕食の誘いを断って、おなじみのファーマーズマーケット「ユラティク市場」に直行した。トマトもたくさん、ゴーヤーもオクラも一式そろっているが、特に青菜の類に並んでいる。嬉しくなってつい大量に買い込んでしまった。サラダ春菊、フェンネル(根の部分、日本では初めて見た!)菜花、ツルムラサキ、ハンダマ、パクチー、島らっきょう。ホテルでサラダにして食べるつもりだが、どう考えたってこんなに大量の青菜を消費できるわけがないのにその新鮮さと安さに惹かれてつい買ってしまった。食べ頃のパパイヤとスナックパインも購入。ズシリと重たい。 苗売り場をのぞくとこれまた魅力的な苗が並んでいた。ぐっと我慢してコーヒー4株、山椒と夜香木を購入。実がついたピパーツもあったけど心を鬼にしてこれはパス。食料品店でアカマチの刺身とまだ温かいできたてのゆし豆腐を購入して石垣らしい夕食楽しんだ。 3/23 石垣島 3日目 曇り 早めにホテルを出発してハイビスカスの苗を預けてあるシャンティガーデンの神田さんの農場に向かう。遠回りだけど79号を東シナ海沿いに北上、途中川平の先でおなじみのトミーのパン屋に寄って朝食用のパンとお土産用のパンを購入して海を眺めながら焼きたてのチーズパンをほおばる。 10時前に桴海の農園に到着。元気のない苗を植え替えたかったので苗木をみせてもらう。神田さんの勧めに従ってパッションフルーツ2株、グアバ2株、パパイヤ1株、ジャックフルーツ1株、ビリバ1株を購入。魅力的なトロピカルフルーツの苗が所狭しと並んだビニールハウスは私の目にはまるで宝箱のように映る。四方山話のあと苗を車に積んでおばあ宅に向かう。 おばあは昼食を用意して待っていてくれた。もちろんあのキジスープ、スープが昨日より美味しくなっていたのは、おばあが加えた味噌のおかげ?まだ5日分はあるな。 食後、シャンティーガーデンから持ち帰ったハイビスカス15株と昨日、ユラティクで購入したコーヒーの苗木を植えた。 今日のメインはローズマリー。去年の冬にバラビドの園芸市で購入した2株のローズマリーを正子おばあに預けておいたら、挿し木で30株に増やしてくれていた。ありがたい、緑の指の保持者であるおばあの手にかかると魔法のように苗が増えていく。 30株の苗は定植するにはまだ幼かったので親木の2株だけ植えることにした。 思えばこの「箱庭果樹園」プロジェクトはローズマリーから始まったのである。 20年近く前、50歳を記念してイタリアを旅行したときにミラノの町で住宅街に迷い込んでしまった。いつも野菜やハーブの種を取り寄せていた種苗屋さんを探していた時のことだと思う。日本でいえば小田急線沿線の静かな住宅街といった雰囲気で大邸宅というほどでもないけど庭付きの邸宅が並ぶ一画だった。歩いているとハーブの香りが漂い始めた。その香りに導かれて角を曲がるとそこにはローズマリーの生け垣があったのである。香りの主はこのローズマリーだったのだ。 あれ以来、私はローズマリーの生け垣にずっと憧れていた。いつか庭にローズマリーの生け垣を巡らしたいものだ、いつかいつか。しかし北海道ではローズマリーを屋外で栽培することができない。冬は掘りあげて室内に取り込まないとローズマリーは冬越しできない。だからどうあがいてもローズマリーの生け垣は叶わぬ夢なのである。ゴーヤーやハンダマは露地でも育つし、南国フルーツだって温室さえあれば育てることもできる。でも北海道でローズマリーの生け垣を作るのは不可能なのである。 以前、見せてもらった石垣の恵子さんの畑にはローズマリーがたくさん植わっていた。膝丈くらいに成長したローズマリーがまるで生け垣のように列をなして並んでいる。彼女の話ではその年に小さな苗を植えたそうだ。手入れもなし、気がついたらこういう状態になっていたという。「ローズマリーにはハブが寄りつかないから安心」と言って笑った。 そうかこの島ではこんなにもたやすくローズマリーの生け垣ができるのか!いつかいつかと先送りしているうちに、もうそんなにたくさんの時間は残っていないことに気づいて何とかしなくっちゃと焦っていたのである。そして今、ようやくローズマリーの生け垣作りに踏み出したのある。そこらにいくらでもある何の変哲もないローズマリーの苗だけど、この苗には私の20年来の夢が詰まっているのである。ちょっと感傷的な気分で2株のローズマリーを植えた。 3/24 晴れ おー久々の晴天、早く林道に飛んで行きたいのを我慢して箱庭果樹園に向かう。枯れてしまった苗を処分して神田さんの農園で入手したパパイヤ、グアバ、ジャックフルーツ、ビリバなどを新たに植えつける。予定外のジャックフルーツの鉢を前にしてどこに植えようか思案している自分がおかしかった。デルフィニュームの苗ではなくてジャックフルーツ、フェンネルの苗でもなくてジャックフルーツの苗、ずいぶん遠くに来たもんだ。 今日は絶好の蝶日和、最近ではこんな日はめったにない。作業もそこそこに蝶見物のため、おなじみの親水広場に向かった。作業を放り出して車を走らせたのに、駐車場には幼稚園の送迎バスが停まっているではないか。あたりには子供らの歓声が響き渡っている。そう川辺での蝶見物の大敵は子供たちの水遊びなのである。だから土日祭日は極力避けてきたのに。この騒々しさではコノハ蝶どころか、キチョウさえやって来ないだろう。仕方がない、公園は諦めてタケタの林道を行くことにした。 いつもコノハ蝶が姿を見せる林道の途中に車を停める。ほんの4~5メートル歩くとコノハ蝶が葉っぱの上で羽を広げてじっとしているのが見えた。ラッキー!双眼鏡で観察する。かなりくたびれているけど紛れもなくコノハ、いつもは鮮やかな色をした羽を広げてじっとしていることが多いのに、この蝶は頻繁に羽の開閉をするので裏側のコノハ模様もよく見せてくれる。園児たちの水遊びに屈っすることなく歩き回って正解だった。 気をよくして林道をさらに歩く。地面近くにテングチョウも発見!長く突き出した頭部、体のバランスが特異でおもしろい。歩いている途中、幼稚園の送迎バスとすれ違ったので再び親水広場に引き返した。 園児たちは枝を拾っては水をかき回し、川に入っては小さなネットを振り回していたから当分、蝶は戻って来ないだろう、と思いきや川辺では早くもキチョウたちが群れて吸水している。こんな晴天をだから蝶たちもじっとしていられなかったのだろう。そこにミカドアゲハが1頭やって来て吸水を始めた。この時期に見られるミカドアゲハはゴールデンミカドといって、羽の裏が黄色っぽく輝くことから珍重されているらしい。去年も新潟から来たというおじさんグループがゴールデンミカドを求めて歩き回っていた。目の前のミカドアゲハは羽化したばかりなのか確かに美しかった。去年の夏にはミカド蝶が集団で吸水していたからその末裔だろう。 気がつくと時間はすでに2時を回っていた。正子おばあからいつ戻ってくるのと催促の電話、林道をあとにして再び箱庭に向 かった。 果樹畑の周辺には蝶が好きな植物を植えるつもりでいる。 このエリアをほぼ占有しているのはセンダングサ。これは年中花を咲かせる大切な蜜源植物なので花蜜を求めていろんな蝶が盛んに飛来する。おばあは繁殖力旺盛なこの雑草を目の敵にしているが、蝶のために半分くらいは残すことにしよう。おなじみの山菜?オオタニワタリ、笹状の大きな葉っぱが素晴らしい香りを放つ月桃、赤い花を咲かせる南国情緒あふれるヘリコニアも生えている。それらを少し整理してこのエリアにはランタナやクチナシを植えるつもりでいる。 イギリスから取り寄せたランタナの種をおばあに渡して次回来るときまでに苗を作っておいてくださいと頼むと、「ランタナ?」「ホラ小さい花が丸くまとまって咲くやつ」、「あっあれね、それだったら入り口の道沿いにいっぱい生えてるよ。種蒔くより挿し木した方が早い。」確かめに行くとなるほどオレンジ色のランタナが咲いていた。「なーんだ。わざわざイギリスから種取り寄せたのに。」「ハッハッハッ、うちにも苗があるはず。」正子おばあのハウスに行くと確かにランタナの苗はあった。 「ハイビスカスをあと10株くらいとクチナシも植えたいんだけど。」「クチナシは八重?原種?」「もちろん原種」、クチナシはきれいな緑色の羽をもつイワカワシジミの食草だから「じゃこれも1株。」目の前にピパーツの苗も発見。ピパーツは胡椒に近いスパイスで日本では石垣島で栽培されている。実をすりつぶして粉状にして利用するが、胡椒と甘いシナモンを合わせたよう複雑な香りをもつ本格的なスパイスである。つる性の植物なので町ではブロック塀などに這わせて栽培しているのを見かける。 「ピパーツ2株譲ってもらえる?」「これはオオギバショウに幹に這わせるといい」と正子おばあ。こうやってハウスを回っているとあれもこれもとキリがないのでとりあえず、ハイビスカス(アカバナ)ランタナ、クチナシ、ピパーチの苗を譲ってもらうことにした。 一輪車に苗をのせて箱庭に運ぶ。空いてる場所に植え穴を掘る。植えるのは明日にしよう。「夕飯食べていかない?」「いつもご馳走になってばかりで悪いから・・・。」「ゴーヤーチャンプルー、たくさん作ったからネ。」チャンプルーに惹かれてまたもやご馳走になることにした。 3/25 曇り 昨日掘った穴におばあに譲ってもらったハイビスカスやクチナシを植えた。くちなしには2輪の萎れかけた花が残ってた。花の甘い香りを嗅ぐと、実家の庭でクチナシの世話をしていた母の姿を思い出した。 3/27 石垣島から久々に本島に立ち寄った。 那覇の住吉公園でアオタテハモドキに会いたかったからだ。青タテハモドキはすてきな蝶だ。 その羽の色はすばらしい。まさしくペルシャカーペットの色合いなのである。深い藍色の地にクリーム色の縁取りと赤い斑点が鮮やかに浮かんでいる。色の組み合わせといい文様といい、絹糸で密に織られた上等なペルシャカーペットのように深いのである。いつもは公園の遊具エリアの上の芝地で彼らは飛んでいる。数頭が群れてここをホームにしているらしいのである。 早速、行ってみた。しかし、アオタテハモドキの姿がない。時期が遅かったのだろうか。シロオビアゲハやツマベニ蝶の姿は見かけたけど主であるアオタテハモドキの姿はなかった。 那覇を経由したのはアオタテハモドキに会う他にもう一つ目的があった。 牧志の桜坂劇場で上映されている「標的の島・風かたか」を見るためだ。監督は「標的の村」「戦場止み」と沖縄での住民の粘り強い反対闘争を主題に映画を撮り続けている三上智恵。辺野古新基地建設、高江のオスプレーのヘリパッド建設に反対する山城博治たちの闘いと合わせて、自衛隊配備とミサイル基地の建設が予定されている宮古島、石垣島での反対派による阻止活動を紹介するドキュメンタリー。監督の視線は常に反対派の側にある。副題の「風かたか」とは風よけを意味する。恩納村で米軍属により無残に殺害された被害者の追悼集会における稲嶺名護市長の発言「またしても命を救う「風かたか」になれなかった」という発言からとられた。 反対運動のリーダーである山城博治は不当逮捕され不当に長期拘留されて釈放された。釈放された今でも抗議の現場には近づけない状況におかれている。世界各国の人権団体からもこの不当な扱いに抗議が続出した。 山城博治氏は機動隊員に挨拶し、時に笑い、唄い、踊り、時に涙して反対派住民の先頭にたって闘いを続けている。そのことをもってしてさすが芸能の島、沖縄の闘いは明るいと言ってはいけない。 永続的なぎりぎりの闘いはふだんの生活の延長として日常化させざるを得ないのだろう。悲壮な面持ちでは闘争は長続きしないのだろう。 山城博治たちは穏やかな形相で機動隊と対峙し、悩み、様々な戦術を編み出す。彼らにとっては闘争は日常なのだと思う。(本土から機動隊が派遣されて以来、警備の様相がガラリと変わった。島の警察とはわかり合う部分も多かったけど本土の機動隊とは真っ向から対峙する以外ない。だから逮捕者もばんばん出るし、とインタビューで語っている。)辺野古も高江もアメリカの前に日本が立ちはだかる二重構造、本来、日本政府が交渉すべき相手はアメリカなのに沖縄との交渉、地域住民の弾圧に明け暮れている。那覇で乗ったタクシーのドライバーがアメリカ統治時代の方がまだましだったと言っていた。ワケを尋ねると交渉相手はアメリカさんひとつ、それも直接だし、言うことを聞いてくれることもあった、からという日本政府に対する三行半ともいえるような返事が返ってきた。 映画に登場した石垣島の山里節子さんはミサイル基地建設予定地の牧草地で「とぅばらーま」を高らかに唄いあげた。「とぅばらーま」は沖縄民謡の最高峰といわれ、自分の気持ちを吐露する即興歌、無伴奏で歌われる。辺野古や高江で行動する市民にエールを送り、石垣島の自衛隊ミサイル基地反対の思いを音に乗せて唄う節子さん、その「とぅばらーま」は圧巻だった。 「物や金はないけど歌や踊りで心を満たしながら生き抜いてきた」彼女のように背筋の伸びた女性が沖縄には多数存在する。 ヘリパッド基地建設に反対しミサイル基地の建設に反対する運動を主導しそれに賛同する女性たちはハッキリと語る。 彼女たちの言葉は日本の全国民に向けられたものだ。ミサイル基地が建設されると島は標的の島となる。ミサイル基地は沖縄本島の米軍基地の風よけのために建設されるのではないか。この狭い島に逃げ場はない。沖縄戦の悲劇が繰り返される可能性がある。それがイヤだと言っているのだ。きわめて真っ当にそう言っている。 島の自然が破壊されるだけでなく(私のお気に入りのオモト岳周辺はまさに建設予定地になっている)島は標的の島になってしまうのだ。島のあちこちに自衛隊歓迎ののぼりと自衛隊NOののぼりが目につく。YESとNOののぼりが隣り合って立てられている所もある。島はふたつに分断されている。 日本はあの敗戦からも福島の原発事故からも何も学んでいない。それどころか敗戦も侵略行為も原発事故もなかったことにしようとしている。 よそ者としてせめてこの島が今のままであってくれることを祈るしかない。 石垣島箱庭果樹園 5月 東京での仕事が終了した5月10日、石垣島に飛んだ。北海道の菜園と庭も気になるところだが夏はずっと北海道にいるのつもりなので、石垣視察は今しかない。 いつのもように田代さんにとれたてのマグロをご馳走になり、正子おばあ特製のゴーヤーチャンプルーを食べて、蝶々を探して林道を走り回った。 その1 防風ネット おばあ推薦の喜屋武さんにお願いしてあった防風ネットが仕上がっていた。おばあは顔が広いから手を貸してくれる知り合いがたくさんいる。彼女の厳しい目に合格したのが喜屋武さん親子、本業の土木建築工事請負の傍ら片手間で仕事をしてくれる。 箱庭のどん詰まり、無防備な道路際に設置してもらうことにした。2月に植えた風よけのオオギバショウはまだ50cmにも充たないから役に立たない。まああと3年もすれば立派なジャングルに成長するはずだが、台風は待っていてはくれない。そこで防風ネットを構築することにした。 空港から直接箱庭に向かった。すごーい、太いパイプを組んだ頑丈な土台にネットがピーンと張られている。想像したよりずっと本格的でしっかりしている。これなら大型台風に対抗できるかもしれない。できるかな?これでダメなら諦めるほかないけど。 残念だったのはネットの色、ブルーシートと同じ青色、ここは黒にして欲しかったなー。防風ネットを選択する際に最も重要なのはネットの目のサイズだという。目が大きすぎると防風の役割を果たさないし、小さいと風を受けて土台ごと飛んで行ってしまうらしい。ネットの色なんて二の次なのである。まあそれはそうだろう。黒いネットにこだわってバナナが吹き飛ばされでもしたら笑いものになること必至。これで台風対策は万全、まあ去年はほとんど台風は来なかったらしいけど。 その2 急成長 バナナやパパイヤが驚異的に成長していた。バナナなんて3月には私の背丈ほどだったのにもう見上げる高さに成長している。これが南国パワーなのか、その成長ぶりにはほんとに目を見張った。パパイヤも3月にはまだ苗だったのにもう若木、これならいつ実をつけてもおかしくない。3年でジャングル説は信じていいかもしれない。 その3 早くも開花 パッションフルーツの花が咲いていた!紛れもなくトケイソウの花だ。しかしパッションはバナナやパパイヤと違い、つる性の植物のように細い枝が地面を縦横に這いまわっている。これは救わねば。明日にでも株を起こして枝を誘引してみよう。花が咲いたということは実がつく?期待が大いに膨らむ。 その4 早くも結実 ストロベリーグァバが小さな実をつけていた。この情報は正子おばあから聞いていたけどやはり嬉しい。実はまだ青くて堅いから食べるのは無理そう。果樹園では一番に実をつけたシークワーサーが元気がない。手当をしてあげよう。 正子おばあは不在だったので、町に向かいいつものファーマーズマーケット「ユラティク市場」に立ち寄った。野菜の端境期なのか3月ほど充実はしていないが、実もののシーズンらしくて新鮮なトマトや立派なゴーヤーがたくさん並んでいた。トマト、ツルムラサキ、ルッコラ、パクチー、島バナナ、パパイヤ、ボゴールパインを購入。北国では野菜の最盛期は夏、それに対して南では最盛期は秋から春にかけてで、夏はお休みらしい。 晴れの日を狙って蝶見物にも出かけた。たけたの林道でよく出会う情報通の青木さんが「石垣島蝶マップ」という本を出版した。札幌の南雲堂という古書店の店主、昆虫スペシャリストの高木さんからお知らせがきたので「赤いネットを担いでバイクに乗って林道を走り回っている青木さん?シーサー顔の?」と思わず聞いてしまった。「そうあのシーサー顔の青木さん」と高木さんから返信がきたので予約しておいたのである。 その本はまるで私のために書かれたようなすばらしいマップだった。ということは購買者はごくごく限られるだろうと予想される。32ページの冊子が強気の3000円!専門書にはよくあるけど。 入手したマップを手に林道を走る。青木さんが推奨している底原ダム周辺の道路を行ってみることにした。時折、ベニモンアゲハなどが飛び交い、センダン草ではキチョウやスジグロカバマダラが吸蜜している。コノハが目の前を横切ったのでしばらく待っていたけど戻って来なかった。舗装道路を先に進む。すると車の前を20cm位のカメがノンビリ横断しているではないか。急停車、思った通りヤエヤマセマルハコガメだった。道路を渡り終えたカメは草むらに姿を消した。このヤエヤマセマルハコガメは天然記念物なのである。特別天然記念物に指定されているトキやカンムリワシ(林道では頻繁に目にするけど)にはかなわないが、とにかく天然記念物なのである。うれしい、探していたワケでもないのにひょっこり出会えたのがうれしい。 青木マップに従っていつものタケタ林道からタケタ農道(私がいつも通っていたのはタケタ林道ではなくて農道の方だった!)を通って親水広場に向かった。相変わらずくたびれたコノハ蝶がテリトリーをはり、水辺ではミカドアゲハやキチョウが群れて吸水していた。しばらくぶりに崎枝のヤラブ林道にも行ってみたけど収穫なし。林道はヤラブ(テリハボク)植林のために斜面を切り開いたせいかずいぶんと荒れた感じだった。 林道をテクテク歩いていると正子おばあから早く戻れコール。箱庭に戻ってパッションフルーツの誘引を試みる。数本の女竹を地面に挿して扇型に広げ、それぞれの女竹に枝を結びつける。 自由気ままに枝を伸ばしていたパッションに秩序を与えたといった感じだが、それも今だけの話、彼女たちはすぐに女竹など無視して自由奔放に振る舞うだろう。と思うとちょっと空しかったが、ついでにメイクマンで思わず購入してしまったパッションの苗を2株植えつけた。全部で6株、計画だと1年分のパッションフルーツが収穫できるはずなのだが。 箱庭のへりに植えたピパーツの苗はあまり生長していなかったが、これをオオギバショウの幹に這わせるべくその方向に誘導することにした。ソテツの葉を使うといいというおばあの助言に従ってちぎってきた葉っぱを防護壁の代わり立ててこっちこっちと誘導したつもりだけど、たいして効果がありそうには見えなかった。素直に誘導されてくれるといいのだが。 最後に前回は苗が小さすぎて定植できなかった、ローズマリーを植えることにした。前回クチナシのそばに植えた夜香木(これは夜来香=イエライシャンと間違えて購入してしまったもの。台湾の美濃、外出先から戻るとあたりに濃厚な花の香りがを漂っていた。 それが夜来香だと教えられて以来、一度は栽培したいものだと思っていた。その香りは、緞帳のような濃密さで夜の空気を重たくしていた)が邪魔になったのでバナナの近くに移動させて、ローズマリーのエリアを数メートル延長した。苗はまだ心許なかったけど、祈りの言葉とともに魔法のHB101をたっぷり与えて作業終了!とおもいきやこれが大失敗、後日おばあから怒りの連絡を受けることになった。あれはローズマリーじゃなくてティートリー、まったく間違えるなんて。しまった!どうりでローズマリーにしては何だか頼りないし香りも薄いと思った。ごめんごめんと平謝り、鉢に戻してローズマリーを植えたといたからとおばあは電話口で笑った。 よりによってローズマリーとティートリーを間違えるなんて、どうにも情けない限り。許してはもらったけど、私の実力が露呈してしまった。鋭い正子おばあのこと、今後はエラそうなことを言っても信用してもらえないだろうな。 最後の日には念願のもずくとりに行くことになった。石垣にはずいぶん通っているけどさまようのは林道や農道、草地と陸上ばかり。海には沈む夕日を見に行く程度で海遊びなどしたことはなかった。 「春に1年分のもずくをとって冷凍しとくといい」とか「海を歩き回るよりプカプカ浮かびながらもずくを摘むのがいい、腰をかがめなくていいし」と魅力的な話をあちこちで聞いたし、実際に正子おばあからお土産にもらった冷凍もずくはすごく美味しかったのである。もずくの命ともいえる粘りが強い上に、これまで食べてきたつかみ所のないようなぼんやりしたもずくに比べて断然食べ応えある。こんなにも違うものかと天然もずくに開眼したのである。とはいえもずくの季節はずっと前に終了している。でもまだ残っているかもしれないからと正子おばあが海に誘ってくれた。おばあの秘密の漁場は東シナ海、名蔵湾の端っこ、道路際に車をとめて海へ。ひと目みるなり、もっと潮が引かないとダメだから後で来ようとおばあ、午後の干潮時間に合わせて再訪することにした。 ちょうどお昼の時間だったので米原ビーチの近くの知花食堂で八重山そばと豆腐チャンプルーの昼食。そば小が350円。この値段だけど量も多いし、昔ながらの味なのか小細工を弄した新興のそばより素直に美味しいのである。 米原ビーチは石垣島屈指の海水浴場として人気が高い。まだ5月なので海に人影はまばら、おばあと一緒に海に入る。生暖かい海、まだ水が冷たいね。海がもう少し温かくなったら友人知人誘い合わせて海に出かけて、海に浸かっておしゃべりしたり、貝を拾ったり、お弁当を食べたりして1日を過ごすのだとういう。海にじっと浸かっていると気持ちいい。そうか海は温泉みたいなもんなんだ。海で遊ぶというと泳ぐとか潜るとか釣りをするとかそういう月並みな遊び方しか思い浮かばないけど海に浸かる、何もしない、ただ海に浸かって海と一体になって楽しむという付き合い方もあるのか。夏になったらお弁当を持ってまた来ようねとおばあが誘ってくれた。足もとでは目の覚めるような青い魚が群れて泳いでいた。きっと辺野古の人々もこういう海遊びを楽しんだのだろう。 干潮の時間が近づいたのでさっきの名蔵湾に戻った。ここは正子おばあのホームだから浅拆にずんずんと入って行く。私も後に続く。これがもずく、と教えられた海藻を探すのだが、雑草ばかりでなかなか見つからない。おばあのザルには半分ほどもずくが貯まっているのに私のザルはほんの少し。それでもあちこち移動して30分くらい摘んだ。真水でもずくを洗っていると雲行きが怪しくなってきたので引き上げることにした。来年は1年分とろうねと正子おばあはいうけど私にはこれだけでも十分、雨が降ってきたので慌てて海を後にした。
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2月 2024
ご案内「藤門弘の北海道フォト日記」は夢枕獏さんのホームページ『蓬莱宮』にも転載されていますので、そちらもごらんください。 |