(2)ドイツトウヒ ・・・「防風林」の話 丘の上に住宅用地ができて、 次に取りかかったのが防風林、屋敷林を作る作業だ。 防風林を作る、と言葉では簡単にそう言うのだが、実際は木の苗木を植えて、後はひたすらその成長を待つ、気が遠くなるような遠回りの試みだ。植えてから形が見えるのに少なくとも10年、林らしくなるのにおよそ20年はかかろうという、地味で迂遠な作戦である。 時間がかかるのはやむをえない、この丘に骨を埋めるつもりで取り組めばいい話ではないか。そう豪語してみるのだが、さて具体的に考え始めるとこの防風林作りのノウハウというものがまるで見当たらない。わが村のどこにも人家をとりまく屋敷林のようなものはなく、わずかに畑の境界に並ぶ木の列があるばかりだ。それらも十勝平野にあるような、大規模で見事なカラマツの列ではなく、どちらかというと敷地境界を示す役割ぐらいに見える。実際、入手したばかりのわが農地と隣の農家との境界にはヤチダモの木が一列に植えられていて、それが多少は風を防ぐ役割もしているようである。 東北地方に行くと、一面に大きく水田地帯が広がっていて、そこかしこに屋敷林に囲まれた農家が点在している。広い農業地帯に点々と住宅が分散しているのを「散村」といい、住宅が集まるのを「集村」と呼ぶのだそうで、屋敷林はこの散村型の地域に見られるようだ。車で走りながら眺めると、杉とおぼしき太い木が整然と並んでいて、その大木が地方の歴史の厚さを表しているようだ。杉の大木、というだけでもう北海道から来た身には別世界だが、その内にある屋敷の見事さにもまた感銘する。そもそも屋根が瓦葺きというだけで異国に思えるのであって、北海道ではどんなに立派な家でも屋根は決まってトタン葺きなのである。 用事があって宮城の農村地帯を何度かドライブしたが、その時見た屋敷林が当面唯一の手がかりである。もっとも、東北の水田地帯で見る屋敷林はいずれも建物にかなり近接していて、いささか窮屈な印象がある。農家にとっては住まいなどよりも農地をできるだけ広くとるのが当然なのだろう。いずれにしても北海道には杉はないし、林の内側に広い庭があってその一部に建物を作るつもりだから、東北の屋敷林とは少しイメージが違う。 というようなわずかな見聞を多少の参考にしつつ、さてどう取り組むか、思案どころであった。まずは杉ではないどんな樹種を選ぶのか、というのが問題だ。当然ながら、屋敷林には通年にわたって防風の役割をしてもらわなくてはならない。だから、冬に葉を落とす広葉樹は候補から除くことになる。では針葉樹の中からどれを選ぶか、ということだが、実は北海道ではそれほど選択の余地はない。針葉樹といえばまずエゾマツかトドマツか、普通この2種になる。落葉するカラマツはだめだし、イチイは成長が遅くて選択範囲には入らない。 エゾかトドか、と思いあぐねていたら、木に詳しいある人から鉄道の防風林にトウヒが使われる、という話を聞いた。密な樹冠を作るし、成長も早いという。おまけに見本がすぐ近くにあるというではないか。話を聞いてすぐに行ったのが隣の余市町から仁木町を通過する函館本線である。線路わきだからそれほど大きな林ではないが、よく見ればそれぞれ端正な姿の針葉樹である。すべての木がそろって同じ大きさで、まるで儀仗兵が整列しているかのようだ。近づくと葉は意外に柔らかく、深い緑色をしている。この鉄道林を見て、ぜひこれと同じトウヒを植えたい、そう思った。 調べてみると、北海道で植林されるのはドイツトウヒ(ヨーロッパトウヒ)という種類らしく、しかしそもそも北海道のエゾマツやアカエゾマツはマツ科のトウヒ属に分類されていて、兄弟のような関係らしい。ちなみにトドマツは同じマツ科でもモミ属に入るという。トウヒの英語名はスプルスで、この名は本業の木工の仕事で用材として馴染みがある。家具作りに使うスプルスは、北米産のトウヒでシトカスプルスと呼ばれるらしい。 北海道は木の国だからいわゆる造林の事業も活発で、植林用苗木の生産も大きい規模で行われている。富良野方面の苗木生産会社に電話で問い合わせてみると、ドイツトウヒも扱ってますよ、とのことだった。ついでに値段を聞くと安いのに驚いたが、後で届いた苗木を見てなるほど値段相応かなと思った。 80年代が後半に入る頃、この頃はわがファームのメンバーが一番多かった頃で、その全員を動員して一大植林イベントをやることになった。人数は集まったが、ぼくを含めて全員が植林初体験だ。素人集団の指導者が大学演習林に勤務するNさんで、彼の指導のもとに作業の開始である。まずは届いた苗木だが、これは束ごと前日からバケツの水に浸けてある。それをばらすと、一本ずつは鉛筆ほどの細さでおよそ頼りない。背丈50センチほどの弱々しい苗だ。これを地面に植えるのだが、指導者は「植林クワ」という特殊なクワを使う。畑で使うクワよりも幅が狭く肉厚のもので、これを地面にえいえいと数回打ちこみ、その土を上に掘りあげて止め、できたすき間に苗の根を入れこむのだ。土の間に斜めに苗を差し込む、という要領である。苗を入れたらクワを抜き、苗を上に引きながら両足で根元を固めるのである。えいえいから始まっておよそ30秒ほどだろうか、あっという間の作業である。このプロのエイエイ植樹は思い切りの力仕事だが、ベテランになると一日五百本も千本も植えるらしい。 トウヒ植林当日の写真がみつかった。春の風がとても強い日のことだっ た。 ところが我々はまったくの素人であり、そもそも植林クワも持っていない。見本は示されたが結局普通のスコップで地面に穴を掘り、そこにひとつずつ苗を植えていくしかない。固い地面での穴掘りは重労働で、半日もやるともうへとへとで、大勢いても半分は座りこんでいる有様だ。人海戦術をもって一日で1500本全部を植えるつもりだったが、結局当日と翌日午前までの一日半の作業だった。参加した長男・有巣君、次男・仁木君ともに、寒くて大変だったこの日のことをよく記憶しているという。 敷地およそ3千坪の南側と西側の二方向に、それぞれ三列の線状に苗を植えた。苗と苗の間隔は両手を広げた距離である。もちろんこれは将来の間伐を前提にしたもので、最終的には三本のうち一本が残るぐらいの数になるはずだ。 ・・・・・・それからもう40年に近くなる。植えた苗木はすくすく育ち、今では立派なトウヒの防風林が完成している。樹高は20メートルに達し、太いものでは幹の直径が50センチ近い。まずは大木といっていい大きさである。期待どおりトウヒは生育が早く、枝も大きく広がってくれた。防風の効果は抜群で、強風の日でも建物敷地に入れば、ほわりと無風の空気に包まれるのである。 成長したトウヒはやがて実をつけるようになった。いわゆる「松ぼっくり」、球果だが、日本のマツの実とは違ってかなり縦長の姿をしている。トウヒの「松ぼっくり」は、鳩時計に下がる重しそのままの形だ。というのは当然で、鳩時計(本名はカッコー時計)のもともとの産地はドイツの「黒い森」地方であり、そこはまさにドイツトウヒの森の一帯なのである。 トウヒの”松ぼっくり”はもちろん子孫を残す種のためのもので、折り重なった襞の間に羽根のついた実が隠されている。そのままにしておけば、やがて風が種を飛ばすことになるが、その前にやって来るのがまずエゾリスだ。夏を過ぎると散歩の度にリスたちが樹上でキキキと鳴き、犬たちが木を見上げて吠える。もう一種、ちょっと嬉しいのが野鳥のイスカだ。オスたちの赤い姿が魅力的だが、なにより、クチバシが松の実をこじあけるように進化していて、上下がたがいちがいになっている、その特殊さが興味深い。 という風に見事に育ったトウヒの防風林なのだが、いくつか悩みもある。ひとつは、かなり試みたはずの間伐なのだが、どうも不十分だったようで、木と木の間隔が狭く感ずるのである。いまからでも間引きをしようと思うのだが、大木になると倒す時のあたりへの影響も大きくてずっとためらっている。 もうひとつは、庭を囲むトウヒを眺めわたすと、上部で二股になっている木が多い。針葉樹は基本的にまっすぐに主幹が直立するものであって、二股はかなり異常な状態である。ひとまず防風の役には立っているし、木の健康に問題があるとも思えないのだが、やはり気になる。本当かどうかは分からないが、針葉樹が二股になるのはカラスが原因だという。カラスが木の先端に止まると、その体重でそこがポキリと折れる。すると、その下にある二つの枝が左右に伸びてやがて二股の木になるのだそうだ。そういえばカラスはよく木の先端に止まるし、時としてより歓迎すべきタカの類が頂上からあたりを睥睨していることもある。 というわけで、ちょっとした悩みもあるものの、わが家とわが庭はこのトウヒの防風林、屋敷林に守られて日々の平和を維持しているのである。 現在の様子。一番奥がトウヒの防風林、その手前が北米のカエデ林、建物の手前がカツラの生け垣。
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4月 2024
ご案内「藤門弘の北海道フォト日記」は夢枕獏さんのホームページ『蓬莱宮』にも転載されていますので、そちらもごらんください。 |