「箱庭果樹園プロジェクト」スタート! 今年は石垣島に何度か通った。初訪問は2月、以前「蝶館かびら」を主催する入野さんのブログで2月にコノハ蝶大発生! の記事を見つけて以来、ぜひともその時期に行ってみたいもんだと思っていた。 雪の北海道から26℃の石垣島へ、分厚いダウンを半袖シャツに着替え、いつもの林道に向かう。タケダ林道は島のちょうど真ん中あたり、名蔵ダムを囲いこみ、於茂登岳の頂上に向かうオモト林道と合流する林道である。私が一番ひいきにしている林道で、ここに行くとたいていコノハ蝶に会うことができる。 林道の入り口で青木さんに出会った。いつも赤い捕虫網を背負ってバイクで島中を走り回っている青木さんは、ライブ感溢れる情報を提供してくれる。 私がコノハ蝶を追いかけていることを知っているので「さっき親水公園の橋のところとその上の河原の木に2頭いたよ」と教えてくれた。はやる心を抑えて親水公園に向かって林道をゆっくり走る。コノハ蝶どころかほとんど蝶の姿なし。公園入り口に車を停めて川に降りていく。 川に向かって石段を一段降りたとたん、目の前を1頭の蝶が横切った。一瞬だけどオレンジの縞が目に入った。コノハ蝶だ! コノハ蝶が出迎えてくれた! 蝶は猛スピードで川を横切り、向こう岸に林立した高木の周りを飛んでいる。やがて川面に大きく突き出た枝にとまって翅を広げた。 蝶がとまった枝はちょうど私の目の高さにある。川を挟んで5メートルと離れていない。蝶はさあ見てくださいとばかりに葉っぱの上で翅を広げ、冬の柔らかな日差しを浴びてじっとしている。 翅の付け根から中央にかけては目の覚めるようなブルーが広がり、輝くばかりのオレンジの太い縞へとつながる。翅は白い線でくっきりと臣取られ、褐色の地色に白い点が浮かんでいる。双眼鏡で見ると手の届きそうな距離なので、細部までくっきりと見える。コノハ蝶はこれまで目にしてきたコノハは一体何だったのだろうかと思わせるほど輝いている。羽化してまもない完品のコノハ蝶を初めて見た。 葉の上でテリトリーを張っている蝶は翅を広げたまま光の中でじっとしている。休んでいるわけではない。他の蝶が近づくとすごい勢いで追い払う。小さなシロチョウはもちろん自分より大きなジャコウアゲハだって容赦はしない。蝶どころかシジュウガラまでも果敢に追い払う。 敵の姿か消えると葉の上に戻ってまた翅を広げる。蝶の一挙手一投足を河原の石に腰を下ろして双眼鏡で追う。目が釘付けというのはこういう状態をいうのだろう。川の水音が心地よい。 青木さんの言葉を思い出して川沿いの林道を少し上ってみる。林道から川を見下ろすと彼の言葉通り、これまた目の覚めるような完品のコノハ蝶が葉っぱの上で翅を広げていた。この個体はまだテリトリーを決めていないのかせわしなく木の間を飛び回っている。落ち着く気配がなかったのでまた河原におりてみる。 向こう岸ではさっきと同じ姿勢で蝶が翅を広げている。1時間は経っただろうか昼食の時間はとうに過ぎている。ここに来る途中、川平のパン屋でパンを買ったのを思い出して車に戻る。パンの袋を抱えてまた石に腰を下ろす。コノハ蝶をながめながらズッシリと重たい激辛カレーパンにかぶりつく。生ぬるい水を飲む。 コノハ蝶をながめながら食べる昼食、何て豪奢な昼食なのだろう。何て幸せなランチなのだろう。 冬の間、極寒の北海道を離れて、常夏の石垣島で暮らせないものかと漠然と考えてきた。こんな風に蝶を眺めているだけでも十分なのだが、もう一歩島に踏み込めないものだろうか。島通いを続ける内に欲が出て、蝶プラス1の楽しみを求めるようになった。 手を入れれば、何とかなりそうな空き家や菜園用地を探してみたけれど、観光ブームまっただ中の島では適当な場所が見つからなかった。ここはと思う土地には北海道の感覚からすると法外な値がついている。 例え適当な価格の土地が見つかっても、実際に一歩を踏み出すにはかなりのエネルギーが必要だろう。北海道でも手にあまる菜園や庭を抱えている身では島に長期滞在するのはなかなかむずかしい。島で木や花を育てたり、野菜を栽培してみたいのはやまやまだが、植物はこちらの事情など考慮してはくれない。そうこうするうちにズルズルと時間がたってしまった。 島の民家の庭先にはたいていパパイヤやバナナがある。特別に手入れをしているようには見えないのに立派なバナナがぶら下がっていたりする。その様子をみて2~3年前から果樹なら放っておいても何とかなるかもしれないと思うようになった。大好きなパパイヤや島バナナが栽培できたら何てすてきなんだろう。 栽培農家で話を聞くと南国フルーツは生長が早いので、ほとんどの果物は植えてから2~3年もすれば収穫できるという。北国のように植えてから収穫まで10年かかると言われればすぐに諦めるが、2~3年なら大丈夫、まだ間に合うだろう。 ずいぶんと遠回りしたけど、島に滞在する楽しみに果物栽培を加えることに決めた。蝶+果物。ようやくに焦点が定まったのである。 ネットを通して知り合ったKさんは東シナ海をのぞむ高台で果樹の苗木を育てて販売している。出身は本州、大学は北海道、今ではすっかり島に根を下ろし、家族3人で静かに暮らしている。40年以上前、私たちが農家の納屋を借りて田舎で暮らしを始めた頃を彷彿とさせるようなシンプルな暮らしぶりに接するとなぜかホッとした気分になる。 Kさんは初対面の私が語るむちゃくちゃな話に辛抱強く耳を傾けてくれた。そして果樹が栽培できるような土地を探してくれることになった。 島の知り合いたちもKさんご夫妻もあちこち当たってくれたけど、そう簡単には見つからない。いざとなると実は他人名義の土地だったとか、土地の所有権を巡って親戚の誰それが文句を言っているというような話で終わってしまう。おじいやおばあに会って話しを聞くのはおもしろかったけど肝心な土地探しは一向に進展しなかった。 狭い島だから仕方がないのだろう。 知り合いのオバアが貸してもいいよと言っているというKさんのメールを受け取ったのは夏前のことだった。今回は有望そうな気がしたので、すぐに石垣島に飛んで紹介された正子オバアの農園を訪ねることにした。 6月、島は、超大型台風直撃のニュースで持ちきりだった。Kさんに連絡するとみんな台風対策に忙しくて、農園を訪ねて話しを聞くどころではないと言う。台風前夜ということでレンタカーも貸してもらえず、窓を風よけの板きれで封鎖されたホテルに缶詰状態になった。友人の田代さんは、こういう石垣島を体験するのもいいねと笑った。 強風はビュービュー吹いたけど幸いにも直撃は免れたようだった。それでも後片付けとかいろいろあるのだろう、離島する前日になってようやくオバアと会うことができた。 オバアの農園は於茂登岳の裾野。私がいつも利用している県道211号線沿い、町の中心部から車で20分くらいのところにある。Kさんご夫妻も田代さんも一緒とはいえ、私はかなり緊張して正子オバアとの会見の場に臨んだ。試験官の前で面接を受ける気分。 初めて会うオバアは80歳とは思えないほど元気いっぱい闊達な人だった。花の栽培を中心に庭木や野草の苗の生産販売をてがけ、数年前に旦那が亡くなってからは長男と暮らしているという。特にプルメリアの栽培にかけては島一番、全国から訪れる個人のお客さんはもちろん、リゾートホテルなどからも納品の依頼があるらしい。現在はセミリタイア状態だが、友人知人からの頼まれごとが多くていつも愛車を駆って島を駆け巡っているという。 私も自己紹介のつもりで家族のことや北海道の農園のことを話し、警戒されないようにこの計画はあくまで趣味の園芸であり、老後の楽しみに過ぎないことを繰り返し強調した。 面接がひと通り終わると、オバアは農園を案内してくれた。彼女が貸してもいいよと言ってくれた土地は母屋から少し離れた一画にあった。道路に面した細長い矩形の農地、風よけのオオギバショウの並木で3区画に区切られている。それぞれが100坪程度の広さ。3区画の真ん中は、直接風が当たらないから、果物栽培には適しているという。 私はひと目見てここが気に入った。これまで見てきた土地は、崖っぷちだったり、なるほど海はよく見えるけど、吹きっさらしの土地だったり、カラカラに乾燥した人里離れたサトウキビ畑の跡地だったりとか、とても手に負えそうもない土地ばかりだった。 それに比べれば、幅15メートル長さ25メートル、100坪程度の広さではあるが、趣味の果樹栽培には十分な広さだし、巨大なオオギバショウは心強い風よけだし、土地の全貌が見渡せるから植栽計画もたてやすいし。何よりオバアの農場の一部だから水の供給や土地の管理などで協力態勢がとれるかもしれない。 オバアと一緒にそこを歩きながら、すっかりその気になった私は、ここにコーヒーを植えたいとか、パッションの棚はこの辺りがいいとか自分の思いを素直に伝えた。Kさんが親切に話しを繋いでくれた。 ぜひ貸して欲しい旨を伝えて島を後にした。あの土地でいろんな種類の南国フルーツを栽培できたら楽しいだろうな。オバアに頼めば人手も確保できそうだし、水もあるし、遠くに霞んでいた果樹園計画がぐっと近づいたような気がした。 しばらくしてKさんを介して、貸してもいいという返事が来た。 やったー!どうやら面接試験に合格したようだ。早速、契約書を作って夏の終わりに島に飛んだ。 オバアとの約束は翌日だったのでタケダの林道を走って親水公園に行ってみた。もうコノハはいないだろうな、夏だからそれほど期待できない。 公園の近くに車を停めて川に降りて行った。 すると息を飲むような光景が目の前にあった。おびただしい数のミカドアゲハが川原の水たまりで吸水していたのである。ミカドアゲハなんてめったに出会えない貴重品なのにそれが集団でいるとは。 そっと近づいてみた。気配を察したのかミカドアハが一斉に飛び立った。まるで紙吹雪をまき散らしたかのよう。いつもの石の上に腰を下ろしてじっとしているとミカドアゲハは三々五々集まってきて、また吸水を始めた。 ミカドアゲハばかりではなく大型のカラスアゲハやジャコウアゲハもそれぞれにグループを作って吸水している。小型のシロチョウの群れに大型のツマベニチョウが混ざっているのがおかしい。ミカドアゲハほどもあるツマベニ蝶だが、実はシロチョウの仲間なのである。 ただひとりの観客として、この豪奢な風景を独り占めしている。
彼女は島で第一号の女性ドライバーだったのである。熱のこもった身の上話は当然としても、運転しながらスプーンを使ってカップ入りアイスを食べるのである。忙しい時は運転しながら弁当を食べてたから大丈夫と笑うのである。 運転はオバアに任せて、私は助手席におとなしく座っているしかない。 農園の近所にある熱帯作物の研究所やドラゴンフルーツ栽培農家、於茂登トンネルを抜けてパッションフルーツの栽培農家などを案内してくれる。シークワーサーの苗木が欲しいというと知り合いの農家を回って立派な苗木を2株手に入れてくれた。 車の中で彼女の波瀾万丈の一代記を聞いた。 それはただただ黙ってうなずくしかないほど波乱に充ちた一代記だった。 私が来島する前にオバアは人を頼んで、雑草を刈り、堆肥を入れて畑の興起も済ませておいてくれたので、畑の全貌がずっと明らかになった。彼女は自分も隣の区画で果樹を栽培することに決めたという。そうすればイヤでも畑に行くことになるからと言って笑った。 冬前には苗木を植えることにしようと約束してオバアと別れた。 仕事がひと段落した11月の末に再び石垣島に飛んだ。苗木を植えるつもりで長靴や作業用エプロンも用意していったのに無情にも毎日雨が降り続いた。先週はずっと晴れてたのにと会う人ごとに言われた。 早速向かった私の果樹園にはKさんが友人と一緒に組み立てたパッションフルーツ用の棚が雨に濡れてぽつんと立っていた。奥の方にはパイナップルの苗が一列植えてあった。数えてみると17株あった。 前回来た時にKさんには、畑の設計図を渡しておいたのである。人の手が加わったことでただの地面はずいぶんと畑らしくなった。 雨のせいで畑はぐちゃぐちゃ、地面にめり込んだ長靴を引き抜こうとすると長靴が脱げそうになるくらいぬかるんでいる。植え穴を掘るなんてとんでもない。 翌日も雨、また雨。それでも雨が上がった僅かな時間を狙って畑にひもを張ることにした。 小雨の中、オバアに手伝ってもらって野菜用の支柱を立ててひもを張った。まずは1メートルの幅で作業用通路を決める。中央に通路を通したかったけどそうするとパッションの棚が飛び出してしまうので通路は中央から1メートルほどずらすことになった。通路を中心にして左右各3区画ずつ合計6区画に分割した。ひもは絶大な威力を発揮して、計画に従ってひもを張るとただの地面がずいぶん畑らしくなった。 狭い畑にひもを張ってちまちまと区画を区切る様子を見たたオバアが「箱庭みたい」と言ったのでこの計画を「箱庭果樹園プロジェクト」と呼ぶことにした。 車が通る道路に面して風よけにオオギバショウを植え、その手前に鉄管を打ち込んで防風ネットを張ることになった。北側からくる強風を避けるためだ。 オオギバショウという植物は風よけとしては強力そうだけど残念ながら見ばえがよくない。そこでオオギバショウの手前には目隠しとしてずらりとハイビスカスを植えることにした。ハイビスカスの赤い花には蝶がたくさん寄ってくるはずだ。 フルーツはもちろん、蝶の食草も栽培したい、長年の夢だったローズマリーの垣根も作りたい、憧れの柑橘類も栽培したい、琉球藍を植えて藍を建ててみたい。北海道では絶対に無理なあれこれを箱庭で実現したいという思いがどんどん膨らんでいく。 せっかく遠くからやってきたのに雨ばかりで畑に出られない私を気遣って、オバアはさりげなく面倒をみてくれた。ソーミンチャンプルー、ご自慢の台湾製保温鍋で煮たカレー、八重山そばを使った焼きそばと毎日昼食を用意してくれたし、もと板前のNさんに焼いてもらった本場のお好み焼で歓迎会まで催してくれた。 中でも炒めた素麺ににんじんシリシリと島菜の炒め物、揚げた島豆腐を添えたソーミンチャンプルーは美味しかった。 一緒に道ばたで摘んだ長命草とカレーリーフを袋詰めして町の辺銀食堂に納品に行ったり、川平ファームでご主人からパッションフルーツ栽培の話を聞いたり、知花食堂でそばを食べて(八重山そば小は300円! 小といっても普通サイズ、有名店のそばと遜色ない味で私は石垣ではここのそばが一番と思っている)知花のオバアのすてきな庭を見せてもらったり、とにかく顔の広い正子オバアのおかげで退屈することなく雨の石垣を楽しむことができた。 花、庭木、果物といろんな種類の苗を育てている正子オバアには顧客がたくさんいる。ちょっと珍しい苗が欲しいときには必ず彼女に声がかかるらしい。新しもの好きで、面倒見がよくて気さくな人柄なので、彼女は島中の人と知り合いなのである。 皮肉なことに島を離れる日にようやく太陽が顔を出した。近所のバラビドーで園芸市があるというのでオバアと居候のI君と一緒にのぞいてみた。そこで大株のローズマリー2鉢を購入、オバアが挿し木で増やしてくれることになった。
「最初、ヘンな人だと思ったよ。趣味で果物の栽培なんて。貸すかどうしようか、ずいぶん迷ったんだけどね、とにかく悪い人ではなさそうだ」これが初対面の私に対するオバアの感想。 田代さんもKさんも近所に住む娘さんも貸してあげたらとみんなで後押ししてくれたらしい。 次ぎに島に行くのは年明けの1月中旬、今度こそ太陽が出迎えてくれることを祈っている。 「箱庭果樹園プロジェクト」スタート! 今年は石垣島に何度か通った。初訪問は2月、以前「蝶館かびら」を主催する入野さんのブログで2月にコノハ蝶大発生! の記事を見つけて以来、ぜひともその時期に行ってみたいもんだと思っていた。 雪の北海道から26℃の石垣島へ、分厚いダウンを半袖シャツに着替え、いつもの林道に向かう。タケダ林道は島のちょうど真ん中あたり、名蔵ダムを囲いこみ、於茂登岳の頂上に向かうオモト林道と合流する林道である。私が一番ひいきにしている林道で、ここに行くとたいていコノハ蝶に会うことができる。 林道の入り口で青木さんに出会った。いつも赤い捕虫網を背負ってバイクで島中を走り回っている青木さんは、ライブ感溢れる情報を提供してくれる。 私がコノハ蝶を追いかけていることを知っているので「さっき親水公園の橋のところとその上の河原の木に2頭いたよ」と教えてくれた。はやる心を抑えて親水公園に向かって林道をゆっくり走る。コノハ蝶どころかほとんど蝶の姿なし。公園入り口に車を停めて川に降りていく。 川に向かって石段を一段降りたとたん、目の前を1頭の蝶が横切った。一瞬だけどオレンジの縞が目に入った。コノハ蝶だ! コノハ蝶が出迎えてくれた! 蝶は猛スピードで川を横切り、向こう岸に林立した高木の周りを飛んでいる。やがて川面に大きく突き出た枝にとまって翅を広げた。 蝶がとまった枝はちょうど私の目の高さにある。川を挟んで5メートルと離れていない。蝶はさあ見てくださいとばかりに葉っぱの上で翅を広げ、冬の柔らかな日差しを浴びてじっとしている。 翅の付け根から中央にかけては目の覚めるようなブルーが広がり、輝くばかりのオレンジの太い縞へとつながる。翅は白い線でくっきりと臣取られ、褐色の地色に白い点が浮かんでいる。双眼鏡で見ると手の届きそうな距離なので、細部までくっきりと見える。コノハ蝶はこれまで目にしてきたコノハは一体何だったのだろうかと思わせるほど輝いている。羽化してまもない完品のコノハ蝶を初めて見た。 葉の上でテリトリーを張っている蝶は翅を広げたまま光の中でじっとしている。休んでいるわけではない。他の蝶が近づくとすごい勢いで追い払う。小さなシロチョウはもちろん自分より大きなジャコウアゲハだって容赦はしない。蝶どころかシジュウガラまでも果敢に追い払う。 敵の姿か消えると葉の上に戻ってまた翅を広げる。蝶の一挙手一投足を河原の石に腰を下ろして双眼鏡で追う。目が釘付けというのはこういう状態をいうのだろう。川の水音が心地よい。 青木さんの言葉を思い出して川沿いの林道を少し上ってみる。林道から川を見下ろすと彼の言葉通り、これまた目の覚めるような完品のコノハ蝶が葉っぱの上で翅を広げていた。この個体はまだテリトリーを決めていないのかせわしなく木の間を飛び回っている。落ち着く気配がなかったのでまた河原におりてみる。 向こう岸ではさっきと同じ姿勢で蝶が翅を広げている。1時間は経っただろうか昼食の時間はとうに過ぎている。ここに来る途中、川平のパン屋でパンを買ったのを思い出して車に戻る。パンの袋を抱えてまた石に腰を下ろす。コノハ蝶をながめながらズッシリと重たい激辛カレーパンにかぶりつく。生ぬるい水を飲む。 コノハ蝶をながめながら食べる昼食、何て豪奢な昼食なのだろう。何て幸せなランチなのだろう。 冬の間、極寒の北海道を離れて、常夏の石垣島で暮らせないものかと漠然と考えてきた。こんな風に蝶を眺めているだけでも十分なのだが、もう一歩島に踏み込めないものだろうか。島通いを続ける内に欲が出て、蝶プラス1の楽しみを求めるようになった。 手を入れれば、何とかなりそうな空き家や菜園用地を探してみたけれど、観光ブームまっただ中の島では適当な場所が見つからなかった。ここはと思う土地には北海道の感覚からすると法外な値がついている。 例え適当な価格の土地が見つかっても、実際に一歩を踏み出すにはかなりのエネルギーが必要だろう。北海道でも手にあまる菜園や庭を抱えている身では島に長期滞在するのはなかなかむずかしい。島で木や花を育てたり、野菜を栽培してみたいのはやまやまだが、植物はこちらの事情など考慮してはくれない。そうこうするうちにズルズルと時間がたってしまった。 島の民家の庭先にはたいていパパイヤやバナナがある。特別に手入れをしているようには見えないのに立派なバナナがぶら下がっていたりする。その様子をみて2~3年前から果樹なら放っておいても何とかなるかもしれないと思うようになった。大好きなパパイヤや島バナナが栽培できたら何てすてきなんだろう。 栽培農家で話を聞くと南国フルーツは生長が早いので、ほとんどの果物は植えてから2~3年もすれば収穫できるという。北国のように植えてから収穫まで10年かかると言われればすぐに諦めるが、2~3年なら大丈夫、まだ間に合うだろう。 ずいぶんと遠回りしたけど、島に滞在する楽しみに果物栽培を加えることに決めた。蝶+果物。ようやくに焦点が定まったのである。 ネットを通して知り合ったKさんは東シナ海をのぞむ高台で果樹の苗木を育てて販売している。出身は本州、大学は北海道、今ではすっかり島に根を下ろし、家族3人で静かに暮らしている。40年以上前、私たちが農家の納屋を借りて田舎で暮らしを始めた頃を彷彿とさせるようなシンプルな暮らしぶりに接するとなぜかホッとした気分になる。 Kさんは初対面の私が語るむちゃくちゃな話に辛抱強く耳を傾けてくれた。そして果樹が栽培できるような土地を探してくれることになった。 島の知り合いたちもKさんご夫妻もあちこち当たってくれたけど、そう簡単には見つからない。いざとなると実は他人名義の土地だったとか、土地の所有権を巡って親戚の誰それが文句を言っているというような話で終わってしまう。おじいやおばあに会って話しを聞くのはおもしろかったけど肝心な土地探しは一向に進展しなかった。 狭い島だから仕方がないのだろう。 知り合いのオバアが貸してもいいよと言っているというKさんのメールを受け取ったのは夏前のことだった。今回は有望そうな気がしたので、すぐに石垣島に飛んで紹介された正子オバアの農園を訪ねることにした。 6月、島は、超大型台風直撃のニュースで持ちきりだった。Kさんに連絡するとみんな台風対策に忙しくて、農園を訪ねて話しを聞くどころではないと言う。台風前夜ということでレンタカーも貸してもらえず、窓を風よけの板きれで封鎖されたホテルに缶詰状態になった。友人の田代さんは、こういう石垣島を体験するのもいいねと笑った。 強風はビュービュー吹いたけど幸いにも直撃は免れたようだった。それでも後片付けとかいろいろあるのだろう、離島する前日になってようやくオバアと会うことができた。 オバアの農園は於茂登岳の裾野。私がいつも利用している県道211号線沿い、町の中心部から車で20分くらいのところにある。Kさんご夫妻も田代さんも一緒とはいえ、私はかなり緊張して正子オバアとの会見の場に臨んだ。試験官の前で面接を受ける気分。 初めて会うオバアは80歳とは思えないほど元気いっぱい闊達な人だった。花の栽培を中心に庭木や野草の苗の生産販売をてがけ、数年前に旦那が亡くなってからは長男と暮らしているという。特にプルメリアの栽培にかけては島一番、全国から訪れる個人のお客さんはもちろん、リゾートホテルなどからも納品の依頼があるらしい。現在はセミリタイア状態だが、友人知人からの頼まれごとが多くていつも愛車を駆って島を駆け巡っているという。 私も自己紹介のつもりで家族のことや北海道の農園のことを話し、警戒されないようにこの計画はあくまで趣味の園芸であり、老後の楽しみに過ぎないことを繰り返し強調した。 面接がひと通り終わると、オバアは農園を案内してくれた。彼女が貸してもいいよと言ってくれた土地は母屋から少し離れた一画にあった。道路に面した細長い矩形の農地、風よけのオオギバショウの並木で3区画に区切られている。それぞれが100坪程度の広さ。3区画の真ん中は、直接風が当たらないから、果物栽培には適しているという。 私はひと目見てここが気に入った。これまで見てきた土地は、崖っぷちだったり、なるほど海はよく見えるけど、吹きっさらしの土地だったり、カラカラに乾燥した人里離れたサトウキビ畑の跡地だったりとか、とても手に負えそうもない土地ばかりだった。 それに比べれば、幅15メートル長さ25メートル、100坪程度の広さではあるが、趣味の果樹栽培には十分な広さだし、巨大なオオギバショウは心強い風よけだし、土地の全貌が見渡せるから植栽計画もたてやすいし。何よりオバアの農場の一部だから水の供給や土地の管理などで協力態勢がとれるかもしれない。 オバアと一緒にそこを歩きながら、すっかりその気になった私は、ここにコーヒーを植えたいとか、パッションの棚はこの辺りがいいとか自分の思いを素直に伝えた。Kさんが親切に話しを繋いでくれた。 ぜひ貸して欲しい旨を伝えて島を後にした。あの土地でいろんな種類の南国フルーツを栽培できたら楽しいだろうな。オバアに頼めば人手も確保できそうだし、水もあるし、遠くに霞んでいた果樹園計画がぐっと近づいたような気がした。 しばらくしてKさんを介して、貸してもいいという返事が来た。 やったー!どうやら面接試験に合格したようだ。早速、契約書を作って夏の終わりに島に飛んだ。 オバアとの約束は翌日だったのでタケダの林道を走って親水公園に行ってみた。もうコノハはいないだろうな、夏だからそれほど期待できない。 公園の近くに車を停めて川に降りて行った。 すると息を飲むような光景が目の前にあった。おびただしい数のミカドアゲハが川原の水たまりで吸水していたのである。ミカドアゲハなんてめったに出会えない貴重品なのにそれが集団でいるとは。 そっと近づいてみた。気配を察したのかミカドアハが一斉に飛び立った。まるで紙吹雪をまき散らしたかのよう。いつもの石の上に腰を下ろしてじっとしているとミカドアゲハは三々五々集まってきて、また吸水を始めた。 ミカドアゲハばかりではなく大型のカラスアゲハやジャコウアゲハもそれぞれにグループを作って吸水している。小型のシロチョウの群れに大型のツマベニチョウが混ざっているのがおかしい。ミカドアゲハほどもあるツマベニ蝶だが、実はシロチョウの仲間なのである。 ただひとりの観客として、この豪奢な風景を独り占めしている。 このまま眺めていたかったけどKさんとの約束があったので、島を横断して東シナ海方面へと車を走らせた。多品種、少量栽培、パパイア、アボカド、アセロラ、シャカトウ、コーヒー、インド藍、ライチー、あっピパーツも、と脈略のない私の欲しいものリクエストに対してKさんは精一杯応えてくれた。 これがあの畑に植栽を待っている私の苗たちかと思うとすごく嬉しい。私の頭のなかでは30cmにも充たないパパイヤが、もう立派な実をつけて、甘い香を放っているのである。 翌日、オバアの家に向かう。長女の友子さん立ち会いのもと契約書を交わした。バンザイ!これで一歩が踏み出せる。 オバアは柄にもなく堅くなっている私を長年の知り合いのように迎えてくれた。契約がすむと私が借りたレンタカーの運転席に乗り込み、近所を案内してくれるという。 彼女は島で第一号の女性ドライバーだったのである。熱のこもった身の上話は当然としても、運転しながらスプーンを使ってカップ入りアイスを食べるのである。忙しい時は運転しながら弁当を食べてたから大丈夫と笑うのである。 運転はオバアに任せて、私は助手席におとなしく座っているしかない。 農園の近所にある熱帯作物の研究所やドラゴンフルーツ栽培農家、於茂登トンネルを抜けてパッションフルーツの栽培農家などを案内してくれる。シークワーサーの苗木が欲しいというと知り合いの農家を回って立派な苗木を2株手に入れてくれた。 車の中で彼女の波瀾万丈の一代記を聞いた。 それはただただ黙ってうなずくしかないほど波乱に充ちた一代記だった。 私が来島する前にオバアは人を頼んで、雑草を刈り、堆肥を入れて畑の興起も済ませておいてくれたので、畑の全貌がずっと明らかになった。彼女は自分も隣の区画で果樹を栽培することに決めたという。そうすればイヤでも畑に行くことになるからと言って笑った。 冬前には苗木を植えることにしようと約束してオバアと別れた。 仕事がひと段落した11月の末に再び石垣島に飛んだ。苗木を植えるつもりで長靴や作業用エプロンも用意していったのに無情にも毎日雨が降り続いた。先週はずっと晴れてたのにと会う人ごとに言われた。 早速向かった私の果樹園にはKさんが友人と一緒に組み立てたパッションフルーツ用の棚が雨に濡れてぽつんと立っていた。奥の方にはパイナップルの苗が一列植えてあった。数えてみると17株あった。 前回来た時にKさんには、畑の設計図を渡しておいたのである。人の手が加わったことでただの地面はずいぶんと畑らしくなった。 前回来た時にKさんには、畑の設計図を渡しておいたのである。人の手が加わったことでただの地面はずいぶんと畑らしくなった。 雨のせいで畑はぐちゃぐちゃ、地面にめり込んだ長靴を引き抜こうとすると長靴が脱げそうになるくらいぬかるんでいる。植え穴を掘るなんてとんでもない。 翌日も雨、また雨。それでも雨が上がった僅かな時間を狙って畑にひもを張ることにした。 小雨の中、オバアに手伝ってもらって野菜用の支柱を立ててひもを張った。まずは1メートルの幅で作業用通路を決める。中央に通路を通したかったけどそうするとパッションの棚が飛び出してしまうので通路は中央から1メートルほどずらすことになった。通路を中心にして左右各3区画ずつ合計6区画に分割した。ひもは絶大な威力を発揮して、計画に従ってひもを張るとただの地面がずいぶん畑らしくなった。 狭い畑にひもを張ってちまちまと区画を区切る様子を見たたオバアが「箱庭みたい」と言ったのでこの計画を「箱庭果樹園プロジェクト」と呼ぶことにした。 車が通る道路に面して風よけにオオギバショウを植え、その手前に鉄管を打ち込んで防風ネットを張ることになった。北側からくる強風を避けるためだ。 オオギバショウという植物は風よけとしては強力そうだけど残念ながら見ばえがよくない。そこでオオギバショウの手前には目隠しとしてずらりとハイビスカスを植えることにした。ハイビスカスの赤い花には蝶がたくさん寄ってくるはずだ。 フルーツはもちろん、蝶の食草も栽培したい、長年の夢だったローズマリーの垣根も作りたい、憧れの柑橘類も栽培したい、琉球藍を植えて藍を建ててみたい。北海道では絶対に無理なあれこれを箱庭で実現したいという思いがどんどん膨らんでいく。 せっかく遠くからやってきたのに雨ばかりで畑に出られない私を気遣って、オバアはさりげなく面倒をみてくれた。ソーミンチャンプルー、ご自慢の台湾製保温鍋で煮たカレー、八重山そばを使った焼きそばと毎日昼食を用意してくれたし、もと板前のNさんに焼いてもらった本場のお好み焼で歓迎会まで催してくれた。 中でも炒めた素麺ににんじんシリシリと島菜の炒め物、揚げた島豆腐を添えたソーミンチャンプルーは美味しかった。 一緒に道ばたで摘んだ長命草とカレーリーフを袋詰めして町の辺銀食堂に納品に行ったり、川平ファームでご主人からパッションフルーツ栽培の話を聞いたり、知花食堂でそばを食べて(八重山そば小は300円! 小といっても普通サイズ、有名店のそばと遜色ない味で私は石垣ではここのそばが一番と思っている)知花のオバアのすてきな庭を見せてもらったり、とにかく顔の広い正子オバアのおかげで退屈することなく雨の石垣を楽しむことができた。 花、庭木、果物といろんな種類の苗を育てている正子オバアには顧客がたくさんいる。ちょっと珍しい苗が欲しいときには必ず彼女に声がかかるらしい。新しもの好きで、面倒見がよくて気さくな人柄なので、彼女は島中の人と知り合いなのである。 皮肉なことに島を離れる日にようやく太陽が顔を出した。近所のバラビドーで園芸市があるというのでオバアと居候のI君と一緒にのぞいてみた。そこで大株のローズマリー2鉢を購入、オバアが挿し木で増やしてくれることになった。 「最初、ヘンな人だと思ったよ。趣味で果物の栽培なんて。貸すかどうしようか、ずいぶん迷ったんだけどね、とにかく悪い人ではなさそうだ」これが初対面の私に対するオバアの感想。 田代さんもKさんも近所に住む娘さんも貸してあげたらとみんなで後押ししてくれたらしい。 次ぎに島に行くのは年明けの1月中旬、今度こそ太陽が出迎えてくれることを祈っている。 極楽鳥を求めてパプアニューギニアを旅する 極楽鳥というとんでもない鳥がいる この鳥を知ったのはずいぶん前、BBCの番組を見てその姿と生態に本当にびっくりした。 「性進化」というらしいが、メスに誇示する目的で思い切り派手な羽根をまとい、メスの気をひくためにとんでもないダンスや歌を披露する。適者生存という進化の原則に逆行するかのような驚きの鳥たちだ。 極楽鳥の英語名はそのまま「バード・オブ・パラダイス」、日本では種名を「フウチョウ」という。 もとはカラスの仲間から進化したらしいが、現在は39種がニューギニア島を中心に暮らしている。数年前にアメリカの学者、写真家が『極楽鳥全種』(翻訳タイトル)という本を出して、これがかなり話題になった。本も映像もナショナル・ジオグラフィック刊行で、どちらも素晴らしい。これらを眺めながら、「よーし!見に行くぞお!」と思い立ったのであった。 じっくり対面したオジロオナガフウチョウ 極楽鳥を見る一番簡単な方法は中部山岳地帯にあるバードウォッチング専門のロッジに宿泊することだ。といってもそこに到達するまでにオーストラリアのケアンズからパプアニューギニア( PNG )の首都ポートモレスビーへ行き、大混乱の国内線でマウント・ハーゲンという町に飛び、そこから1時間半ほど悪路を上らなくてはならない。海抜約3,000メートルで、赤道直下なのに夜は寒さに震えるし、不定期にやってくる豪雨にも耐えなくてはならない。 しかしともかくロッジにはこのオナガフウチョウが待っていてくれる。白い尾が1メートルもあって、飛ぶとゆらゆらとそれが舞う。頭の緑にはすごい光沢があるし、赤いラインや鼻の上のボンボンなど、細部にわたってよくできている。行って分かったのだが、この鳥は割合定住性が強くて、同じ縄張りにずっといるらしい。ガイドはそれぞれの居場所を知っていて、我々バーダーをその場所に案内してくれる。英名は「リボン・テールド・アストラピア」という。 ガイドの「マックス」年齢不明 年齢を尋ねたら母親が覚えていないので分からない、と答えたマックスはしかし中々優秀なガイドであった。多くのパプア人のように見かけは恐ろしく中身は優しく陽気、というタイプではなくて、どちらかと言うと物静かな人物。しかし鳥についての知識は深く、観察能力も優れている。外国のバーダーといっぱいつきあってきたのだろう。写真の場所は彼の自宅あたりだが、彼はここで「蘭園」を作っている。熱帯の高地のここは蘭の名所でもあるらしい。小さな美しい花があちこちに沢山咲いていた。あたり一面は深い森で、鳥の鳴き声がたえない。 マックス・ラン園の花々 PNGの人々 中部ハイランド地方、エンガー地区で出会った人たち。皆さん明るく礼儀正しく、優しいのである(最初はちょっと怖いけど)。 郡役場の近くで撮影したので、みんな割合きちんとした服を着ている。右上の子供たちはお葬式の会場から追い出された面々で、このあとぼくは戸外の葬儀に招待されて1時間以上参列することになった。後ろの教会はカソリックのもので、神父はそれなりの威厳を持った人物だった。 右下の右のヒゲおじさんは、求めに応じてクワガタを捕まえてきてくれた人物。パプアヒラタクワガタばかり20頭もあって、1頭2キナ(70円)で半分買い残りは山に戻した。そういうやりとりをしているとあたりは黒山の人だかりになってしまう。次はもっとすごい虫を沢山用意しておく、とのことだった。また行かなくっちゃ。 PNGの人々(2) 左上は「ブルー」(アオフウチョウ)を見に行った丘の上。この写真の直前に大きな刀を持った人物に「鳥見るなら金よこせ!」と脅されたのだが、どうやらこの子はその人の娘みたい。アメをあげたら喜んで、家に戻って晴れ着を着て戻ってきた。 右上は別のフウチョウを見に行った山の農家で、伝統的な建物のたたずまいが良かったので写真を撮らしてもらった。すると中から品のいいお母さんが出てきてはにかみながら撮影に応じてくれた。 左下は郡境にある「チェックポイント」に駐在する「警官」たちとの記念撮影。どういう目的でこういう国境みたいな場所があるのか不明だが、通る人は車から降りて荷物の検査を受けたりしていた。郡というのは部族ごとの単位でもあるらしく、時に戦争もあったりするので結構厳しい警戒態勢なのである。写真ではにこやかだが、最初は相当怖かった。 右下は「クムルロッジ」の人たち。海抜およそ3000メートル、軽い高山病にかかり食欲不振、せっかく作ってくれた料理をいつも残してしまった。とてもフレンドリーでいい人たちだった。 PNGの鳥たち
高地の森にあるロッジにはエサ台があって、ここには毎日各種の鳥がやってくる。これらを眺めながらお茶など飲むのは誠に贅沢なのだが、ちょっと飽きてきたりもする。右上の写真はひどい精度だが、これは「コフウチョウ」(レッサー・バードオブ・パラダイス)を遠くから撮影したものだ。野鳥用の専用レンズを持参しなかったので、いい写真は撮れないのだがいわば証拠写真のようなもの。今回の旅では計4種の極楽鳥を見ることができて、まずまず満足している。左上はリボンテールのオス若鳥かメスで、結構きれいだ。 ・・・・・というわけで初めての国、パプア・ニューギニアを旅してきました。 いつもどおり目的地に関する本を沢山読んでからの訪問であり、いつもどおり文献と実態の大きな差に驚くのでありました。なにより、想像よりはずっと文明度が進んでいて、写真で分かるように人々の服装などはアジア諸国とほとんど違わず、田舎に行っても舗装道路に車が疾走しているわけです。そういう所にしか行かなかった、ということなのかも知れないので、この印象は留保しておきましょう。 ニューギニアには日本軍の悲惨な歴史が眠っています。太平洋戦争そのものが愚劣で誤った侵略戦争だったわけですが、とりわけニューギニア戦線は大本営の歴史的犯罪とも言えるでしょう。20万人の日本兵が投入され、そのほとんどが戦闘によってではなく、餓死病死したわけです。帰還した数パーセントの人たちは現地の人に助けられた故の生存だったともいわれます。 パプア・ニューギニアはいま、世界各地の「未開発地」と同様の「開発」被害を迎えています。国際線、国内線に乗り合わせる西欧系の人たちは、品のないビジネスマン風が多く、開発会社系の人たちと想像されます。「森林資源開発」、「液化天然ガス開発」、「鉱山資源開発」、このような用語が現地の英語メディアに踊っていました。日本も無関係ではないでしょう。 複雑な地形や高度に応じた局地的な棲み分けをしている極楽鳥の環境も、やがて危機を迎えるのかも知れない、そう思うとちょっと暗い気持ちになります。なにかできることはないのだろうか、と考えているところです。 |
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2月 2024
ご案内「藤門弘の北海道フォト日記」は夢枕獏さんのホームページ『蓬莱宮』にも転載されていますので、そちらもごらんください。 |