(3) カツラの香り 防風林のためのトウヒ苗木を別にすると、初めてお金を払って買ったのがこのカツラの木だ。漢字で「桂」と表す日本屈指の名木だ。 札幌の植木屋さんNさんを訪ねたのは、庭作りのごく初期の頃だった。一般的に言うと「植木屋さん」はお屋敷に庭木を植えたり剪定したりをする人、ということになるが、Nさんはそういう職人さんではなくて、庭木の販売を専門とする、いわば「植木販売業」とでもいう人物だった。札幌郊外に広い「土場」をもっていて、そこには様々な庭木が植えてある。値札はついていないが、どれも販売用の木で、土の下ではいつでも移動可能なように「根巻き」がされている。Nさんに案内してもらって、土場の木々を見て歩くのは楽しい体験だった。それぞれがどんな樹種で、どんな特徴があるのか、直接解説を聞くと、図鑑で見るのとは違うリアルで新しい木の情報だった。 二回目の庭木見学の中で、思い切って購入を申し出たのが一本のカツラの木だった。6メートルほどの樹高で、枝がのびのびと上に広がっていて、気持ちのいい姿をしていた。おそるおそる値段を聞くと6万円とのこと、それぐらいならなんとかなりそうだ。植木屋さんで庭木を買うなんて、なんだか分不相応な気がしたが、土場の庭木の中では比較的小さかったし、多分値段もぼくの懐に合わせてくれたのだろう。 というわけで、このカツラがわが庭最初の記念樹になった。山の林道脇に生える小さなシラカバを引き抜いてきて植える、ぐらいの経験はあるが、しっかり根巻きがされた庭木を植えるのは初めてのことだ。根巻きとは根の部分を一定の大きさに切りそろえて、そこを麻布で包み、同じく麻の縄できつく巻いた状態をいう。木の樹高に応じて根巻きの大きさも決まるが、あらかじめこうしておけば、運んですぐに植えつけることができる。根に巻いた麻布も麻の縄もそのままで植えてよく、やがて土中で分解して根が伸びるのをじゃましないという。 札幌からトラックでやってきたカツラを、できあがったばかりの庭用地に定植したのだが、その風景はいささか寂しいものだった。用地は南に向かって土を移動しているので、一帯はかなり心土が多く、つまり赤茶けた様相をしている。その南の角に目印的な木がほしいと思って植え場所を選んだが、粘土をただ広げたような殺風景な地面に植えられたカツラは、まるで略奪された令嬢のごとく、その可憐な枝や葉を振るわせるのであった。ましてやさえぎるもののない吹きさらしの丘の上である。教えられたとおりに支柱を立てて保護したものの、寒風にさらされてなんだかとても気の毒な姿であった。さぞかし札幌の穏やかな日々が恋しかったろう。 実際、この第一号カツラはすぐに下の方の枝が枯れ始め、翌年になると更に枝枯れが進んで将来が危ぶまれた。それでも木全体としてはなんとか耐えて生き残り、5年もすると新しい枝を伸ばすようにもなった。下は赤土、上は寒風、という過酷な環境によく生き延びてくれたものだ。 それから40年、このカツラは今でも同じ場所に生きていて、決して見事という樹姿ではないが、まずまずの大きさになった。樹齢のわりには幹などやや老木風だが、それもやむをえないだろう。今では後から来たカエデやシナ、コブシなどと並んで穏やかに同居している。きっと昔の苦労をみんなに話しているのだろう。 カツラの木は、庭木としての人気ではかなり上位に位置しているのではないかと思う。大きくなるので庭を選ぶだろうが、その上品な樹姿からしてファンは多いはずだ。ずっと以前だが、ある著名な評論家の家を訪ねたら、そこの娘さんが、「私の名前が桂子なので、母が庭の中央にカツラを植えたんですよ」と言っていた。立派な姿のカツラの木を眺めながら、さすがの名家に名木であること、と感銘したものである。(注) カツラの魅力は、まずその葉にあると思う。ハート型の薄緑色の葉が、枝にきれいに整列していて、そのたたずまいが美しい。春先の新芽や花はやわらかな紅色をしていて、長い冬の終わりを祝うかのように華やいで見える。やがて新緑の淡い緑になるが、天気のいい日に見上げると、ハート型の葉の重なりが見事な緑の濃淡で、きままな散歩を祝福してくれるかのようだ。 車道沿いのカツラ生け垣。それなりに手入れが必要。 秋になると葉は黄色に染まるが、この時期には葉から独特の香りが生まれる。木の周辺にほのかに甘い香りがただようのである。このキャラメルのような香りは「マルトール」というらしく、お菓子を作る時に使われる香料と同じだそうだ。「香りが出るから=香出ずる」でカツラという名前になったという説もある。 カツラは樹種としてはかなり古いものらしく、資料によれば「白亜紀から生き延びた樹木」とのことだ。北半球に広く分布した原始的な樹種だが、現在では中国と日本にのみ分布している。北海道では最も樹高が高くなる樹種だという。ただ、どうしてなのか分からないが、ぼくの住む村には天然のカツラが見当たらない。林業の業者に聞いても、「村にはないね」とはっきり言う。もしかしたらかっては分布していたものが、伐採後の天然林では再生できなかったのかも知れない。再生が難しい樹種だとどこかで読んだ記憶もある。 ぼくがカツラに会ったのは、実は彫刻材としてのカツラ材が最初だ。ずっと昔、田舎暮らし一年目に、飛騨高山で彫刻教室に通ったのだが、その先生が教材としてカツラ材を用意してくれた。よく研いだ彫刻ノミを使うと、カツラ材はすいすいと刻むことができて、とても気持がよかった。彫刻用材には一般にホウとカツラが使われるが、材の品格としては圧倒的にカツラが上だと思う。くすんだ木色のホウに比べてカツラの肌は赤みを帯びて美しく、特に優れたものはわざわざ緋ガツラと呼ばれるぐらいだ。 飛騨時代の最後の頃には広幅のカツラ材を入手して、喫茶店のイスを作った。背板全面に彫刻をした、いわゆる「ペザント・チェア」だった。カツラの香りは紅葉の葉だけでなく用材にもあり、作業は楽しいものになった。「鎌倉彫」の材料はカツラだし、アイヌの人たちはこれで丸木舟を作ったという。見た目だけでなく、実用としても優れた木なのだと思う。 そしていま、わが家にはかなりの数のカツラが植えられている。数にすると200本を越える。なぜそんなに沢山カツラがあるかと言うと、庭の生垣にこれを使っているのだ。公道からカエデの並木を通って、車道が庭のエリアに入るあたりから、左右にずっと生垣を作って建物や庭のゾーンを独立させている。最初は広々とした芝生の奥に建物があるように風景を作ったつもりだったが、庭木が道沿いに少ない分、どうもアプローチが殺風景に思える。道の近くに木が少ないのは、冬期間に機械で雪を飛ばすためで、これはやむをえない。 そこで生垣を考えたのだが、防風林の時と同じく生垣についても知識も手がかりもあまりなく、イチイ以外の生垣見本も近くに見当たらなかった。イチイは樹木としても用材としてもとてもいい木だが、その生垣では成功例をあまり見かけない。印象が暗かったり、すき間が多い生垣だったりするのだ。なにか広葉樹で適当な木がないものかと、思案をしていたら、誰かからカツラの生垣の話を聞いた。よく記憶していないが、どこかの公園で作ったカツラの生垣が見事だった、というような情報だった。そこで、苗木を扱う業者に問い合わせてみると、カツラの苗が入手可能なことが分かった。じゃあやってみよう、といささか短絡的にカツラ生垣に挑戦することにした。 カツラの広幅厚板を使ってカフェの看板を作った。 生垣初年度はずいぶん前のことだ。苗木をおよそ100本、40センチほどの間隔で道沿いにずらりと並べて植えた。教科書には支えの竹組が必要とあったので、その通りにやったが、後になってこれは不要だと分かった。カツラの苗は防風林のトウヒより更に小さくて、本当に鉛筆のようなものだったが、すごいことに植えた全部が活着して年を越すことができた。特別な配慮したわけではないから、きっと土壌や気候がカツラに合ったのだろう。生育も早くて数年でもうかなり密になり、上部を刈り取る必要がでてきた。生垣用の両手バサミを用意して上端をそろえて切ると、どうしてなかなかの生垣ではないか。植える前はカツラのような大木に育つ木を、せいぜい胸高の生垣にすることにためらいのようなものがあったが、カツラは見事に対応してくれた。その後両手バサミはエンジン式のヘッジ・トリマーになり、いまでは全部足すと100メートルを越える距離の見事なカツラの生垣になっている。
春が嬉しいカツラの生垣、わが庭の自慢のひとつである。 (注)白州次郎、正子家のこと コメントの受け付けは終了しました。
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