種をとる 冬の楽しみは野菜や花の種の整理。種を詰め込んだ缶の蓋を開けると、常連さんたちに混じって、いつどこで手に入れたのだろうとその出自を思い出せない種などもあって楽しい。 そんな楽しい宝箱も今年はいつもといささか様相が違う。 美しい種袋と一緒に愛想のない白い紙袋がたくさん混ざっているからだ。袋には自家採取した野菜や花の種が入っている。去年の秋は種採りに夢中になった。 去年の春3月、温室に転がっていたトマトの実から種を採って栽培してみたら、何と一人前のトマトが収穫できたのである。大手種苗店のカタログに載っているトマトと比べても遜色ないできばえだった。 自家採種したトマト、オレンジパルチェと千果はF1と呼ばれる一代限りの交配種だから私が採種して播いた種はF2の種ということになる。F2の種にはF1と同じ実がなる保証はない、とされている。F1は、例えば美味しいけど病気に弱いトマトと味はそれほどでもないけど病気には強いトマトをかけ合わせて、美味しくて病気に強いトマトとして人工的に作り出されたものだ。 両方の優れた性質を受け継いだF1トマトは、残念なことにその性質が次世代に受け継がれるワケではなく、不味くて病気に弱いF2トマトが実ってしまうことだってある。 F2は品質が安定しないのある。家庭菜園だったらヤッパリねと笑ってすませられるけど、農家ではF2の出たとこ勝負的なトマトを栽培するわけにはいかないから、毎年F1の種を購入して栽培することになる。 F2だって実がつかないことはないだろうと試しに栽培してみたら、予想を超えて健やかに育ち実をたくさんつけてくれた。 前年栽培したF1のそれと比べて実がひとまわり小さかったり、品質に多少のバラツキはあったものの全体的には満足のいく結果を得た。 それで気をよくして種の採種熱にとりつかれてしまったのである。 F1の種を自家採取(F2)して育てた数株のオレンジパルチェと千果は、優秀な株に印をつけてはち切れそうに完熟した実を摘んで種を採った。これはF3ということになるのかな。2代目は優秀でも3代目では封印されていた負の性質がひょっこり顔を出すかもしれない。それも楽しみのうちとして今年播種するF3に期待しよう。 例年は花が咲いたら終しまいだったマリーゴールドや向日葵の種子もせっせと採種した。マリーゴールドは嫌いなオレンジ色の花は避けて黄色と鮮紅色の花を選んで採種したし、向日葵も気に入った株から集中的に採種した。両方とも種袋にF1とか交配種の文字は見当たらなかったから多分、思い通りの姿、花色に咲いてくれるだろう。茄子や胡瓜もナスタチュームもジニアも手当たり次第に種を採取した。種はA4のコピー用紙を半分に切って手作りした袋に入れて品名や採取日などのDATAを書き込んだ。 秋の林道を歩く。カラマツの梢に絡んだ山ブドウが重たそうに実をつけている。青い果肉に包まれた大きな胡桃がたくさん落ちている。オオウバユリの細長い実が割れて糸をひいた種が整列している。マムシグサがその名にふさわしい禍々しい実をつけ、ニシキギも開けた口から赤い実をのぞかせている。つい手が伸びるが思い直す。野にある草木をわざわざ庭に持ち込むこともない。こちらから出向いて行って眺めればいい。林の木の実、草の実は林の住民たち、ヤチネズミやウサギ、エゾリスやエゾ鹿、ヒグマたち、南に移動する途中で立ち寄った野鳥たち、林で越冬するおなじみの野鳥たちを養っている。植物の方は彼らの力を借りて種を拡散させて繁殖しているのだからそれで十分だろう。人間が手を下すことはない。 それでも林道を歩くと木の実や草の実が次々に視界に飛び込んできて落ち着かない。これまで見過ごしてきたのか、大切な山芍薬が実をつけているではないか。これだけは我慢ができずに3個だけいただいた。直径5ミリほどの無愛想な丸い種は、あの優雅な芍薬の種とはとて思えない。山芍薬は播種してから開花するまでに数年はかかるらしいから、果たして開花を見届けられるかどうか。 散歩道のベニバナ山芍薬は1株きりだが、数年前は2株だった白花の方は少しずつ増えて去年は8株になった。もしかすると地中には出番を待つベニバナ山芍薬が眠っているのかもしれない。春に種を播いて気長に育ててみよう。 向日葵はいかにも向日葵といった素直な種子だが、逞しいジギタリスの種子はピンセットを使っても扱えないほど超微細だし、マリーゴールドの種はその平凡な姿とは裏腹に藁くずと見まがうような個性的な姿をしている。カンナの種は山芍薬にそっくり。それぞれに何らかの戦略をもって今の形に辿りついたのだろう。種は奥深い。 毎年、出遅れ気味に園芸店に行くと苗売り場には何となく終末感が漂っている。小さなポットに閉じ込められて長いこと放っておかれたトマトの徒長苗、茎ばかりヒョロヒョロ伸びて葉数の少ない茄子、その中から少しでもまともな苗を選ぼうと売場をウロウロするのはとても疲れる。どれだって同じと平静を装いつつもやはりあっちこっち移動しながら目を泳がせる。 去年はトマトも茄子も胡瓜も全部、自分で苗を作ったので苗選びの苦行から解放されたことがとりわけ嬉しかった。 写真1 ようやく雪の解けた菜園で育苗したトマトを植える。今年は50株近くの苗を植えた 写真2 ベニバナ山芍薬。ゆっくり丁寧に育ててみよう。咲くといいな 余った苗の落着先 育苗は楽しい。難点はただひとつ、苗を作りすぎてしまうことにある。発芽しなかったらどうしようという恐怖に駆られて必要以上にたくさんの種を播いてしまう。キャベツは10株の計画のところ20株の苗ができてしまうのである。少し株間を詰めて4株は何とか押し込んだが、それでも残りの6株には行き場がない。 温室に取り残された6株の苗は毎日、早く早くと定植を促すのである。彼らの方はなるべく見ないようにして作業を続けるが、キャベツは順調に葉数を増やして巻き始めたりする。プレッシャーは日増しに強くなる。キャベツだけでは大量のマリーゴールドやバジルも待機しているから、誰にともなくゴメンゴメンと謝る日々が続く。 去年は久々にトマトの苗を作ったので、発芽しなかったらどうしようという恐怖感から手元にあった種は全部播いてしまった。思いがけず発芽率は80%を超えたので大量の苗を抱え込むことになった。 毎年、菜園では24株のトマトを栽培している。ざっと数えてもその倍を軽く越すトマトの苗が温室でスクスクと育っている。とても見て見ぬふりが通用する数ではない。予定外の区画にも支柱を立てて20株は定植場所を確保した。が、まだ10株以上の苗が残っている。菜園を見回してもすべて定植済みか予約済みで満員。 思案したあげく最後の手段を講じることにした。 6面に仕切られた菜園の西側にはカツラの生け垣を背負って道具古屋、通称シェッドがある。もう30年以上前の建物なのに風雪に耐えて菜園を見守っている。菜園のシンボルともいえる建物。シェッドをはさんで右側には高さ3M程のサンシュウの木とブッドレア、アニスヒソップが植わっている。ここは蝶を呼ぶためのオーレリアンの庭のつもり。左側には木製のパーゴラがあってつるバラが絡み、中にはベンチが置かれている。周りを丈の低いブルーベリーに囲まれたこのエリアは憩いの場のつもり。このふたつの区画は手がまわらずに長いこと放置されてきたエリアだった。背の高いイネ科の雑草に覆われたオーレリアンとつるバラを押しのけてにっくきヒルガオが縦横無尽に這いまわるパーゴラとベンチ。ちょっと手を加えればねーと思いつつもつい雲南百薬の収穫やルッコラの間引きやセロリの軟 白に精を出してしまうのである。 そうだこの持てあまし気味のエリアを開拓してトマトを植えたらいい。トマトだけではなく茄子だって万願寺唐辛子だってアスターだって温室は行き場のない苗で溢れているのである。 パーゴラの周りの雑草を刈り取り、サンシュウの根を傷めないように注意して慎重に耕耘機をいれて耕した。そしてここを特区1、特区2と呼ぶことにした。 特区1ではシェッドの壁を利用して支柱を立て、出遅れてしまったポンテローザトマトを定植した。サンシュウの株元には持てあましていたXmasローズを4株、やたらに元気なマローとセロリ、レモンバジルやトレビスの残り苗も押し込んだ。そしてカンナ10株も定植した。 何故カンナなのか? 私が制作した「死ぬまでに一度は栽培してみたい植物リスト」の中にカンナがあった。今ではめったにお目にかからないけどあの不思議な形の花を咲かせるカンナとは一体どのような植物なのだろうか。これは一度は栽培してみないと・・・・。 種の在庫を確かめると缶の底にイギリスの種苗屋さんから購入したカンナの種が見つかった。多分数年前のものだろう。 CANNAというゴム印が押された種袋には、サイズも形も正露丸にそっくりな種が10粒入っていた。育苗ポットに1粒ずつ埋め込んで育苗スタート。気温はグングン上がってきたのに2週間たっても3週間たっても音沙汰ナシ、皮が厚くていかにも頑固そうな種だし、発芽保証期限もとうに過ぎているから無理かなと諦めかけた頃、朝、温室に出向くと何と10ポット、10個の芽が確認された。申し合わせたように一斉に発芽したのである。その後の成長ぶりには目をみはるものがあり、追われるようにして大きなポットに2度、移し替えた。 あの姿形である。安ホテルのロービーなどに飾ってある観葉植物のようだ。どうみても慎ましやかな北国の菜園や庭には不似合いなカンナの葉っぱは、日ごとに巨大化し艶やかさを増して温室の中で威圧的にその存在を誇示するのである。 頭を抱えていたところだったので、新たに開拓された特区はまさしく渡りに船、サンシュウの木とポンテローザトマトの間に10株のカンナを植えつけた。陽当たりの悪さなどものともせず2メートル近くに成長し、やがて花を咲かせた。しかしそれはなじみのある豪奢な花ではなくて何とも慎ましやかな花だった。イギリスからやって来たのはカンナはカンナでも原種のカンナらしく、おなじみのカンナはこれをもとに改良されたものらしかった。そうか、カンナというのは原種に近いものから改良種まで幅広く存在し、正露丸のような種で一斉に発芽して・・・と得ることは多かったが、もう二度と栽培することはないだろう。 こうして「死ぬまでに・・・」リストは一行短くなった。地上部は鎌で切り落として遠くに掘り投げたけど根はそのまま残しておいたから、春にまた甦ったらどうしようかとちょっとビクビクしている。 パーゴラのある特区2には花のMIX種をバラ撒いた。時期が遅かったし古い種も混ざっていたから期待はしていなかった割にはよく発芽して夏の終わりごろから花を咲かせた。見ようによってはお花畑に見えないこともない。 ピンクのアスター、ブルーやチョコレート色の矢車草、白いかすみ草、明るいオレンジ色はカリフォルニアポピー、濃いピンクのナデシコ、単独ではまず栽培しない花々ばかりだが日ごとに生気を失って行く菜園では、そこはひときわ輝かしいエリアになった。 「おー寒い」とダウンをひっかけて菜園の見回りに行く。昨日はつぼみだった濃いピンクのアスターが咲いている。この嬉しさ、翌日もワクワクしながら菜園に行くとラベンダー色のアスターが目に飛び込んでくる。 これぞまさしく足下の楽しみ、こういう小さな悦びの積み重ねこそが楽しい老後を支えてくれるのである。 初雪が降るころまでアスターや矢車草は頑張ってくれた。来期は春から夏にかけて色とりどりのアスターの種を播こうと決めた。これで「死ぬまで・・・」リストがまた一行減ることになる。ちなみに一昨年はグラジオラスが、その前年にはストケシアがリストから抹消された。 アスターはキクだ。マリーゴールドや向日葵、タンポポやレタスもキク科だがアスターは純正なキクなのである。キクに対してはあれこれ偏見を持っていたのでこれまで栽培は避けてきた。しかし考えてみるとキク科の植物はおしなべて頑丈だ。しかもキク科の植物は開花期間が長い。そして園芸カタログの花部門ではキクの占有するページ数が一番多い。偏愛しているデルフィニュームなんてほんの半ページほど、それに比べるとキクの多種多様なこと、キクは日本で最も愛されている花なのだろう。 谷津遊園の菊人形や派手な懸崖作りのイメージが先行して手を出しかねていたキクだけど来年は積極的に色々なキクを栽培してみよう。丈夫だし寒さに強いし選択の範囲は広大だし。 秋の気持ちのいい陽射しを浴びて特区2で秋なすと大きな万願寺唐辛子、最後の花豆を収穫して、健気なピンクのアスターを一輪摘んで家に持ち帰った。 写真3 菜園のシェッドを挟んで右が特区1、左が特区2。1にはトマトやバジル、カリフラワーなどの余り苗や持てあましたカンナ。特区2には花のMIX種を播いた。矢車草、かすみ草、アスターと初めて栽培した花ばかり。 写真4 特区1に定植したトマト「ポンテローザ」は在来種。よく熟した美味しいそうな実には野鳥がつついた跡がある。 写真5 カンナ。原種らしい。「死ぬまでに栽培したい植物リスト」は1行短くなったけど急がないとリストの全制覇は難しい。 写真6 こんなに情けないアスターでも秋の菜園では貴重な花。これぞ楽しい老後を約束してくれる足下の幸せ。 ケールは救世主 キャベツは偉大だ。キャベツには膨大な数の葉っぱがあるにもかかわらず、(70枚前後といわれているが)丸く結球するからコンパクトな姿にまとまっている。扱いやすいし保存場所もとらない。キャベツの葉は表面と裏面の成長の速度が異なり、裏面の方が速やかに生育するという性質により自然に結球するそうだ。もし表と裏が同じ速度で生育したら、70枚のキャベツの葉は思い思いに天を目指すのだろう。その姿は壮観には違いないが、キッチンでは間違いなく疎まれものになってしまうだろう。 扱いやすいだけでなく、結球するおかげで中心部は自然と軟白されるから柔らかで癖のない素直な味になる。どんな料理にも使い勝手がいいので私の食卓にはキャベツが欠かせない。スープによしサラダによし、万能選手なのである。私の体の50%近くはキャベツでできているといっても過言ではない。キャベツは結球することでメジャーな野菜にのし上がったのだろう。 毎年、何回かにわけて育苗、定植するから6月から11月までは途切れることなく収穫できるし、11月に収穫した最後のキャベツは新聞紙に包んで冷蔵庫で保管すれば2月までは十分にもつ。とはいえ冬から初夏にかけては購入しなくてはならない。端境期である。 あつみさんから「ケールは美味しい」という話しを聞いて以来、ケールが気になっていた。何でもスーパーでサラダ用ケールというのが販売されているらしい。サラダ用のケール、これは聞き捨てならない。 ケールは青汁と不可分の関係にある。青汁には興味がなかったからこれまではケールを栽培しようと思ったことはなかった。改めて野菜カタログを確かめると青と赤のサラダ用ケールが載っていたので、即購入して、播種。 ケールは何て素直で伸びやかな作物なんだろう。スクスク育った苗を温室や菜園に定植した。伸びた葉を1枚2枚掻き取ってスープに入れる。軟らかそうな葉はサラダにする。何だ、キャベツとほとんど変わらないではないか。葉が大きいから効率がまことによろしい。ケールはキャベツの代用品として大活躍してくれた。 キャベツは結球することでメジャーな野菜に昇格したのに対して、ケールが青汁の世界に留まっているのは、ワイルドな風味とともに野放図に拡がる葉が扱いにくいからに違いない。先祖を辿れば同じようなものだろう。 優秀なキャベツにも欠点がひとつだけある。キャベツは完全に結球しないと収穫できないのである。ケールや他の葉物のように葉を少しずつ収穫しながら栽培するということが難しいのである。春先に定植しても収穫は夏、その間、エゾシロチョウの幼虫の猛攻撃などものともせず結球するキャベツを見守るもどかしい日々が続く。まだ巻きの柔らかな若いヤツから順次収穫すればいいと思うでしょうが、早穫りなどもってのほか、大球に膨らむまでにらみ続けるのである。 一方のケールは柔らかな葉はサラダ用、取り残した大きな葉はスープ用にと、収穫しながら長期間、菜園に留め置くことができる。ケールはキャベツロスの長い端境期を埋めるにはもってこいの野菜であるということに気づいた。 温室にビニール温室を持ち込んで2月から育苗を始めたケールの苗はずいぶんしっかりしてきたから3月に入ったら温室に定植しよう。4月から収穫すればキャベツロスの期間が2ヶ月は短縮されることになる。キャベツを初夏、夏、秋、晩秋と4回収穫してケールにバトンを渡せば食卓の自給率をグーンと上げることができるだろう。 アブラナ科の野菜でブラシカ類と呼ばれる一群の野菜、キャベツもケールもブロッコリーもカリフラワーも栽培しやすいし、食卓に多大な貢献をしてくれる。彼らと同じアブラナ科のルッコラもキク科のレタスやトレビスに比べて頑強で生命力が強い。 冬の温室で次々と力尽きていくレタス類を尻目にルッコラは葉を地面にぴったりくっつけて青々している。葉を拡げて少しでもたくさんの光を吸収しようという作戦なのだろう。気温が上がれば葉を伸ばし始めるだろう。 冬を越したルッコラは滋味豊かで味わい深い。防寒のためか分厚くなった葉はごま風味はそのままに、甘さも苦さも強くて普段のルッコラに比べて格段に力強い味わい。ルッコラの隣では白菜のような葉っぱのサラダ用野菜がロゼット状に葉を拡げて春を待ちわびている。これもアブラナ科。 アブラナ科の野菜は食卓の主役として救世主として欠かせない野菜なのである。 去年、新たに「蕾み野菜」という新ジャンルを創設した。その代表は言わずと知れたカリフラワーやおなじみのブロッコリー、菜花やのらぼうのような在来種、中国のアスパラ菜、イタリアのチーマディラペも仲間、すべてアブラナ科の野菜である。 ブロッコリーやカリフラワーは蕾みに特化しているけど菜の花もどきたちは葉も蕾みも花もという欲張り路線、特化したカリフラワーやブロッコリーは菜の花を尻目にメジャー野菜にのし上がった。それにしても蕾みを食べるという発想はすごい。葉でも実でもなく蕾み、なるほど蕾みには栄養がぎっしりと詰まっていそうにみえるが、いざそれを食べるとなると・・初めて食べた人はどうしたのだろう。 カリフラワーは物心ついた頃からあったけどブロッコリーは記憶にない。ブロッコリーはグリーンアスパラガス同様、ごく短期間のうちにメジャー野菜への階段を駆け上ったのだろう。それだけ実力があったということだ。栽培してみるとその実力のほどがよく分かる。 暑さにも寒さにもよく耐える。カリフラワーはひと株1個が原則だが、ブロッコリーは中心の1個を収穫しても次々と蕾みがつくので長期間、収穫できる。 大量に収穫しても熱湯を通して冷凍すれば、解凍するだけでふつうのブロッコリーと同様に調理ができる。家庭菜園にはなんともありがたい存在。厳冬の温室でもビニールトンネルの中で蕾みをつけている。もう少し気温が上がれば成長を始めるだろう。そして春一番の蕾みを提供してくれるだろう。 写真7 我が愛するキャベツ、欲張らないで早く収穫すればいいのにね。 残念! キアゲハの幼虫はセリ科の植物の葉を食べて育つ。菜園で栽培しているセリ科の野菜というとニンジン、アシタバ、セロリ、パセリ、パクチー、フェンネルがある。中でもフェンネルが大好物らしくて緑濃い栄養たっぷりのニンジンの葉には目もくれずに幼いフェンネルの葉を食べ尽くしてしまう。 そのことに気づいて以来、菜園では欠かさずフェンネルを栽培している。 フェンネルは美味しい。葉じゃなくて茎の方、甘くてミントに似た繊細な香りは同じセリ科のセロリとは似て非なる野菜であることを教えてくれる。ちなみに山羊はセロリの葉が大好物。香りが強くてかさかさしているから食べないだろうと思いつつも、堆肥槽に投げ込む前に山羊にあげてみたらすごい勢いで平らげた。セロリの香りは気になら様子なのでパクチーも食べるかな、試してみよう。 毎年、キアゲハのかわいらしい幼虫たちはフェンネルの柔らかな葉を食べてスクスクと育つ。最終齢になると近くの草木の枝に移動して、糸を吐いて体を固定させてから脱皮して蛹になる。一昨年はフェンネルの近くにあった茄子やパプリカの枝を利用していた。そしてある朝、羽化して美しいキアゲハが誕生するのである。 フェンネルで育ち、茄子の枝で時を待って羽ばたいたキアゲハ、またフェンネルに卵を産みつけるのだろう。これぞまさしく菜園うまれの菜園育ち。 でもキアゲハは本当にフェンネルを最も気に入っているのだろうか。もっと好きなセリ科の植物があるのではないか? と以前から気になっていた。 それで去年、園芸の時間がたっぷりあったので、フェンネルに似たセリ科のハーブ、アニス、クミン、ディル、キャラウェイの4種類をフェンネルのそばに定植してみた。 一番美味しそうなのはレースの葉が繊細なアニス、元気なのはディル。キアゲハはどれを選ぶのだろうか? 菜園巡りの楽しみがまたひとつ増えた。 ところが例年なら春の終わりには複数のキアゲハが飛び交うのに、去年はほとんど姿を現さなかった。たまにヒラヒラと急ぎ足で菜園を横切っていくのみ。 いつもならフェンネルの細い枝に幼虫がいくつも見つかるのに幼虫の姿がない。新参者のアニスやディルにはもちろん、フェンネルにさえ幼虫がひとつも見つからない。どうしたんだろう。蝶の発生には年によってムラがあるけどそれにしてもこんなに少ない年は初めて。 なーんだ、ガッカリしたけど食草の真相を探るべく今年も色々なセリ科のハーブを栽培してみるつもり。だから菜園仕事は止められない。 写真8 フェンネルの葉を食べて育つキアゲハの幼虫、今年はついに1個もみつからなかった。 写真9 キアゲハは残念だったけど久々にオオイチモンジが戻ってきた。ゆったりと優雅に飛びまわる。 写真10 ゼフィルス(ジョウザンミドリシジミ)は豊作だった。林道だけでなく、カツラの生け垣でも翅を拡げて温まっていた。 嬉しい! ブラムリー収穫! ブラムリーはイギリス原産の青リンゴ、主に加工調理用として栽培されている。酸味が強くてゴツゴツした形のブラムリーはおなじみの赤くて端正な生食用のりんごとはかなり趣が異なる。農場の周辺はりんごの大産地なのでいろいろなりんごが栽培されているが、青リンゴはほんの僅か、入手が難しい。 ブラムリーは酸味が強いので生食よりも加工に向いている。ジャムやジュース、アップルパイのフィリングにしても美味しい。それで数年前にブラムリーと同じく青リンゴのグラニースミスの苗木を数本ずつ手に入れて農場に植えてみた。一昨年まではひねこびた実が僅かにつく程度だったのに、去年の秋、突然3株のブラムリーとグラニースミスに20個近くの実が実ったのである。まだ枝が少ないりんごの若木にゴツゴツした大きな青い実、その唐突感たるや。これもフジカド君が丹精したおかげ、ありがとう。りんご並木の向かいはいろんな花を栽培している私の領土、ボーダーの手入れをしていても目はついりんごの方に行ってしまう。 地面に落ちていたブラムリーを拾ってアップルパイを焼いてみた。実が軟らかいので実の形はあまり残らなかったけど、そのあっさりとした味わいは独特なものだ。タルト生地に薄切りのりんごを並べてアーモンド入りのアパレイユを流して焼いたタルトオポムはすごく美味、サクサクのタルト生地の中にはタップリのクリームと甘酸っぱいりんご、まずかろうはずがない。地面に落ちたブラムリーとはいえ、カラスにつつかれたような跡がある傷物とはいえ、ともかくボーダーの向かいに実った青リンゴ。枝からもいだ艶やかな青リンゴはしばらくキッチンに飾って眺めたり、周辺の人たちに自慢したあと、ボダイジュのはちみつを使ったコンポートと胡桃とレーズンとラム酒を加えたホリデー仕様のジャムに煮た。 今年はどんな具合だろうか? 樹皮を囓るネズミの被害状況は雪が解けないとハッキリしないが、この冬はネズミの姿をあまり見かけなかったから多分、大丈夫。大丈夫だといいなー。この秋にはシードルを作ってみよう。全部で12株あるから10年後には持てあますくらいの青リンゴが収穫できるだろう。 写真11 青リンゴのブラムリー、去年ようやく収穫できるようになった。今年はシードルを作りたい。 写真12 ブラムリーを使ったりんごのタルト。甘いクリームと酸味のあるブラムリー、見かけはよくないけど私には極上の美味。 受難! 夕方の犬の散歩の終着地は温室。犬たちはベジタリアンではないから野菜など見向きもせず通路をウロウロ歩き回っている。散歩の後にもらえる肉タップリの夕食のことで頭がいっぱいなのだろう。 ブロッコリーを収穫していると突如、大きな音が聞こえた。ガラスの割れる音。入り口の方に目を向けるとガラス戸が粉々に割れている。温室の外では犬のリリーがキチンとお座りをしてあらぬ方向に視線を向けている。何が起こったのか、一瞬状況が飲み込めなかった。さっきまで温室の中には確かに2頭の犬がいた。温室の扉は閉めた。ランはここにいる。ということはリリーがガラス戸を突き破って外に出たということ以外、考えようがない。リリーはかすり傷ひとつ負っていない様子、でも途方もなく悪いことをしてしまったという反省の態度がうかがえる。 いつもと変わらない夕暮時の静かな温室、スタンダードプードルのリリーはサーカスのライオンが火の輪をくぐるようにして一瞬のうちにガラス戸を突き破ったのである。リリーに怪我がなくてよかった。温室の扉は段ボールで補修したあとガラスを入れ直した。 あの事件以来、リリーは温室には決して足を踏み入れようとはしない。温室の外でキチンとお座りをして視線をあるぬ方向に泳がせつつ、私たちが出てくるのをひたすら待っているのである。 あれから半年たった冬の温室、今度はその温室に除雪車が突っ込んだ。大惨事かと思いきや4枚ある扉のうちの1枚のフレームが曲がり、ガラスが粉々に割れただけだった。翌日にはガラス屋さんが扉を入れ替えてくれたのでプランターのサラダ野菜やトンネル栽培しているルッコラやブロッコリーに被害はなかった。 立て続けに起きた温室受難事件、お祓いでもしなくては。 写真13 温室のガラスを破ったのは黒っぽい方、スタンダードプードルのリリー。いつもエネルギーを持てあましている様子。 憩う! 菜園しごとの一番の醍醐味といえば、スコップを収穫用のバスケットに持ち変える瞬間、生産者から消費者に変身するその瞬間である。 菜園は私だけのファーマーズマーケットになる。ハサミとバスケットを手にして菜園を歩き回り、食べ頃の野菜やハーブ、少し遠征してベリーを収穫する。菜園の野菜は早くとって、早くとってと訴えかけてくる。 よしよし、今にも皮が弾けて果肉が飛び出しそうなトマト、濃緑の肉厚なルッコラ、よく締まった花蕾のブロッコリーニ、赤い葉色のケール、マイクロバジルの葉、上海で人気がキャッチフレーズの大葉油麦菜、これでサラダ用の野菜は揃った。野菜スープ用に雲南百薬とオクラとインゲン豆を少しだけ摘んでから、明日では手遅れになりそうなオレンジ色の完熟ラズベリーをデザート用に。 1日の労働が報われる瞬間。だから菜園しごとは止められない。 ぎりぎりまで菜園で仕事をしていると夕食をていねいに拵える気力も失せてしまう。だから食卓に並ぶ料理はいつもほとんど同じ、常連さんばかりということになる。 菜園からとってきた大量の野菜をひたすら刻んで鍋に放り込んで煮た野菜スープ。味付けは自家製の味噌、ナンプラーのようなエスニック調味料で塩味を補って大量のハーブを散らす。出汁やスープストック、肉や野菜、乳製品を使わなくても野菜だけで十分に美味しい。(スープが煮立ったら、火をとめて蒸らすと3倍くらい美味しいスープになる。アミノ酸たっぷりのトマトは旨味の素だから欠かせない)スープを蒸らしている間にブロッコリーやアスパラ、そら豆をグリルしてサラダ野菜と合わせてバルサミコ酢をふりかけるのもいい。気力が残っていればゴーヤーチャンプルーや空芯菜の塩炒めを添える。 きっとひと昔前の農家の食卓はこんな感じだったのだろう。畑からとってきた野菜を使った一汁一菜と常備菜、漬け物。ハレの日には肉や魚が並ぶ。 去年はハレの日がほとんどなかったからほぼ同じメニューだったけどそれでもいつも満足だった。野菜が美味しいおかげと努めて思うようにしているが、きっと老化に伴い変化を望まなくなっただけの話しだろう。 冬の間は冷凍ストッカーがファーマーズマーケットに代わる。ストッカーには夏の間に蟻になってせっせと貯め込んだ野菜が詰まっている。トマト、ブロッコリー、カリフラワー、ゴーヤー、セロリ、ツルムラサキ、モロヘイヤ、雲南百薬、枝豆、花豆、大蒜、焼き茄子、グリルした万願寺唐辛子などなど。常備菜もいろいろ。これだけあれば、冬でもかなり豊かな野菜生活を楽しむことができる。すべての野菜を自給するのは無理としても冬のトマトや季節外れの茄子を買わずにすむのはうれしい。 冷凍野菜だから新鮮な野菜のように八面六臂の大活躍というワケにはいかない。冷凍トマトの使い途は煮込み料理、ソース、せいぜいドレッシング。夏のそれのような美味しいトマトサラダなど望むべくもない。欲張ってはいけない。分をわきまえれば冷凍トマトでも美味しく食べられるのである。 トマトは集中的に実るから一度に大量のトマトが収穫できる。いくら忙しくてもこれを全部、袋に放り込んで冷凍するなどもってのほか。2~3食分ずつ小分けにして冷凍する。がちがちに固まった5kgの冷凍トマトは非常に使いにくい。扱いづらいからストッカーの底に置き去りになってしまう。誰ひとり取り残さないためには2~3回分ずつ小分けして冷凍するというのが鉄則。葉物でも枝豆でも小分けが必須なのである。 欲張らない、小分け、そしてもうひとつ、あれこれ考えないこと。パスタ用とかミネストローネ用などと細かく用途を考えているうちにトマトは落下して土壌の肥料と化してしまうのである。とりあえずなにも考えずに収穫して冷凍する。 欲張らない、小分け、先のことは考えない、この3原則さえ守れば、必ずや楽しい冷凍野菜生活が送れるだろう。送れるハズである。 写真14 盛夏の収穫、トマトは丸ごと小分けにして、ゴーヤーはチャンプルー用にスライスして冷凍しておく。 難しい! 石垣島の川平パッションフルーツ農園の園主橋詰さんは植物に詳しい。沖縄の植物はもとより海外にも遠征して植物採集に励んでいるのでよく整備された農園には見たこともないようなトロピカルな植物がたくさんある。名前を聞くと即座に教えてくれるが、先日どうしても分からない植物があった。どこで穫ってきたのだろうか? と大いに悔しがり首を捻る。 ケイタイを取り出して植物検索アプリで撮影すると、アプリは即座にその名前、学名らしかったが、を教えてくれた。 かねてから気になっていた植物検索アプリ、どうせ大したことはないだろうと思っていたが、その威力を目の当たりにして、私もアプリを入れてみた。 なるほど、菜園の珍しい野菜で試してみると悩みながらもちゃんと正解を答える。よしよしなかなかやるではないか。紛らわしいイネ科の雑草や樹木の肌、キノコや苔も拒否しない。誠実に精一杯、答えてくれる。 弱点はエゾノコンギクとかエゾゴマナのような土着種、この近辺ではごく一般的な雑草なのにものすごく悩んだあげくに難しい学名が表示される。ローカルには弱い。 いつもの散歩には必要なくても、未知の植物に出会う可能性の高い旅先の散歩にはすごく便利だろう。 これまでは未知の植物に出会うと写真を撮るかその姿を目に焼き付けて家に戻り、いろいろと類推しながら図鑑を調べて同定するというのが付き合い方の王道だった。図鑑が検索サイトに変わっても、ともかく自分で調べるというのがふつうのやり方だった。 あちこち寄り道をしながら時間をかけてゴールに辿り着いていたのである。確かに時間はかかるが、寄り道によって関連する様々な知識を得ることもできるのである。ヤッパリこれだ! と確信できたときの喜びも大きい。 検索アプリと図鑑。どちらもバランスよく利用するのがいいですね、と結論づけたいところだが、つい検索アプリに頼りがちになって図鑑がうっすらと埃を被っている。危ない危ない。 写真15 去年石垣島の箱庭果樹園でライチーを初収穫。春3月今年もライチーは満開の花盛り、夏の収穫が楽しみ。カラスも楽しみにしているに違いない。マンゴーの花も初開花! 箱庭のシンボル、アボカドも4Mを越した(らしい)今年は行けるかな。 怒る!
1952年に制定された種子法という法律が廃止されたのは2018年のことだ。この法律のもとに国や都道府県は米、麦、大豆などの主要作物の種子を開発し管理してきたが、廃止によって公的機関はその義務を負わなくなり、民間企業が米や大豆などの主要作物の品種開発や販売に参入しやすくなった。 その後に制定された「農業競争力強化支援法」8条4項によって公共機関は保有している種子や長い時間をかけて積み重ねた研究知見を民間企業の求めに応じて速やかに公開するよう義務づけられた。ますます民間の特にモンサントなどのグローバルな巨大種苗会社が日本の趣旨種子ビジネスに参入しやすくなった。 続いて昨年改正された「種苗法」は新品種の登録を促し、登録品種の自家採取の禁止が法の柱とされている。(販売を目的としない家庭菜園などは除外される)これまでは例え登録品種であってもそれほどきびしい規制はなく自家採取は目こぼしされてきた。 しかし、民間企業が開発して登録した種子となれば、自家採取はこの法律によってきびしく禁止される。勝手に栽培されては企業の利益が上がらないからである。 グローバル種子企業は支援法によって公的機関から手に入れた優秀な種籾Aを元にして、倒伏に強いとか収量が多いというような新品種A1を開発し登録する。これまでは農協などを通して安定的に安価にAを購入してきた農民が、グローバル種苗会社の執拗な攻勢にさらされてひとたびA1を購入して栽培を始めると、その後はA2、A3とかれらが資本の力に物言わせて次々と開発する種子を使い続けることになり、彼らの支配下に置かれてしまうのである。その企業が開発した新品種に効果的な除草剤や防虫剤、例え発がん性物質が含まれる疑いが濃厚でも種子とセットで購入せざるえなくなる。一度取り込まれると後戻りは難しい仕組みになっている。 例えばA1の跡地にBを栽培してもA1がひと株でも残っていれば、登録品種の種を採種して勝手に栽培したということで告発されて莫大な違約金を請求されることになる。グローバル種苗会社は絶えず目を光らせているのである。 種子は地域の農業試験場などの公的機関が開発し、農民とともに時間をかけて大切に守り育ててきた共有財産であり、私たちみんなの重要な財産といえる。私たちの命の根幹にもかかわるような財産を安易に民間企業に委ねてよいものか。種苗市場を席巻した海外グローバル企業が常に安定的に種子を供給してくれるという保証はどこにもない。パンデミックのような厳しい状況下では、種子の供給が途絶えることだって想定される。食糧自給率が著しく低い日本は深刻な食糧危機に襲われるだろう。 種子というのは特殊な商品なのだなーとつくづく思う。購入するか否かの判断は種袋に印刷された完熟トマトや艶やかな茄子の写真のみ、袋を開けてもトマトや茄子が飛び出してくるわけではなくて少量のまん丸い種や平たい種が入っているだけ。この種子が種袋に印刷されたトマトや茄子になるかどうかは購入したものの努力や運に委ねられる。 種が発芽せずに終わることもあるし、小さな実が申し訳程度につくだけということもある。期待通りに実ることは滅多にない。 例え、種袋の写真のような実を手にできなくても私はそれを種のせいにはしない。種が悪いとは決して思わない。あのとき水やりをサボったのがいけなかったのだろうか、肥料が足りなかったのだろうかとあれこれ思い悩み、めったに自分の非を認めない私でさえ素直に頭を垂れるのである。栽培技術や観察眼の未熟さを思い知り、来年こそはと誓うのである。 種子という商品はいわゆるファストファッションやファストフードとは正反対に位置するようなものだと思う。例えば綿花の種を買ってしまったとしよう。種を播いてワタを育ててふわふわした実を摘んで木綿糸を繰り、布を織る。花や実を鑑賞して楽しむのもいいけど基本的には布地にする、または実から油を搾りとるというのが購入した種に対する責任(仁義)ではないかと思う。 トマトの種子を購入したら土を作りトマトを収穫し食卓にのせて、みんなを笑顔にするというのがまっとうな付き合いかただろう。 樹木の種子は林の生き物を養い、風を防ぎ、木陰の憩いを提供し、最後は木材として人の生活を支えるといった具合に壮大になってくる。 そんな種子が果たして商品と呼べるのかどうか。 私のような趣味の菜園レベルでさえ、一粒の種子の持つ力と可能性、その大切さは日々実感している。利益の追求を優先させる民間企業に種子を委ねるのではなく、みんなの共有財産として守っていかなくてはいけないのだと思う。 みんなの食を支える農業を今後どうしていくのかという方針や、食糧危機に対してどう対応するのかという将来的なビジョンが示されないまま種苗法のような重要な法律がひっそりと姑息に改正? されてはならないと思うのである。 日本では米と大豆があれば何とか生き延びられる。どんなパンデミックが起ころうとも米と大豆の種子さえ確保できれば潤沢な水と太陽が味方をしてくれるだろう。 何故かそれはまたのちほど。 春3月、野菜や花の種子があちこちから届く。 今日も郵便屋さんが春を運んでくれた! 春の光をあびて温室で種を播いていたらエルタテハが姿をみせた。温室で越冬していたのだろう(その後、温室の片隅に放置されていた鳥の巣箱に入ったのを確認)。温室の中をゆっくり飛び回り、私の腕で翅を休めたタテハと春の歓びを分かち合ったのである(つもり)。 |
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4月 2024
ご案内「藤門弘の北海道フォト日記」は夢枕獏さんのホームページ『蓬莱宮』にも転載されていますので、そちらもごらんください。 |