闘う園芸 <ヨトウムシ> ようやく春の兆しが見え始めたので、温室でハーブや野菜の種を播いてから1週間が過ぎた。外気温が10℃を下回っても温室はぽかぽか、早いものだと3日もすればかわいらしい芽をのぞかせる。播き床の表面に緑色の芽を見つけた時の喜びは、何十回経験しても色焦ることはない。種蒔き直後の温室巡りはほんとに楽しい。 今朝も温室に直行する。おやっ、2~3日まえに発芽したはずのスィートバジルがどういうわけかほとんど消えている。おかしいなと思ってよく見るとスィートバジルの播き床には糸のような茎がぽつぽつ残されてた。発芽したての柔らかな双葉はほとんど食べられていたのである。 害虫の仕業には違いないが、バジルなんて直まきでもいいし、まあいいかと放っておいた。翌日、紫バジルやシナモンバジルの苗も半分以上、消滅してしまった。葉脈だけを残した青じその苗、半分坊主になったイタリアンパリ、見事に茎だけ残ったフェンネルとキャベツ。平和だった温室は悪漢に襲撃された犯行現場のような様相を呈してきた。いくら寛容とはいえ、ここまできたら何とかしなくてはいけない。 植えつけたばかりのナスの葉にぽつぽつと直径1センチほどの穴が空いていたので、調べてみると、蛾か蝶の幼虫と覚しき幼虫がクネクネと茎を這っていた。長さ2~3cm、背中が黒くて腹は白っぽく、背と腹の間に黄緑色の太いラインがある。どこにでもいる平凡な幼虫。多分ヨトウムシだろう。つまみ上げて、写真撮影した後、踏みつぶした。オクラの茎にも1匹発見。これも力まかせに踏みつぶした。 図鑑で調べると悪漢の正体はヨトウムシの最終齢幼虫らしい。ヨトウムシはヨトウガの幼虫で昼間は地中に潜り、その名の通り夜になると地中から這い出してきて葉を食べるという卑怯な厄介者。 いつもは芝生を徘徊しているポピュラーな害虫だけどこれまで作物の被害はなかった。一体どこから潜り込んだのか。雨宿りのつもりで温室に侵入してそのまま居座ったのか、はたまた本州からやってきたベリーの苗木にくっついて運ばれてきたのか、進入経路は不明だが、ぬくぬくと温かい上に柔らかな芽が食べ放題の温室はヤツらには間違いなく天国だろう。 半分ほど残っていた紫バジルもシナモンバジルも丸坊主、一番期待していたジニアもカレンジュラも壊滅状態。まともな苗はほとんど残っていない。大いに落胆した。楽しみな春先の温室巡りは、気の重い日課に成りはててしまった。それでも立ち直れそうな苗をひとまず温室の外に避難させた。 苗を作り直したり、直まきの面積を増やすなどして少しずつ立ち直りつつあるが、久々に本気で闘う園芸の年になった。ヨトウムシめ。 <ブヨ> ヨトウムシは作物の敵だけど、この時期、人間の最大の敵はブヨ。彼らはヨトウムシやアブラムシと違って春先には必ず姿を現す。ブヨはとにかくうるさい。何とか皮膚にとりついて血を吸ってやろうと人間の周りを飛び回る。完全武装したつもりでもほんの僅かな隙間も見逃さない。膝丈の長靴から入って、ジーンズの中に潜り込んだりもする。ただ刺すだけの蚊に比べると攻撃パターンが多様で執拗な上に、刺されると痛痒いし、かなり腫れることもある。特にジーンズの中に長時間滞在したブヨは、じっくり刺すのか大きく腫れる確率が高い。文字通り隔靴掻痒 気温が15℃を下回り、風が強く吹くと一斉に姿を消すものの、日ざしが戻って風が止むとたちまち姿を現して執拗にまとわりつく。1キロ圏内に私しか標的はいないから、圏内のブヨが全員集まってくるのである。たまったもんではない。 防虫スプレーも試してみた。ドラッグストアのタナに並んでいるような一般的な防虫スプレーはまるで効き目がない。一時的にはブヨは退散するものの、すぐに集まってくる。わりあい有効なのは香りの強い、天然ハッカスプレーで長時間にわたって効き目がある。しかし肝心な顔面にはスプレーできないから補助的にしか使えない。 防虫スプレーは効果なし、ブヨの攻撃を我慢していたら発狂間違いなし。加えて私はどうも虫を引きつける吸引力が強いらしい。 そこで毎年登場するのが、顔面をガードするネットつきの帽子。気温25℃、微風というブヨ日和でもこれさえ被ればブヨの攻撃から身を守ることができる。視界を遮るネットは鬱陶しいけど、刺されるよりはずっとまし。というわけでネットつき帽子は菜園仕事の必需品なのである。 去年までは野球帽に緑色のネットを取り付けた不格好な帽子を愛用してきた。園芸仕事を手伝ってくれた誰かの遺留品らしい。外見はひどいものだが、ブヨの季節の必需品として大切にしてきたのである。 その大切な帽子が、今年はどこを探しても見当たらない。作業用エプロンと一緒にシェッドの定位置に置いたはずなのに。さあ一大事! スコップを放り出して、近所のホームセンターに駆け込んだ。 花柄や水玉模様の派手な日よけ帽に混じって、黒いネットのついた帽子が片隅にぽつんとおかれていた。1個しかなかったので即購入! 菜園に戻って、早速、帽子を被ってみた。そのかぶり心地たるやこれまでの野球帽とは雲泥の差、実に快適なのである。 まずネットの素材がまるで違う。野球帽付属のネットは、網戸の網や子供時代にお世話になった麻の蚊帳のようにごわごわした素材だったので顔の周りにまとわりつく感じがとにかく不快だった。ネットの繊維が太いせいか、視界が悪くて細かい作業はやりづらいし、夕方にはほとんど使いものにならない。ネットの目も粗かったので、中に侵入してくる勇敢なブヨもけっこういたのである。 一方、新型の帽子のネットは素材がしなやかで柔らかく、ネットの目は細かいのに視界は良好、鬱陶しい感じがほとんどしない。 しかも野球帽とちがってつばが広いので日よけの役割も十分に果たしてくれる。 世の中はこんなに進歩していたのか! もっと早く気づいて購入していれば、初夏の園芸作業はずっと楽しいものになっていただろうに。これさえあればブヨの攻撃から完璧に身を守ることができる。 こういうマイナーな用具を消費者の立場に立って真剣に考え、製造してくれる会社があるのはほんとに嬉しい。 1,000円くらいのものだが、私にとっては大金を支払ってでも購入する価値のある製品なのである。 <マダニ> 春先から初夏にかけては自然界は目まぐるしいスピードで日々変化する。冬の間にため込んだ力を一気に爆発させる。雪が溶けると早朝の林道散歩が日課になる。雑草も丈が低いから歩きやすいし、空気が日ごとに弛んでいくのが分かる。野の花に囲まれる春の散歩はまことに楽しい。 初夏に近づくにつれてクマザサがはびこり、イタドリもグングン成長するから次第に林道は歩きづらくなる。野鳥の声に誘われて雑草をかきわけながら横道にはいる。目の前のイタヤカエデの枝でキビタキが大声で鳴いている。黒い頭と限りなくオレンジ色に近い黄色い胸がスゴく目立つ。ラッキー! 幸先のいい1日がスタートする。 後ろ髪を引かれる思いで散歩から戻って、菜園に出る。何だかもぞもぞと痒いな、もしや。すぐに家の中に入って服を脱ぎ捨てて点検する。やはりマダニ、脇腹の辺りをもぞもぞと這っているではないか。捕まえて手近にあった紙に包む。確認後、つぶして捨てる。マダニはのろのろ動くから意外と捕まえやすい。 毎年毎年、マダニにとりつかれているうちにマダニが皮膚の上を這い回っているのがわかるようになった。初心者の頃は、吸血したマダニが大豆粒ほどにふくれあがるまで気づかないようなことも多々あった。マダニが皮膚に頭を差し込むともう手の施しようがない。そのまま血を吸わせてポロリと落ちるのを待つか、皮膚にダニの頭が残ることを覚悟で無理矢理引き剥がす以外対処法はない。しかし彼らもすぐに吸血を始めるワケではなく、適当な吸血場所をあちこち探し回るのである。ここがチャンス! 吸血場所を見つける前に早期発見して退治することが肝要なのである。 経験をつむ内に皮膚を這うもぞもぞした感覚と這ったあとに残るかすかな痒みでマダニの存在を事前にキャッチできるようになった。藪に入る→家に戻る→何者かがもぞもぞ動き回っている→動き回った経路が何となく痒い、マダニに間違いなし。毎年、必ず数回はマダニにとりつかれるが、ここ数年は一度も吸血されたとことはない。 実害もさることながら、ダニにとりつかれたいう精神的動揺も長く尾をひくのである。 一時話題になったが、ウィルスをもったマダニに刺されると感染症で命を落とす人もいるそうだ。最近は北海道では死者は出ていないようだが、何十年ぶりかの死者が出るとすれば私という可能性は高い。死亡原因がダニという事態は避けたい。 藪には近づかないというのがダニ対策の第一歩だろう。でも散歩好きにとっては不可能というもの、ダニキャッチ能力を日々磨くしかない。 今年も6月にやられた。フジカド君の助手としてオオルリオサムシのトラップを仕掛けにやぶに入った時だ。早期に発見したから幸い事なきを得たが、少し遅れたら吸血されるところだった。今でも時々、あのもぞもぞ感が時々よみがえってきているはずもないダニを探してしまうのである。 <キジバト> 菜園に定植したインゲン豆のうち数株の苗が萎れていたので、そのそばにインゲン豆を埋めた。この気温だから豆はすぐに発芽して先に定植した元気なインゲン豆にすぐに追いつくだろう。 翌朝、菜園に行ってみると何と豆エリアに2羽のキジバトが並んで佇んでいるではないか。やられた! 土を堀り返すと昨日埋めたはずの豆が消えていた。 何で分かるのだろう。木の上から豆を埋めているのを見ていたのか、特殊な嗅覚を働かせているのか、彼らの仕業に違いない。 大豆の発芽も遅れていたので地面を掘ると豆の姿は消えていた。これも彼らの仕業なのだろうか? そういえば少し前から菜園の近くで時々キジバトの姿をみかけることがあった。キジバトとはいえ、近くで見るとなかなか美しい羽色をしている。こんなことろまでは滅多に飛んでこないのにおかしいなとは思ってはいたが、まさか豆狙いだとは! これまでも豆が掘り返されることがあったけどカラスの仕業だとばかり思っていた。ゴメン。 発芽した苗が萎れたのもキジバトが土を掘り返したのせいかもしれない。優雅に見えてなかなかやるな。 一応脅かしはしたけど、退治するわけにはいかないので放っておいた。仕方がない、播いては掘られ、播いては掘られのいたちゴッコを繰り返すしかない。そんなある日、菜園のそばにキジバトの美しい羽が散乱しているのをみつけた。キツネかテンかイタチにやられたのだろうか。その日以来、菜園にキジバトの姿はない。インゲン豆は発芽して順調に育っている。 <雑草> 庭の原則は「来る者拒まず、去る者追わず。」という寛大なものだ。とはいえ繁殖力がめっぽう強いイタドリ、タンポポ、ギシギシ、ヨモギ、そしてヒルガオたちは大切な草花が駆逐されないように、原則をまげて退治する。 特にここ数年、勢力を拡大しているのがヒルガオで、これはまことにタチが悪い。地下深く縦横に根を張り巡らし、地面のあちこちからポコポコと茎を伸ばし他の植物に巻き付くのある。地上部を退治しただけでは退治したことにはならない。地下で暗躍する彼らは、人間をあざ笑うが如く、思いもよらぬ場所から茎を立ち上げるのである。 夏にはラッパ型の淡いピンクの花を咲かせる。花はその性癖とは真逆ともいえる清楚で涼やか、園芸種の朝顔よりずっと上品な姿形をしているのである。これが園芸種だったら、迷わず栽培するだろう。そこが悔しい。邪悪な習性をもつくせに知らん顔して可憐な花をつけるところがまた許せないのである。 ヒルガオは別格としても明らかに雑草とわかる草は抜くか刈り取ればいい。 しかしこれらのろくでもない訪問者に混じって歓迎すべき来訪者もたまにはいるのである。例えばオオバナノエンレイソウ、例えばマムシグサ、例えばネジバナ。特に気に入っているのがマムシグサで今年は3株に増えた。毎年1株ずつ増えているのがうれしい。 マムシグサはサトイモ科の植物で、草丈は60cmほど、地面からスクッと花茎を伸ばす。 なぜマムシグサかというと、その立ち姿がマムシが鎌首をもたげているように見えるからという説や葉鞘の斑点模様がマムシに似ているからという説がある。そう言われるとそうかなとも思うけど鎌首説の方が説得力があるように思う。 サトイモ科には個性的な植物が多い。いちばん有名なのがミズバショウだろう。川沿いの地面から大きな葉をのばし、その中央に白い大きな花をつける。花に見えるが花ではなく「仏炎苞」と呼ばれる苞で、葉が変形したもの。本来の花は苞の中にある。 この辺の湿地にはミズバショウの見事な群落がたくさんある。無数の白い苞が川に沿って並ぶ光景は太古を思わせる。何万年も前から変わらぬ風景、悠久という言葉が浮かんでくる。 ザゼンソウ、別名ダルマソウだってそうだ。えび茶色のまん丸な苞はその色といい形といい、春の湿地でひときわ異彩を放つ。 個性的で存在感のあるサトイモ科の植物のなかではマグシグサは、比較的おとなしい感じはするが、クリスマスローズの間からスクッと鎌首をもたげたその姿は媚びない美しさがある。秋には玉蜀黍状にまっ赤な実をつける。 ヒルガオのような厄介者とマムシグサのようなウエルカム植物の間には様々な植物がいる。 例えばヒヨドリバナ。山道を歩くとどこにでも生えている頑強な雑草が、知らぬ間に庭にやって来て居着いてしまった。まだ日が浅いのにもう何十年もここにいるような顔をしてイタヤカエデやサクラの根元を囲っている。花はスモークツリーのようでなかなかに美しいし昆虫がたくさんやってくるのも嬉しい。庭木の根方を囲む位ならいいのだが、そこは雑草、慎みなくはびこり始め、デルフィニュームやエリンジュームエリアにもずかずかと踏み込んで来るのである。樹木の根方のヒヨドリバナは許されても、その他のエリアに進出したヒヨドリバナは刈り取らなくてはいけない。 ゲンノショウコやツユクサも生える場所によって抜かれたり大切にされたりしている。 その植物が雑草として抜き取るべきかそれとも庭の構成員として残しておくべきかの判断は微妙で難しい。植物が生えている場所はもちろんのこと、その日の気分によっても刈り取られたり、残されたりするのである。 だから草刈りは他人には任せられない。他人に大切なマムシグサを刈られてしまったら、間違えて自分で刈ってしまった場合に比べて何十倍も悔しい思いをするだろう。決して「まあいいか」ではすまされない。 耕耘機で菜園を起こす作業やそこに肥料を撒く作業は任せられても、庭の草刈りだけは他人に任せるわけにはいかない。自分でやるしかない。 雑草は園芸植物の数倍の早さではびこるから手で抜く、鎌で刈り取る、ハサミ切るというような悠長なことではとても追いつかない。 そこで登場するのが刈り払い機。肩にかけてウィーンウィーンと振り回す野蛮な道具である。燃料を入れてエンジンをかけると刃のついた円盤が回転する。回転する刃を雑草の根元にあてるとスパッと切れる。足に当たれば足もスパッと切れるだろうから危険は伴うけど一度使ったら手放せない便利な道具なのである。 アリスファームでは冬をのぞいて毎日のようにどこかで草を刈っている。牧草地の周り、温室の周辺、道路ぎわ。これまでは、フル稼働の合間を縫って「ちょっと貸して貸して」方式で刈り払い機を使わせてもらっていたのだが、今年、ついに自分専用の刈り払い機を買ってしまった。 これまで使っていた刈り払い機より軽いし、新型だけあってエンジンもすぐにかかる。刃の回転スピードも手元で簡単に調節できる。何より、自分専用だからいつでも使える。タナカ製のらくらく草刈り機は今年一番の有用なお買い物になるだろう。 ヨトウムシには完敗、ブヨとマダニにはほぼ勝利、鳩とは引き分け、雑草との戦いはどうなるか? これから夏にかけて闘いは正念場を迎える。 昨日、シャクヤクの花が咲いた。今年もいつものように頑なに蕾を開こうとしないシャクヤクだが、晴天に負けたのかようやく蕾を解いてくれた。 でもシャクヤクの周りを囲っている背の高いオーチャードグラスが気になる。ブヨもうるさい、さっきカラスとキジバトの姿を見た。いつになったら「シャクヤクが咲いた!」と手放しで喜べる日が来るのだろうか? 闘いの日々は続く。 春の瀬戸内巡り 相変わらず、日本全国を飛び回っている。最近では、仕事の合間を縫って短期間、あちこちに出かけことが多い。きっちり予定を組んで出かける海外の旅とは違って小旅行は気楽で楽しい。 春、サクラの頃、仕事が終わった広島から岡山に移動して宇野港からフェリーに乗って直島に出かけた。以前、韓国の友人に小豆島はおもしろかったという話をしたら、何で直島に行かないの? と逆に聞かれてしまった。彼女は直島がいかに素晴らしかったかを語ってくれた。 それ以前にも直島の噂は聞いていた。島全体がアートの島で近くにある豊島などと連携して大規模なアートフェスを開催しているらしい。直島には安藤忠雄氏設計の美術館があり、そこにはモネの睡蓮が展示されている。小さいながらもモネの庭を模した庭も見学できるらしい。一番惹かれたのは、そのモネの庭だった。 ジベルニューのモネの庭には一度行きたいと思っていた。でもフランスに行くにはそれなりの心構えが必要だからまずは手近なところで直島に庭見物に行ってみよう。直島は香川県だが、岡山県の宇野港から15分くらいで行ける。 覆い島の港に到着して美術館行きのバスを探して乗り込む。バスは海岸線をのんびりと走る。とここまでは静かだったのにバスが到着した美術館の広場は人でいっぱい、チケット売り場も長蛇の列、大いに後悔する。 チケットを購入するための整理券をもらう。きっと観客がゆったり鑑賞できるように入場制限しているのだろう。天気がいいからよしとしよう。 チケットの購入時刻がくるまで疑似モネの庭をを見て回ることにした。庭はチケット売り場から美術館に向かう坂道に沿って設えられている。 細長い庭には確かに池があった。池には橋も架かっているし、今は葉っぱしか浮かんでいないけど初夏には睡蓮も咲くのだろう。でも睡蓮が咲けばモネの庭というわけではない。 池の周りには赤やオレンジ色、黄色の花々が咲き乱れ、まるで公民館の花壇の如き色合い、うちの方がずっとまし。またしても後悔する。 チケットを購入して再びモネの庭を通って美術館に向かう。 地中美術館は瀬戸内の海と島の景観を損なわないよう一部の開口部を除いて地中に潜る形で建てられているそうだ。中に入ってしまうと建物全体の姿は掴めないものの、建築家の個性が強く押し出された建物だということは何となく分かる。 複雑な通路を抜けてモネの展示室へ直行する。モネを鑑賞するには靴を脱いでスリッパに履き替えなければいけないらしい。ひとりとして抗議する人はなくみな大人しくスリッパに履き替えている。靴音が鑑賞の邪魔にならないようにとの配慮には違いないないけど・・・・。またしても後悔。 展示室には巨大な睡蓮を中心に全部で5点の睡蓮の絵が展示されていた。5点の睡蓮をつなぐと14メートルにもなるらしい。それぞれの絵の前を何度も行ったり来たりしてモネをじっくり眺める。 彼の絵には、光、自然、移ろいというおなじみのキーワードが散りばめられている。それは5点の睡蓮に共通していて揺るぎがない。そのためか絵を鑑賞するというよりもそれぞれの絵が放つ光に包まれているような心地よさを感じることができる。自然と音楽が聞こえてくるような心地よさ。 一般的に美術館は住宅のように実用性、機能性を求められないから、いわば建築家はやりたい放題、建築家にとっては最高の現場だと思う。 地中海美術館は美術館はこうあるべきという建築家の思いを込めた建物なのだろう。 モネは、ものの形とか色彩といったものに頓着せず、ただ光の移ろうさまを描く。彼は表現することを半ば放棄してただ瞬間を捕らえようとする。 表現としては対極にあるような画家の姿勢と建築家の強烈な自己主張。 淡い色を重ねるモネの絵はこの空間にあっても少しもたじろがず、淡々とそこにある。 絵画のもつ力と空間の力が拮抗している。そこから生まれる緊張感は心地よいものだ。勝ち負けを競う勝負というのではない。空間とそこに置かれた絵画が作り出す緊張感は妥協やなれ合いを許さない。 朝方、昼間、夕刻と窓から差し込む光の1日の変化によって絵は変わっていくのだろう。春夏秋冬、それぞれに変化する四季の光によって絵も変わっていくのだろう。 安藤とモネが光という共通項で結ばれて作り上げた緊張感溢れる空間。 この空間に身を置いて睡蓮を眺めることができてよかった。電車とフェリーとバスを乗り継ぎ、散々待たされて、スリッパを強制されてもここを訪れたのは正解だった。 何より天気が味方をしてくれた。 睡蓮の展示室を出るとモネの部屋の前には長ーい行列ができていた。目の前にがらーんとしたコンクリートの矩形の部屋があったのでそこに入ってみた。天井にはめこまれたガラスを通して、真上から光が差し込んでくる。 壁に沿ってぐるりと設えられベンチに腰を下ろして、天井から差し込む光をうける。我が家のサンルームも光がさんさんと降り注ぐけど、それとは違い上からまっすぐに降りてくる光は新鮮で心地よかった。日常とは違う光、地中美術館の醍醐味はここにあるのだろう。解説によるとこの部屋はただの休憩所ではなく、部屋自体が著名なアーティストの作品であることが判明した。 カフェのテラスからは瀬戸内の海が一望できる。瀬戸内の穏やかな光を浴びる。北海道の光とも石垣島のそれとも光の質が違う。 松の間から海を眺める。時々小舟が通る。贅沢な時間だった。 もう十分。地中美術館を後にしてフェリーで向かいの高松市に向かう。目的はもちろん讃岐うどん。 ・うどんは、なるべく朝早くに専門店に行って食べた方がいい。 ・うどんは、なるべくひっそりとした場所にある店を探して食べた方がいい。 これが今回の教訓。モネもいいけどやはりさすが讃岐うどん、どの店も美味だった。 発見がひとつ。町の中心地を抜けて、郊外のうどん屋に向かう県道の両側には苗木を扱う植木屋がズラリと並んでいた。高松は日本でも有数の苗木の生産地だったのである。 うどん屋巡りを終えて、満開の桜に引き寄せられて立ち寄った高松城の入り口で植木市をやっていたのでのぞいてみた。 魅力的な苗木や花苗が並んでいる。ヒメコブシ、シャラ、ヤマボウシなど種類も多く、品質の割には価格も安い。これが北海道なら見境なく購入したことだろう。中でも私の目を釘付けにしたのが、偏愛しているサトイモ科と覚しき花の苗。初めて見る植物だったので店主に尋ねると即座に「ユキモチソウ」と教えてくれた。四国では誰もが知っている植物らしい。 苗木と違い、手荷物でも何とかなりそうなサイズだったので購入しようとしたけど、北海道じゃねと店主に止められてしまった。 うどんと苗木、高松はかなり強力な吸引力をもつ町であることが分かった。 楽しい園芸 何で菜園? とよく聞かれる。自分で栽培すれば安心して食べられるし。とりたては美味しいからと無難に答えるとたいてい納得してくれる。特にアスパラ、コーン、枝豆の3種類については秒速で味が落ちていくように思う。 しかし昨今、安全な野菜は通販でいくらでも手に入る。近所の直売所では採れたて新鮮野菜を販売している。野田さんの直売所で「ツルムラサキは?」と聞くと、裏の畑に走って採ってきてくれたりする。午前中に行けば切り口から水が滴っているようなコーンも簡単に手に入る。安全で新鮮な野菜は以前よりずっと楽に入手できるようになった。 毎年、直売所の販売台には新しい種類の野菜が並ぶ。今年は苦みの強いワイルドルッコラや紫色のシシトウがあったし、タイ料理に使う白ナスも販売されていた。 さすがに南の方ではポピュラーなハンダマや雲南百薬はまだ見かけない。でもハンダマは加賀の伝統野菜「金時草」としてネットで苗が販売されているから直売所の店頭を飾る日も近いと思われる。驚いたことに雲南百薬の苗は近所の園芸店で「オカワカメ」の名前で並んでいた。 昨今では野菜栽培における実質的な見返りは限りなくゼロに近い。とりたてのアスパラは確かに極上の美味だけど手間や肥料、心労を考えたらものすごい高価なアスパラになってしまう。ではなぜ? 昨日、菜園では生まれたての目の覚めるようなキアゲハが、フェンネルを丹念に見回っていた。きっと産卵場所をさがしているのだろう。隣にある茎立ちブロッコリーの穴だらけの葉っぱの上では青虫が寝そべっている。平凡なシロチョウだけど早く蛹にならないかなーと思う。 菜園にはいろんな昆虫や野鳥が遊びに来る。フェンネルはキアゲハのために栽培しているようなものだ。彼女たちの食草はセリ科の植物だけどとりわけフェンネルが大好物なのである。フェンネルなんて食用としては滅多に使わないのに10株以上栽培している。 フェンネルは大株だから数十頭いや百頭のキアゲハだって賄える量だ。何百頭のシロチョウを満足させるだけのキャベツも栽培している。 時々、ゼフィルスが迷い込んでズッキーニの葉っぱにとまっていたりする。 葉の上で広げた金属光沢の羽の華麗なこと。ゼフィルスは無神経なズッキーニにはほんとに似合わないけどつい見とれてしまう。 グリーンともブルーとも言いがたいそれはそれは美しいアオバトが数羽の群れで遊びにきたり、イカルの群れが横切ったり、水道の栓を開こうとしたら真紅の喉が目立つノゴマと目が合ったこともある。 そう菜園仕事の楽しみはこういった細部に宿るのである。 菜園の入り口に設えた仁菜のブランコに腰を下ろして休んでいると、やさしい風がカエデの林をわたってやってくる。ミントの香りを運んでくる。 明け方、屋根を打つ雨音に狂喜する。これで菜園もひと息つけるだろう。慈雨は地面に染みこみ、作物を潤すだろう。ホースの水では雨にはとても太刀打ちできない。 梅雨のような日々の合間に太陽がカッと照ることがある。作物の歓喜の声が聞こえてくるようだ。 菜園仕事が始まると何でもない気象現象のひとつひとつが普段の暮らしとは違った意味をもつようになる。 自分が植物になりきって喜んだり怒ったりするようになる。 そう菜園仕事の楽しみは細部に宿るのである。 例えヨトウムシに痛めつけられて収穫が限りなく0に近くとも、例えブヨの猛攻撃で顔を腫らしても、例え豆を巡る鳩とのいたちごっこに破れても、私はこの楽しみを手放したくはない。 <夏の菜園速報> ヨトウムシの食害から立ち直った菜園は今、最盛期を迎えている。 <ここ1週間で収穫した野菜> ミニトマト、中玉トマト、大玉トマト、ナス2種類、福耳とうがらし、万願寺とうがらし、ミニキュウリ、ツルムラサキ緑と紫、雲南百薬、ハンダマ、島オクラ、とうまみ、青じそ、黄芯白菜、キャベツ、茎立ちブロッコリー、カリフラワー、セロリ、アイスプラント、空心菜、スナップ豌豆、サヤインゲン、枝豆、玉蜀黍、ハーブ類(バジルいろいろ、イタリアンパセリ、コリアンダー、チャービル、ラビッジ、フェンネル)というわけで深夜まで保存作業に追われている。 <菜園で咲いているハーブと花> ミント、オレガノ、レモンバーム、マロー、タンジー、イエローセージ、タイム、フェンネル、ラムズイヤ-、スィートバジル、カレンジュラ、マリーゴールド、ジニア、ナスタチューム、各種ひまわり、黄花コスモス、紅花、河原撫子、アニスヒソップ、ベルガモットブッドレア、ベロニカ、ブルーセージ <冷凍保存にむく野菜> 1/一番はトマト トマトはヘタをとって丸ごとビニール袋に入れて冷凍。冷凍トマトをそのまま水に浸けると皮がスルスルむける。半割にしてから刻んでしばらくおくと透明な水分が出てくる。これはうま味のもと。この液体ごとスープやソースにすると生のトマトと同じように使える。酸味と濃厚なうま味、複雑な風味は缶詰のトマトではとても太刀打ちできない。何より下準備不要で冷凍できるのが最大の魅力。 2/二番は焼きナス ナスをオーブントースターの最高温度で焼いて黒焦げの皮をむく。冷やしてそのまま冷凍する。解凍して普通の焼きナスとして、出汁に浸して煮浸しとして完璧に蘇生する。シシトウも焼いてから冷凍するといい。手間はかかるけど冬になるとやってよかったと絶対に思うはず。 パプリカも焼いて皮をむいて種をとり、四つ割りくらいにして冷凍。その時に出る焼汁はうまみの素なので一緒に冷凍。冷凍しなくてもバルサミコ酢を振りかけておくと冷蔵庫で長期間の保存可能。 3/三番はコーン 新鮮なコーンは軸から実をナイフでこそげ取ってそのまま冷凍。冷凍のまま加熱して食べると生と遜色ない美味しさ。オムレツやスープに。 ツルムラサキや雲南百薬、オクラはそのまま冷凍。オクラはさっと茹でて生と同じように使えるし、ツルムラサキや雲南百薬は冷凍のままスープに使用しても茹でてお浸しにしてもいい。 4/四番はカリフラワー ブロッコリーやカリフラワーはさっと茹でて冷凍。沸騰したお湯に野菜を入れて火を止め、鍋にフタをして5分くらいおくとちょうどいい固さに仕上がるようだ。茹ですぎると別物になってしまう。 生のカリフラワーは瓶に詰めて熱々のピクルス液を注いでピクルスにする。カリカリの食感が美味しい。輪切りにしてゴーヤーも同じ。 <冷凍にむかない野菜> キャベツや白菜は冷凍する価値なし。スープなどには使えるけど食感がよくないし、冷凍庫の中で場所をとるし、生がいつでも手に入るから冷凍保存はやめた方がいい。 原則は一回に使い切る量を小分けにすることと冷凍野菜に過剰な期待はしないことだろう。 |
カテゴリ
すべて
アーカイブ
2月 2024
ご案内「藤門弘の北海道フォト日記」は夢枕獏さんのホームページ『蓬莱宮』にも転載されていますので、そちらもごらんください。 |